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全ては見えない(2023/08/20の日記)

富士山を登っているとき、富士山は見えない。

そのかわりに

富士山以外の全てが見えるのだ。

嘘です。全ては見えない。


富士登山をしようという話になって、まさか一合目から五合目までを往復することになるとは思わなかった。観光として富士登山をする人はたいてい五合目までをバスで、そこからは徒歩で山頂を目指す。そのため、一合目から五合目までの道のりは想像以上に閑散としていた。

たまにすれ違うのは山頂から下山してきたばかりなのか、かなり重装備の集団か、おそらくハイキングであろう老人ないし子供たちか、そうでなければ軽装かつ超スピードで駆け降りてくるマラソン選手めいた格好のひとだった。どうやら毎夏に富士登山競走という催しがあるらしく、参加者は富士山ふもとの街中から頂上までのコースを言って帰ってくるという。聞いただけでその過酷さが想像にたやすい。おそらくその練習だとのことであった。もう今年の開催はすでに終わっているらしいので、この時期走っている人は来年の大会の準備をしているということであろう。何もそんなに早くから準備しなくても…と思ったが、冬季は山が封鎖されるので十分な練習を確保するにはこの時期に走っておくのが肝心だという理屈もわかる。


一合目から登るには、正確には一合目よりも手前から出発する必要がある。そのポイントを馬返しといい、ここからの道のりが険しくなるため馬の乗り入れができず、馬を返したことに由来する。現在ではここに駐車場があり、以降は徒歩になるので「車返し」といったところか。

馬返しから五合目まで、景色が大きく変わることはない。高度の関係で植生などは確実に変化しているのだろうが、緑に囲まれているという印象はずっと伴い続けていた。簡素に、しかしそれなりに整然と整備されている山道を行くのは、山を登っている感覚はあまりなく、どちらかというと鬱蒼とした深い森を左右に分け入って進むというほうが正しい。

唯一目につくのは一合目、二合目といったポイントごとに残っている、山小屋の遺構である。一合目からのルートがしきりに使われていた時代にはもちろん機能していたのだろうが、現在では過去の遺物と化している。

こうやって建物全体が残っているのはまだいい方で、多くの山小屋は基礎さえ残らず更地になっている。二合目付近で見かけた神社は、本殿と思える建物が倒壊したまま放置されていた。


五合目を抜けると、周りを覆っていた森は開け、まったく違う景色が広がる。森林限界を迎えたためか、周りの植物は背の低い花や草に置き換わっている。あまりに露骨な、しかし自然のなす色直しである。

鹿がいた。こんなところで何を食べて生きているのだろう。


五合目から山頂を目指す登山客が圧倒的に多いので、五合目には大きめのロッジみたいな場所がある。そこで昼食とした。雨が降ってきたのでカッパを着たが、すぐ止んだのでよかった。

五合目では山道を馬に乗っていく体験もできるようで、定期的に登山客を背中に乗せた馬が乾いた蹄の音を響かせながらゆっくりと歩いているのを見た。馬返しで返されなかった精鋭たちである。どうりで堂々たる雰囲気をまとわせているわけだ。


下山の道のりは行きの逆をやるだけなので短く感じる。実際、下りなので脚はすいすい進むというのもある。先ほどの小雨で岩肌が濡れ、滑りやすくなっているのに注意しながら進むと、行きのおよそ半分ほどの時間で馬返しに帰着した。

帰る頃にはへとへとになっているかと思ったが、想定より体力が有り余った。心配すべきなのは脚の筋肉のほうで、下りに無茶してハイスピード下山をしたので翌日または翌々日にゆり返しがくるかもしれない。


さようなら。

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