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頭のおかしい小骨VS根性論者の女医

また勝手にマイナス思考になって、地球上の人間全員に嫌われてしまい孤独死する妄想をずっとしている。

新年早々とても良くないな…ということで駄文でも書くとするか……。

私が強迫性障害であることはかなり前の記事で(便意の記事)触れたが、生まれた時から強迫性障害であった訳ではない。
(しかし一応遺伝は関係しているみたいである。今の精神科の時に家族の性質について詳しく聞かれた。)

発祥したのは5年くらい前のクリスマス前で
その時していた接客業のバイトでプレゼントの注文が50個くらいあったのだ。

早々と、お客さんが取りにこられる2日くらい前にすべてプレゼント包装を終えた。
が、その包装紙の中の商品の「値札」を取り忘れていないかがものすごくものすごく気になっていてもたってもいられなくなったのだ。
その時の私の思考回路を書くと

値札を剥がし忘れている→気づく客→クレームならまだいいが、せっかくのプレゼントに値札、客死ぬ

いや死なんだろ流石に!!となると思うが、加害強迫真っ最中の人間にその言葉は通じない。
ありとあらゆる色んな可能性を考え、それをすべて最悪の結果(人の死)につなげてしまうのである。

本当にこんな感じの思考になるのだ(同じ病気の方はわかると思われますが…)

結果その日は夜の22時くらい迄残り(19時半閉店)すべてのプレゼントを開封して包み直した。
異常である。

そんなことを毎日していたし
夜の帰り道もまた試練があるのだ。
道に落ちてるゴミを、すべて自分の落とした個人情報に見えてしまうので、例え50メートル先でも100メートル先でもゴミを発見したらそのゴミを拾い、表→裏→左→右という順番で確認し、持って帰って捨てるのだ。
(順番も大事である。間違えたら不安になり、また確認が必要である)

そんなことをしているので
歩きで15分の通勤の時間も、二時間くらいかかっていた。
その時の思考回路は

個人情報流失→家族友達が死ぬ

といった具合である。

私にすべての命がかかっているのだ…(重すぎる…)

毎日毎秒どんどん思考の中で私のせいで人が死んでしまう妄想がとまらない。

私はシリアルキラーか!?

自分でも、これは普通ではないと感じていた。

このままでは…脳みそ活性化しすぎて私の方がオーバーヒートして死んでしまうなハハハ!!!!!ハハハ!!!!

という訳で

その時友人が通っていた精神科に行ってみることにした訳である。

予約もすんなりとれ、病院の日がきた。

その日もかなり病気がキマっていたので、
自分が触れてしまった商品がなぞの病原体に感染したのでは!?と不安になり…欲しくもないのに
触れてしまった(服があたってしまった)商品を片っ端から買っていた。

そんな商品達をかかえながら、(あーでもこれで…今から行く病院で病気ってことがわかったらちょっとだけ楽になれるな……)なんて思っていた。

そう、このしんどさや異常さは
すべて病気のせいなのだ。と、
専門の方に言ってほしかったのだ。
私のせいではないよ…と。

さて、いよいよ精神科である。
情けなくて涙がとまらない…。べそべそと泣きながら今までの出来事を一所懸命に話した。

濡れタヌキみたいになった私の話を遮り、
女性の先生が一言

「気の持ちようですね!」

「…はぁ!?」

「気の持ちよう」

一番聞きたくなかった言葉だ。
病気でないのなら、「これ」は一生…直らない…ということか…!?

一生私はこのまま、15分の道のりを、二時間かけねばならぬのか。

絶望だそんなのは…!!
こんな…!四六時中自分が殺人犯になってしまう恐怖と戦わねばならないのなら…死んだほうがましなのではとさえ…。

「い、いやでもですね…友達とかに人を殺してないかとかをずっと聞いちゃうんですよ!?友達もうんざりしてしまっていると思うんですよ…こんなんじゃ私…一人も友達がいなくなってしまいます!」

「そんなことでうんざりする友達は友達ではありませんよ」

…そんな話をしてるんじゃねーーーつーの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
だいたいなんで友達の定義をクソ医者に決められにゃならんのや!!!!!!!!!!!!!

私は思わず、「吐き気がするほどロマンチックだぜ!お前は!」と女医さんに唾をはきかけたくなったが、その衝動を必死でおさえたのだった…。

その後も「今は泣いてもいいのよ」「私に話したから明日からはきっと大丈夫になる」「今のあなたのままで素敵よ」というような薄く軽めの慰めをうけ
薬もなにも貰えずに、病院のある都市部からまた三時間くらいかけて田舎の家にもどったのだった…。

…ファック!!!!!!!!!

しかしもちろん「明日からはきっと大丈夫になる」ことは一切なく、
私の中の加害妄想は家族や友人だけでなく、世界の人類の命が私の行動ひとつで決まるというノストラダムス的な規模へ広がっていき、毎日の生活がとても困難になっていった…。

そこでたまたま義母の友人(同じ病気の方)が
自分が通っているという病院を教えてくれたのだった。

そして私は所謂セカンド・オピニオンをした。

「重度の強迫性障害ですね。しんどかったでしょ」
…その言葉を今の先生から聞いたとき、本当に本当に心の底からホッとしたものだ……………。


五年経った今も
二週間に一度病院に通い、薬をちゃんと飲んで
大分脳みそ的に楽に暮らせるようになってきた。

うーむ…………

…セカンド・オピニオン万歳!

なにが言いたいかというと
私はあの女医のことを、一生絶対になにがあろうと…忘れられないな…ということである…

女医さん、あなたの顔はいい加減忘れてしまいたいです

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