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ウクライナ侵攻開始2年に寄せて

I’llです。
本日2月24日、ロシアがウクライナを侵攻開始して2年になります。
昨年、私はこちらのnoteで「ウクライナを支援する計画がある」と書きましたが、情けないことにまだ現実化できずにいます。
目の前のことに囚われ、理想にはなかなか近づけません。モタモタしている間にロシアに領土が割譲されるという憂き目に合うとしたら、今後ウクライナの方々に顔向けできません。
何とか私も事業を軌道に乗せ、国際貢献をしたいところです。

ウクライナの方々を応援する気持ちを込めて、イラストを描きました。


Слава Україні!


私はしがない絵描きですので、私自身に訴求する力はありません。ただ、もしこのイラストがウクライナの方々を元気づけるとしたら、その一助になれたら幸いです。

ここからは、ウクライナ侵攻に係る私の雑感になります。長くなりますので、ご興味のある方だけ最後までお読み下さればと思います。


報道の自由は、民主主義国だから保障される

常日頃から国際情勢を見て思うのは、マスコミや特にオールドメディアが西側の公開情報に懐疑的傾向があり、逆にロシアのプロパガンダに関してほぼノンフィルターで取り扱う情報バイアスには、純粋に国益に反するのではないかと危惧しています。
日本の主要メディアは、基本的に海外の政府系メディアの発信を文面通りに報道し、よしんばプロパガンダ寄りの情報を臆面もなく流します。それは、ロシアだけでなく北朝鮮、中国などの権威主義国家においてもそうです。
そもそも、報道に表現の自由が認められているのは、日本が民主主義国家であり西側の国際同盟の一員だからです。しかし、近年一部のマスメディアは表現の自由を逆手に取り、意図してか知らずかウクライナ支援に対して懐疑的な言説を流布させようとします。
このウクライナ侵攻は、力による現状変更として国際法に反する行為であり、国際社会の秩序を著しく脅かす行為です。その点において、ロシアを支持することはウクライナの主権を蔑ろにし、ひいては日本の安全保障を脅かす危険があります。
だからこそ、ウクライナ支援の結束を脆弱にするネガティブな論調は、結果的に我が国の国益や平和を毀損しうる可能性があります。
もし、近い将来に日本が戦争に巻き込まれ、もし近隣の権威主義国家に敗北することがあるとしたら、この国から民主主義は失われ、最終的に報道の自由も失われるでしょう。まさか自分で自分の首を絞めているとは、報道に携わる方にとって認識はないでしょうが、図式として侵略国家の片棒を担ぐこと自体、国家経済を危険に晒す行動であると指摘したいのです。もしそうではないと言うのであれば、数量的かつ科学的、倫理的見地からの批判による客観性が担保されているかを今一度確認していただきたいです。

政治的言説は宗教の域に達した

ウクライナ侵攻を始めとする国際問題を扱う時、論評する報道関係者や専門家の方には、情報としての確実性を重視し、憶測や希望を交えずに事実だけを抽出して論じていただきたいです。
今や、政治的言説は宗教戦争になりつつあると思います。
ロシア支持派は、西側の数量的、データとしての信憑性を過度に疑問視し、権威主義国家のプロパガンダに準拠することで、エビデンスの質に差があることを認めようとしません。
必ずしも、ウクライナ政府が全て正確な公表をしているとも言いませんし、西側のマスメディアもどこまでバイアスのかかった情報であるかは不明瞭なものの、明らかにデータとしてあり得ない数字を公表する側を重視するのは、ロジックとして不自然すぎないでしょうか。
世界中の情報ネットワークに仕掛けられた、ロシアの超限戦や影響力工作がどれほど数多の言説に影響を与えているかはっきりとわかりませんが、ロシアを擁護し利するような発言を行う人々のロジックが、ロシアのナラティブを大きく逸脱したものではないと確認できる以上、彼らは科学的な分析と思想によるものではなく、宗教的信奉によってロシアを支持しているとしか思えません。
米中冷戦が始まった現在、共産主義側と資本主義側の二項対立が顕在化し、共産主義の側に立つ人々は、例えロジックが不利であろうと権威主義国家の肩を持たなくてはならない理由はわかります。しかし、あえてロジックか不利であると明白でありながら、国際法を破り国家主権を脅かす側に回るのは、信仰心によるものであると見られても仕方ないと思います。
どんな神様を信じようと自由ですが、その信仰心によって間違いを犯すことは多分にあるはずです。私はロシアを擁護するのは間違いであると言うつもりはありません。そのナラティブの信憑性や客観的根拠について、きちんと検証した上で出した判断に基づいて欲しいと言いたいのです。

イメージや感情で人の命運を決めてはいけない

現在、ウクライナ支援は各国の利権や思惑がありながらも、徐々に前進しています。アメリカの国内情勢やEU内の軋轢も見え隠れしますが、西側諸国はここでロシアに反省を促すことが自国の安全保障や政治リスクに有益であることを知っています。それは近隣に脅威がある日本も例外ではありません。
アメリカの国内は分断状態にあり、ロシアからの情報工作がどの程度か計りかねますが、ロシアンナラティブが深く浸透していることは間違いないでしょう。そこでは、明確に検証されたわけでも確固としたリソースがあるわけでもない憶測によって、国民感情を扇動し世論を変えようとする動きがあります。
どれほどアメリカ国民の国益に対する考え方が内在するにせよ、旧敵であるロシアを利すれば、近い将来アメリカが割りを食うのは明白でしょう。だからこそ、国民感情で国際政治を動かすのはリスキーであり、イメージや感情に従って判断をすれば、とてつもない損害を被ることにもなりかねません。
マスメディアもどこまで透明性があるかは疑義があり、ネットの情報はさらに有象無象です。だからこそ、個人がイメージや感情で世界をわかった気になり、憶測で人命や国家の命運を判断するのは、他国だけでなく自国の主権を脅かすことにもなりかねません。
私たちは情報について常に中立であり、事実に対して客観視し、時には耳の痛い話も聞き入り、国益や倫理を鑑みて自分たちの方向性を決めるべきです。扇情的な言説は人々を巻き込みやすく、怒りや悲しみはロジックを失わせます。しかし、その時こそ冷徹なリアリズムが求められるはずです。
ロシアのウクライナ侵攻を通じて、これを地続きの現実と受け止め、国家とはどうあるべきか、人間はどうあるべきかを日常の中で少しずつ意識を広げていくことが、我々小市民ができる平和活動であり民間防衛であると思います。
まだウクライナでの戦闘は続きますが、力による現状変更は人類にとって最大の悪業であり、国際法を遵守する民主主義諸国にとって、専制国家の謀略は阻止していかなければならないことです。

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