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言霊師#2 呪詛の対価

そこは下鴨神社参道の裏路地にある見た目は昭和のレトロ喫茶店風の外観のお店。

そのお店の入り口から向かって左側の壁は和洋東西も時代も問わない古書が埋まった本棚に占められ、その反対側にカウンターと定員6人が腰掛けられるチェアーがある変わった作りである。

季節は梅雨。さあさあと外の地面を濡らす雨音をBGMに客の居ない店のカウンター内で店主の箒木保ははきぎたもつ。27才。

本来なら商品である古書を読みながら自分で淹れたコーヒーを味わうという古書店兼喫茶店というこの変わったお店のあるじのささやかな権利を愉しんでいた。

んふふー、んふふふふふ、ふーふーふー♩

と大昔テレビで流れていたCMソングを鼻で歌いながらオーブンレンジの中のカスタードプリンが焼けるのを待っている時にがらん!と入り口ドアのベルが景気よく鳴り、差していた傘をすぼめて右脇にある陶器の傘入れに突っ込んでからぺたぺたと保の真ん前の席に直行したのは…

「遅ればせながら開店おめでとさん!これはお祝いやから受け取ってや!」

としっかりビニール梱包された上に青と水色のリボン掛けされた包みを渡してくれたのは如何にも法事か祓いごとの帰りと言った体の袈裟懸けの僧侶だった。

この僧侶は天台宗のとある寺の住職で瀧喜平たききへいさん。法名は龍雲といって知る人ぞ知る祓いの力に長けた密教行者なのである。

ことし41才の龍雲さんは実はこの店の先代である保の叔父、つとむの頃からの常連で店の裏の仕事でもある憑き物落としのメンテナンス。つまり客の念の取りこぼしがないか、保が取り憑かれてないかをチェックする役割も請け負っていた。

いわば持ちつ持たれつ。という関係性のこの僧侶に保は開口一番、

「ありがとうございます…ってなんで貴方はいつもカスタードプリンを焼いている時に雨連れて来るんですかね?」

と丁度焼き上がりを知らせるオーブンのブザーが鳴り、ミトンをはめた両手で天板ごと六つのカスタードプリンを取り出して型ごとケーキクーラーに乗せた。

「粗熱が取れるまで約30分、型抜きして30分冷蔵庫で冷やしますから結構待ちますよ」

かまへんかまへん、と袈裟を下ろし先に注文したブレンドコーヒーを啜る龍雲さんははぁ〜と本当にひと息ついた様子で両肩をすとん、と下ろした。

「行ってきたお仕事って曰く付き事故物件ですか?僕の当てずっぽうだけれど殺人事件現場…」

当たりや!と龍雲さんは保を両手で指差した。

「視えへんのに保ちゃんは勘が鋭いなあ。それにここに居るお狐さんも今日も元気や安心せえ」

ここで言うお狐さん、とは生まれた時から保を守っている白狐で牛ほどの大きさもあり、開店中は本棚の前に寝そべっているらしい。

稲荷系神社の宮司の三男に生まれた保は生まれつき発する言霊の力が強く、それは祝詞を唱えるときには強力な祓いになるのだが、嫌いな相手に毒づくと本当に怪我、病気、廃業の憂き目に遭ってしまうので両刃の刀ともいうべき力でもあった。

故に、父宮司は保には神職の資格を取らせはしたが、神社の繁忙期と曰く付きの土地の地鎮祭で祝詞を唱えてもらう以外は実家の手伝いをさせないようにしている。

それでも息子には呪詛師などの間違った道に入らぬよう日頃の言葉の使い方について厳しく戒め、人を助ける方に力を使うよう術式を教え、さらには行儀見習いとして保が小学生の時から龍雲さんのお寺に通わせていた。

力の使い方を身に付け成人した保は京大文学部を卒業して神職の資格を取ると実家で二年間修行してから東京に移り、恵比寿のカフェで二年、さらにパティシエ修行を二年経て京都に戻り、先代の伯父ががん治療のため三年間閉めていた喫茶店を再開させた。

というのがこの古書喫茶「ことのは」の経緯である。

竹串を使って型から外したカラメル垂れるプリンをガラスの器に移し、冷蔵庫に入れたところで保は龍雲さんから頂いた包みを開いた。

中から出てきたのはハードカバーの今昔物語現代語訳全六巻の内の一冊。

予め青い付箋が挟まれたページをめくるとそこには東寺の空海と西寺の守敏しゅびんが神泉苑祈雨の法力競いを行い、結局雨を降らせた勝者は空海。という有名過ぎる逸話だが…

「この雨乞い合戦なあ、『実際はやってへんよ』と言わはる訳」

「誰が?」

「弘法大師はん」

「ああ」と何の疑問も持たずに保は頷いた。実は大学時代、この話はどこまで史実なのか?と今昔物語すり合わせ研究を教授に手伝わされた事がある。

「ここだけの話ですがその雨乞い合戦、
『実際は神泉苑でやってないしバトってもいない』のが僕たちの結論です。当時のお大師は天皇家の禁苑である神泉苑に入れる身分でも無いし、西寺の守敏さんのほうが身分は上だったので争うなんて事はない。

祈祷は東寺と西寺でそれぞれ行われていて善女龍王云々は置いといて、神泉苑で祈祷をしたのはお大師さんではなく実弟の真雅さん。という史料の上での結論です」

やはりさよか、と龍雲さんはコーヒーカップを空にして頷き、何も無い上空を眺めながら、

「…やはりなあ、ましてや『死ね死ね』な呪い合いなんてちゃんとした行者がする訳ないんや。自分に跳ね返ってくるのが解ってるから」

「ここ十数年素人による呪詛が満ち溢れてますよね」

とネット上を席巻しているある媒体について保が触れると、あれなあー。と龍雲さんは眉根を寄せた。

「どっか国の信心も敬いも無い人間をバカにした欲たれが金儲けるために使ったシステムがこんなに世界をダメにしてもうた。当初の便利な連絡手段ではなく感情のゴミ箱として使い始めたんが終わりの始まりや。
ユーザーを死に追い込んだら自分に還ってくるのも知らんでつけつけと笑いよる。
ったく…
この世に呪詛地獄作ってどないすんねん」

やがてキッチンタイマーが鳴り、冷蔵庫から取り出したカスタードプリンのてっぺんにひと絞りのホイップクリームと缶詰のさくらんぼを乗せて「はいお待たせ」と龍雲さんの前に置くと甘い物好きの彼は相好を崩して「ではいただきます」と背筋を伸ばして両手を合わせた。

「あ、ぁ〜、このかちかちぷるぷるがザ・昭和の喫茶店プリンやねん…」
とひと匙ひと匙口に入れて咀嚼し、ご馳走様と合掌した龍雲さん、

「そういやこないだ、作家の黒髪樹の筆、折ったやろ?」

と保に向かって笑顔で問うた。

「ええ、折りましたよ。売れなくなった逆恨みに叔父さんに生霊飛ばしした上、専門の呪詛師雇って病にした対価を払って頂いたまで」

と答えた保もまた笑顔だった。

どうりでなぁ、と龍雲さんは懐から取り出したスマホに表示させたネット記事、

作家、黒髪樹。療養につき活動休止。がんか?

を保に示して見せた。

「これは因果応報の罰でたもっちゃんは正しく力を使うたから何も言わへんけど、

呪詛の対価は金持ちから財産を。一般人から健康を。悪人からは命を取るから気をつけて仕事せい。という意味でこの本プレゼントした訳」

「いやぁ、実はね。黒髪サン追い払ったあと叔父の調子が良くなりましてね。『保、がん治療ってこんなに楽やったんかい?』と叔父自身が驚くほど寛解に近づいています」

「え?じゃあこの店に帰ってくる事もありうる?」と龍雲さんの表情が店に入ってきて最上級ってくらい輝いた。

「たぶん祇園祭から五山の送り火の間には復帰するかと」

いやあ、良かったわ〜。と喜ぶ龍雲さんに向けて保は、

「今回のことはここ三十年で面白くなくなった活字の世界を活性化させるために老木の筆を折り、若く才能ある書き手を世に出す新陳代謝に手を貸しただけですから」

とこともなげに言って自作プリンを一口含み、

うまっ!と子供のように喜んだ。



























































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