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女性に襲いかかってくる「キラキラ自己実現」とかいう美しい怪物の話。

3月末に私の誕生日で、4月頭が結婚記念日で、5月の末が夫の誕生日ということで、年に一度のことだし春はちゃんとしたレストランでいいもの食おうぜ!というのがうちの決まりです。というわけで、この週末にはちょっといいコースのフレンチのご飯を頂いてきたのでした。

普段は本当、特売の豚コマとか切り落としとかでいいんすよ。炊いた米に趣味の植物栽培のついでで育ててるシソ(道の駅で数十円の苗を購入)を刻んでしょう油と胡麻油を混ぜた握り飯とかわかめの味噌汁とかで十分ご馳走なんですよ。ただ、たまに「キラキラ華やかなもの」を入れてメリハリをきかせる。そういう何かしらの「ご褒美的なこと」がないと、人間って生きてて辛いんだなと。

というわけで。この店に来た時は我ら、サラダ的に花も食います。エディブルフラワー、写真にある通りのお花ですね。これはただの見た目のための飾りではなく食べられるお花で、れっきとしためんたい国産の食材ですね。この店と出会うまで全く知らんかったこと、かつ当然のことなんですが、花にもそれぞれ食感や味があるんですわ。花は食い物(真顔)。



人間の人生に必要十分な「キラキラ栄養素」の適度かつコスパいい摂取方法について。


とは言っても、我が家もそれほど金銭的に豊かな家庭でもないので、いつもこういうコースを食べているわけではないです。夫が酒・煙草をやらず人付き合い的な夜のお店に行くこともなく、仕事の他はテレビ・パソのゲームと読書とアニメ鑑賞くらいの趣味しかない人間で「美味いもの食うくらいしか楽しいことがない…」とか呟くので、まぁせめて年1の記念の食べ物くらいはなぁ…という結論です。

元々出会った頃の夫は食べ物にろくに執着がなくて「単に食物摂取のため」だけに食事している人間だったんですよ。食えればよかった。そこから約20年ほどコツコツと味覚を育てた、彼の唯一とも言える趣味なのですね。

それに、コスパについては私よりも厳格でめちゃくちゃシビアで合理主義なので、この「自分なりの合理主義で店を選別して、もくろみ通りに美味いものを食う」という一連の行為自体に達成感を得ているふしもあるんですね。

なので、今回のお店も夫なりの合理主義思考の結果、少し遠出にはなりましたがとある郊外のお店の、ランチのコースで1人7000円(ランチでは一番高いコース)です。店のヒントは、めんたい国の赤間駅から徒歩5分程度。おすすめです。

夜だと同じ店の同じレベルのコースでも1万越えてきますね。たぶん、博多駅界隈の夜のコースだと倍の14000円くらいの値付けでしょうし、東京の基準だと、2万を越えてくるかもしれません。この「提供時間帯で同じ程度の中身でも価格が変わる」ということと「提供場所で価格が変わる」っていうことを、我が家は重く見るんですね。

要は、単純な料理人の技術+食材や機材調達+各種サービス+給料など人材費の基本的なコストの他に、土地・建物代・食材を店に運ぶための燃料・交通費みたいな「場所や状況によって変動するコスト」が、当然計上された上で料理の価格がつけられているわけですが、そういう「幅があるコストの部分」にどれだけ金を出せるかと。

となると、普通の博多駅界隈で夜のコースという価格帯と同程度までなら何とか年1~2回ギリいけるか?という費用設定をしている場合。昼のコースや「郊外だけどいい店の全力最高値」を選ぶことで、夜の博多駅界隈定番コースよりとてもコスパと満足度という点で良くなるわけですね。

そして「賞とかもらっててめちゃくちゃ料理人としての技術はあるんだけど、都会だと人が来すぎたりオーナーの意向に振り回されたり忙殺されて落ち着いて好きな方向性を追求できなくなるorできなくなった、もしくは小さい子供がいてしっかり子育てにも参画したいとか家族親戚がこっちの土地の人などで、時間と精神の余裕を確保するために予約少人数・家族経営で結構辺鄙な場所でやっています。辺鄙なんですがいい食材がある農場は同じく辺鄙な場所にあってそれなり近いのでコストも安く回せます」みたいな料理人の店が、この世には、探せばあるんですね。

たまにこういう店があるから「店探し」をやめられねぇんだよなぁ。家から1時間以上かけても行く価値あるぜ。

定期的かつ適度の「キラキラ」摂取は望ましいが、過度に摂取すると…。


こういう食事には、単にたんぱく質とかミネラルとかの栄養摂取だけでなく、「単にいい食材=高いもの食ってる満足感」というだけでもなく、その店なりのこだわりや、見た目の華やかさみたいな何らかの芸術要素である「キラキラ栄養素」もあって、これは全く体の栄養にはならないんですが、心の栄養には確実になるんだなと。あと、個人的には文章書くための種にもなる。なろう貴族の飯の描写とかにも使えるんではないかと。

で、女性は特にこういう「キラキラ」を求めて生きることが多いよな、と思うわけです。仕事が一段落ついたご褒美でデザートを食べるとか。男性であっても自分へのご褒美はやっているとは思うのですが、女性の場合は特に+で「キラキラしたもの」という条件がつくかなと。

そして度が進むと、キラキラしたものを常に身に付けて、キラキラしたものを飲んで食らって、キラキラしたその生活ぶりを写真や映像で人様に公開して、「キラキラした人生を生きるワタシ、を外部から観察できる状況に置く」ことで「キラキラするワタシ」を体現するという。

この「他人の視線・観測結果」をもって私の現実とする、という表現、とても素粒子の観察とかシュレディンガーの猫の話見てるみたいでぶっちゃけ面白いんですよね。人には醜いところもありますが、コンテンツには美しいものしか上げないので観測できない。観測できない=存在しないものになる。「キラキラなワタシとして成立するためには他人の観察が不可欠」という、ものすごい哲学的かつ科学的なアプローチやってんだな?という。それは1人で黙々と隠れてやってても仕方ない、ちゃんと公開されて大多数に「観測」されないとダメなんだわ。

で、「今日食べたもの、買ったもの、いいでしょう!見て見て~!」だけで終わるとそれは他人から見て多少羨ましい~みたいなことはあってもみんなが多かれ少なかれやっていることですし、まぁ微笑ましい話やね~悔しいから足の小指ぶつけたりしろ!くらいで終わるんですが、キラキラを追求しすぎると、人間どうなるか。

その人は「自分の生き方自体」をキラキラさせたくなるのですね。

キラキラした恋人や夫、キラキラした職場、キラキラした子供作り…などなど、何だか話がやべぇ感じになってきたぜ!とお思いだと思います。はい、そうです、この辺りに過度にこだわった女は当然ですが病みますね!もしくは自分は平気でも周囲の人間を軒並み病ませます。


ある種の暴力としての「キラキラしていたい」という女心の怪物。


私も40代になって数年、ようやく「女性向けキラキラ」とのほどよい距離間を掴めてきたところです。見た目的なことも昔ほどは気にならなくなりましたし、一番大切にしていた「私の生き方」にも深く関わる自作小説の作風についても、キラキラ女性向けやめよう!と先日決着がつきました。

それで改めて周囲を見回して思うのは「女性の生き方、ってやつのいびつさ」です。

なんかこう、キラキラしていて、自由で、男に口出しされなくて、男と同等で、旧来の価値観から脱却していて堂々としていて…みたいな、華々しいワタシを実現したい!仕事も子供や生活の充実も諦めないっ!みたいな。

…疲れるな、オイ。この肩の力の入りよう…。

スマホで各種サイトを見ている時にたまにあるCMの「ママだけど夫や子供に可愛いって言われたいっ!」みたいな、たぶん20代後半から30代の方対象の化粧水とかのCMかな。そういうのを見ると、わりと苦しいですよ…?子供もいなければママでもないババアですが。なんて圧力かけられてるんだ、その年代のママさん方…。いや実際、10代と変わらないくらい若くてお綺麗な方多いけども。

あと、たまに女性ファッション雑誌の1ヶ月着まわしのコーナーなどすごい読み込む人間なんですけども。「都内のある程度キラキラめの業種の企業に勤めるお姉さんが、仕事や上司や同僚や後輩にイライラしたり成果を得たり恋に一喜一憂したり友達と喧嘩したり仲良くなったり」という物語を経ながら1ヶ月分のコーディネートを示す、という中身ですね。

東京でキラキラした職場で男顔負けに力を認められてキラキラした恋人・パートナーや友達と生きる、もうこれ「30代くらいまでの女が漠然と考える、理想の女の生き方」のイメージ図そのものやなと。家のために男の意思の上で生きるなんて古い嫌な洗脳!脱却しなきゃ!と厭っておいて、女自ら新しいキラキラな洗脳にやられてるみたいなもんですよ。これ。

夢に向かって駆け出した結果、なんて怪物作り上げてるんだよ。なんかもう、「あーっ、男のそういうところ私、嫌だった!」の、その先の希望が見えないんだよ。100歳近いおばあ様さえ、小学校6年生くらいの幼女さえ、それらの女としての感覚はあるとして、充分にフェミ的感覚や男女平等感覚が現代人に行き渡ったとして、その先はどうなんだ。状況にイヤイヤごねたり男に当たったりするだけかい。

完全に行き詰まってるじゃねぇか。私も含めてだけど!!もうこれは「新たな道を体現する女」が出ないと話が動かない気がするんですな。

ルートとしては、強き賢き女ルート2つ。

・全てを男並みにこなす生まれながらの最強女
・旧来の守られお嫁さんに回帰する賢い女

そして強さも賢さもない多くの女子のルート。

・男並みにはできないと悟り時にはぴえん泣きしつつも、じたばたすることで何かは掴みたい女

この辺りだと思うんですが、この「じたばたすることで何かは掴みたい女」でいることしか、強き女ルートに容易には乗れない、「能力・プライド的に振り切れない」女子たちには、行く先はないのですね。

このじたばたする時にさ、男相手に「なによ、私がこんなに苦しんでるんだから助けなさいよ、譲りなさいよ!あんたみたいな男より私の方がよっぽど価値がある人間なんだからね!キラキラのための資源は女に全て寄越しなさいよ!」などとキレて当たり散らするのだけは、やめたいよね。

とんだ成れの果てモンスターだよね。簒奪者の発言ですわ。簒奪者と男を厭っておいて、自分までもが簒奪者に成り下がるのか。呪われてるぞ。

ただ、このじたばた女たちの中から「新しき女の生き方」は出てくると思うんですね。そこに私は期待をかけたいんですよ。それは従来のメンタルのままの活動家を名乗る層からは生まれないんじゃないかな、と。

最近はCLASSY.さんみたいなちょっと様子がおかしい着まわしコーデの設定がネットの話題になることもあって、「着まわしの物語」を読む人も増えた感はあるのですが、昔から私はあの細かい文字の物語が好きで毎回読んでるんですね。

いやぶっちゃけ、「OL女のキラキラな生き方」以外の「シリアスギャグ」とか「ファンタジーなろう風」とかのあらすじでCLASSY.さんが着まわし作るようになってくれたの、ちょっと女が直球でキラキラ求めすぎるとかえってヤバいって現実とか「現状の先のなさ」みたいなものを編集部が悟ってくれたのか?ならありがたいかもしれん、と思ってますね。いや、実際はわからんけど。それでもまだキラキラなろう女子文脈な物語ではありますが。

やはり若い女というものはキラキラから離れられないものなので仕方ない。からすに光り物を狙うなと言うようなものだろうて。適度な向上心の糧となるならばいいのさ。

ただ、ですね。いきなりの他の方の記事紹介となりますが…。こちらを拝見して、うわああああ…などという何とも言いようもない声が、思わず口から漏れてしまうのでした。

ここら辺までの域に入ってくると、もはや社会的な問題だな…などと感じてしまうのですね。

あれか、いっそ雑誌の着まわしコーナーで「地方都市に転勤になって泣きそうな私だけど、辺境傲慢男と内心馬鹿にしてた地元の名士の次男のイケメン上司に溺愛されちゃいました。今は幸せいっぱいです!」みたいな洗脳をやればいいのか?東京至上主義の人が記事担当すると自己整合性が保てなくて病むかもしれんが…。だってキラキラしてないからダメっていうのなら、「地方勤務でもキラキラできます!安心して!」ってやるしかないじゃないの。もしくは地方の観光地いいとこです感を打ち出してだな…うん、無理っぽい。笑。東京という土地に利益があるうちは無理だな!

私はずっとめんたい国から出たことない人間なのですけども。小学校からの女友達が高校生の時に「大学は東京に出る」と言うので、何で?(そんなに東京にこだわるの?)って私が聞いたら、「東京じゃないと意味ない」的なことを言ってたんですよね。お父様が大企業にお勤めで兄弟も東京で就職、という子だったので、はなから私とは感覚が違ったんだろうなと思うんですが。

今でも彼女は東京住みで仕事もして子持ちなわけですが…最近会ってないけど、あの子どうしてるんだろうかなぁ。せめて色々押し潰されてないといいんだけどなぁ…。

しかしあれですね、「男顔負けなワタシ」という一種のワタシ強ぇ的な、女なろう上昇系を求めながらも、同時に身分や権力ある男に守られ溺愛されてぇ!みたいな、うん…生まれながらの最強女じゃないのなら、潰れる前にどっちかにしときなさいな。昔から二兎を追う者、ということわざがあるでしょうよ。

いや、男向けもオレ強ぇやりながら溺愛されたいハーレムを望んでいるので、まぁ平等ではあるかな…。ただ男の場合、オレ強ぇやってればハーレムが手に入るルートが比較的簡単に作られるんだけど、女がワタシ強ぇやっても何でか逆ハーレムは手に入らないというか、溺愛はしてくれてもメス化した男が手に入るだけで「私が受け身男を養う側になるんかい!」とキレるみたいな。

あれや。ある種の魚は最初は性別なくて、群れの中で一番でかい個体がオス化したりメス化するみたいな話聞いたことあるけど、そういう展開が人間でも起こるんかな。

つまりあれかね、おんにゃのこハーレムが欲しい男は他の男より何らかの優位性を見せたり腕力強くなるしかなく、男の娘と化した去勢済み男のハーレムが欲しい女も男並みに強くなるしかなく、強き上質男たちで構成された逆ハーレムが欲しい女は「弱さを演出できる強く賢き女」を体現し、男ハーレムの姫になりたい男は「体は小さくならなくとも女性的であることを体現する」ことで集団での扱いは望むところに近づけるかもね?という話なんだろうか。

そんでゴリゴリに性別を押し出したくない、日々淡々と生きられればそれでいいやって人は…喧嘩はいけないよね。と思いつつ、ただ静観するんだろうな。巻き込まれるとめんどくせぇからな。一番大変なのはこの層だよね。

それも戦略だと。男女平等って、何なんだろうなぁ、フフフ。ただ、女性向けキラキラ世界から降りても女性自体から降りるわけではないしなぁ。例え干物女と評されても女は女だよな。XかYかの遺伝子学上の話だけで終わりたいものですが。難しいですねぇ。



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