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「おっさん」を作るのは習慣である


幸せは、よくわからない


I’llです。
今日、誕生日でした。誰からも祝われることはありませんでしたが、地元の祭りに行ってさんざん飲み食いしたので、それはそれで最高の日でした。

盆踊り会場になる予定の場所

地元の祭りはほぼコロナ前以上の盛り上がりで、市民の本気度が感じられました。家族連れやカップルなどがごった返ししていて、やっぱり景気が良いのは気持ちがいいものです。みんな楽しそうでしたし、去年の悲惨さと比較すると、やはり誰しも嬉しさを隠せなかったのではないでしょうか。

去年の誕生日から1年が経ったわけですが、中1と中2を足したくらいの長さに感じられました。よく考えれば、授業中ボーっと教科書に落書きしながら、Gガンダムや覇王大系リューナイトを見るために、学校からダッシュで帰った中学生の頃よりも全力かもしれません。ただ、中年の今になってやっていることは、だんだん中学生の頃に戻りつつあります。日がな一日漫画を描いてYouTubeを見てゲームをして、あとは適当に飯を食べて寝るという生活、不満はないのですが子供の頃の生活そのもので、恥ずかしくなります。
けれど、私は今の生活にほぼ疑問がありません。わりと誰もが大人ぶっていても、立場や外見を気にして自分が本来したい生き方や生活ができていないのではないかと思います。周りの同年代に訊いても、一番幸せな時期を「中学生の頃」と言う人はかなり多いです。自分に正直でありながら将来をそれなりに考え、周りの目を気にし始める微妙な時期は、わりと自分本来の生き方をしていた頃なのかもしれません。

習慣は身体の力と比例する

この数日で、私の考えや感覚は大きく変わりました。
ここ最近は、自律神経の乱れる原因を探り、疲労感や不調が生じる要因を突き止めることに専念しました。
今の私には特に迷いがないので、自分の決めたことをいかに効率良く確実に遂行するかを常に考えています。やるべきことをやるだけですから、とにかくパフォーマンスを向上する以外のことに頭が向きようがありません。
パフォーマンスが低下する主な原因は、フィジカル面に殆どの因子が揃っています。かつての私のように、人がパフォーマンスを発揮できないのは意志の問題とか、モチベーションとかメンタルの部分に問題を見つけたがるのですが、体の健康と自律神経のバランスが先立って問題が生じているケースが圧倒的に多い、と私は思います。
若い頃は何をどのタイミングでやってもとんでもない行動力を発揮できましたし、3時間の睡眠で36時間は平気で動けました。しかし中年になってみれば、寝て起きるだけで体調が悪くなり、すぐに肩や腰が痛くなり、ちょっと集中すれば疲れて横になりたくなります。
私は最近まで老化というのは恐ろしい、と思っていましたが、実は若い頃の方が異常なのかもしれません。人体としてのそれなりのステータスと、バフがかった強化値と比べても仕方ないな、と今では考えています。
私たちが若い頃は、体の状態を詳細に理解しないまま、メンテナンスも大したケアもトレーニングをせず、それでも体は存分に動きました。中年以降になって体がしんどくなる理由は、長年生きてきても適切な体のメンテナンスの方法を知らないからだと私は思うのです。
ここ数週間、理学療法や整体術に基づいたセルフケアの方法を学びました。そこで改めて気づいたのは、私たちが仕事のために行なっている習慣が、運動不足だけでなく自律神経を乱したり、わざとストレスを増大させる行動ばかりを続け、心身の摩耗から抜け出せない生活を、自ら選び取ってきたということです。
そして、体を正常に保つ知識が足りないため、この不調は老化のせいだと錯覚してしまいます。ですが50代で20代の若者よりパワフルに働く人を知っていますし、先日引退された元プロレスラーの武藤敬司さんは還暦になられますが、あれほど動ける若者もいないと思います。私が思うに、加齢によって肉体に致命的な差異はあまり生じないのではないかと思うのです。
ですから理論上、フィジカルを限りなく正常化すれば、若者と同じくらいのパフォーマンスを発揮できるのではないかと踏んでいたのですが、実践してみて感じたのは「ビンゴ」であるということです。

「中年」の克服、「若者」の克服

社会人になれば移動にバイクや車を使い、時間と体力を節約するため、次第に歩かなくなります。デスクに座れば猫背になって一日中座り仕事、疲れて帰ったらお酒を飲んで適当に寝る、というような習慣が身についてしまいます。
私も一日中ペンを握ってパソコンに向かい、全身のコリや自律神経の乱れを感じることなく何年も疑いなく習慣を続け、自身の不調や愁訴感はストレスや疲労、メンタルに問題があると錯覚していました。
しかし、精神的な自覚症状は原因ではなく末端の現象なのかもしれません。その症状を下支えしているのは自律神経や筋肉や血液、体を構成する部分であり、そこに問題があるせいで脳にダメージが蓄積し、メンタルに及んで初めて自覚するケースが多いように思います。
その理論が正しいとすれば、不定愁訴の原因は元を辿るとフィジカルに行き着くわけで、ここに環境的なアプローチ、栄養面でのアプローチ、習慣面でのアプローチを加え、そこに理学療法を持ち込めば健康な状態を再現できるはずです。
そうして私は栄養管理、サプリメントの摂取にこまめな休息、運動にストレッチやマッサージを取り入れ、ストレスをほぼシャットアウトする生活を送ってみました。すると、ずっと私の脳裏にこびりついていた不安症状が緩和し、体の活力はもとより心の安定を得られるようになりました。
私は15年間鬱病を患っていましたし、精神的に不安定なのは死ぬまでそうなのかな、と思っていましたが、今では周りの人の方が精神的にフラフラしているように感じたりします。
こうして健康な状態を自覚できるようになって集中力に限界がなくなったのを感じますし、まあ集中力が高いほどひどく疲れるのですが、リカバリの効率も飛躍的に向上したように思います。
これまで私が死にものぐるいで作業を続けても大して良いものが作れず、慢性的に疲労困憊だったのは、今考えれば努力や才能の問題ではなく、パフォーマンスの向上の仕方がわからなかったからです。頭ごなしに目標値をいじったり、変にモチベーションを高めようとしてもパフォーマンスにはほぼ影響しませんでした。その理由は、効率化に対する方法論を無視していたからだと思います。

若者には若者の、中年には中年のメリットデメリットがあります。若い頃は、無知で無謀でも無限の体力と集中力で切り抜けられますが、中年になればあらゆる耐性が弱まる反面、経験や知識で優位に運ぶことができるようになります。どちらが良いということではなく、その年代に合わせてやり方が変わるだけだと思います。
中年が若者のフリをすれば簡単に体を壊して終わりますし、今だからこそできる自制術や自己管理技術を駆使し、それをアドバンテージに変えるべきです。
この歳になって、若い頃の私にはできなかったあらゆることが、できていると確信する瞬間が幾つもあります。だから、今の私は今まで以上に何かをやれると自信を持って言えますし、毎日をワクワクして過ごしています。



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