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嵯峨野の月#106 常の白珠

第5章 凌雲4

常の白珠

あれは延暦十五年四月(796年5月)のひと月後には梅雨を迎える初夏の宴のこと。

もうお酒も肴も宴客に全て回ったわね。

と思って尚侍明信が女官たちに「様子を見ながら休憩していいから」と言いつけて自分も定位置である帝の背後に腰を下ろした時だった。
突然、
「いにしえの野中古道のなかふるみちあらためばあらたまらんや野中古道」

(昔からの野中の古い道は変えようとしても容易く変えることができないものだね)

と泥酔なさっていた桓武帝が戯れに万葉風の古歌を明信に向けて寄越したのだ。

歌というものは殿方が女人に送る時は恋の歌となり、

私があなたに抱いていた昔の恋情、それは今でも変わっていないんだよ。

という過去の肉体関係を公衆の面前で言われたにも等しい。

明信が桓武帝と若い頃恋仲だったのは周知の事実なので、

もう昔のことだ。

こういう時は気の利いた返歌でもするのが熟練の宮中女官の務めなのに、明信は本当に羞恥の余り何も言えなくなってしまった。

相手が頑固に押し黙っているので桓武帝は調子に乗って、

「おいおい、だんまりとはつれないなあ、じゃあ私があなたに代わって返歌してあげよう。こういう時はこう返歌しなくちゃ駄目なんだよ」

きみこそは忘れたるらめにぎ珠のたわやめ我はつね白珠しらたま

(天皇であるあなた様はもう私のことを忘れてしまわれているのでしょうが、
女の私は永遠に変わらない白い珠のように、あなたへの変わらぬ想いを抱き続けているのでございますよ)

酔った客の間から笑いが起き、素晴らしい応答歌でありまするな、帝ばんざい!

いやあ年を重ねた男女の恋の駆け引きは奥深いものですな。

見なさい、尚侍どのが恥じらっている。老練の女官だと思っていたあの人のうぶな様を見るのはたまらないねえ。

と宴席の貴族たちから囃し立てられる中で明信は、

そ、そりゃ互いに五十越えて初老の域でしたけれど私はとうに人妻なのに帝ったら過去の関係をあからさまに歌でばらしておしまいになるなんて…

あの時は本当に穴があったら潜り込んでしまいたいくらい恥ずかしくっていたたまれなかったのですよ!

と夢の中の桓武帝に文句を言って明信が目覚めたのは橘嘉智子立后の慶事のお祝いの雰囲気がさめやらぬ弘仁六年の秋、

「おばあ様」と遠慮がちに自分を呼ぶ孫娘、藤原平子の声に明信は首だけこちらに向けて「起きてますよ」と答えた。

尚侍を引退した後の明信は亡き夫、藤原継縄ふじわらのつぐただが建てた

桃園

と呼ばれる豪邸で桓武帝女御であった孫娘の藤原平子と、彼女の娘で桓武帝皇女伊都内親王、伊都の夫の阿保親王と隠居生活を送っていた。

尚、阿保親王は「記録の上では」政変のせめを負って太宰権帥に左遷。

とされているが嵯峨帝は兄上皇と高岳親王の様子を探るための密偵として阿保を使い、奈良と都を行ったり来たりさせていた。

今年に入って明信は病で寝付く事が多くなり、夏の厳しい暑さでお体が持ちますまい。と薬師に言われていたがこの夏をどうにか乗り切った。

床に半身起き上がるまでに回復した明信は平子の「お見舞いのお客様がいらしております」引退し、息子の乙叡たかとしも亡くなって誰からも忘れ去られたこの邸に来客など珍しいことだ、と思って「どなたなの?」と尋ねると、

「そ、それが中納言藤原葛野麻呂さまなのです!」

とうとう我が人生最後の気掛かりに決着を付ける時が来た。

覚悟を決めた明信は平子と女房たちに「このような見苦しいなりでは公卿の前に出られませんわね」と化粧道具一式と手持ちの中で最上の衣装と簪を女房に用意するよう言い付けた。

葛野麻呂は半時(一時間)ちかく待たされたてやっと御殿に通され、病身と聞かされていた明信が長い白髪を豊かに結い上げて前髪に簪を差し、衣装も化粧も寸分の隙無く仕上げた彼女の姿に気圧される形になった。

なんという人だ。

かつては我が娘明鏡を拐かした憎い女だと思っていたのに、病身の身を押して我を迎えてくれるとは…

この人は権高いのではなく、誇りが高いのだ。

とようやく亡国の姫君、百済王明信としての彼女の本質を理解した。

「実は明信さまにとっておきの気付けの薬をお持ちしてございます」

にこり、と口元に笑みを浮かべて葛野麻呂が背中に隠していた童子を自分の隣に座らせる。

その童子の顔立ちは明信にかつての恋人、山部王(桓武帝)との間にもうけた娘、明慶を。さらには明慶と葛野麻呂との間に生まれた孫娘、明鏡を思い起こさせた。

「もしかしてこの御子は」

「はい、源信みなもとのまことさまでございます」

ほう、と明信は胸郭全体を使って息を吐き出すと団扇で顔を隠し息を整えてからふんわりとした微笑で信に語りかけた。

「はじめまして信さま。おいくつになられましたか?」

「五才になります」

と快活そうに答える信を明信は頼もしく思った。この邸で生まれて以来五年ぶりの曾孫との再開に胸が詰まり目頭が熱くなる。

「…本当に最高の気付け薬でしたわよ」

もう何年の時がたったのであろうか。

明信は若き日の山部王との許されぬ逢瀬を、

葛野麻呂は明信の娘とは知らずに契りを交わした明慶との短かったが幸せだった日々を、

それぞれの心で思い返していた。

明慶が亡くなるすぐに娘の明鏡を認知して藤原北家に引き取ろうとした所を実の祖母である明信に出し抜かれて宮中に拐かされてしまったことから二人の間に遺恨が生まれた。

最愛の女人との間に儲けた娘を取り戻すためにどんな手を使ってでも出世してやろう。

と葛野麻呂は命がけである遣唐大使の任を引き受け、途中色々の苦難を越えて見事それを果たした。

結果的に平城上皇が起こした政変でも処罰を免れ、自分が公卿として政の中枢にいられのは、ひとえに唐帰り、という「箔」を付けたお陰なのだから。

今さらこの人に遺恨などない。

何故なら明鏡が帝との間に生まれた皇子の後見に、と我に信さまを託してくれた時に
明慶との愛は成就した。と満足したのだから。

今さらこの男に怯えなんてない。

孫娘の明鏡を宮中に匿ったつもりが父親であるこの男の恨みを買い、手段を選ばない藤原家のやり方をずっと恐れていたが、明鏡自身が我が子を臣下にしていただくと宣言して実父の野心を挫き、

信さまがお生まれになった時点で桓武帝との血脈が繋がれ、報われたのですから。

赦しというには綺麗過ぎるし、諦めというには虚しすぎる。

ただ、年月が経ち過剰な思いをかける理由が双方に無くなっただけのことなのだ。

最も愛する男から強引に引き離された女と、
最も愛する女に先立たれ生まれた娘を取り上げられた男が同じ部屋にいて互いの末裔である信が菓子の焼き栗を食べるのを笑って見ている。

「不思議なものですな、
人というのは相手に一方的な思いを寄せては失念し、
あるいは恨み、
あるいは諦めつつも執着を捨てきれずに生別や死別をしていくものだと思っていたのにまさか我々がこのような別れの形を迎えるとは」

「わたくしもそう思います」

狭隘な渓谷の急流から河のなだらかな流れへ、そして広い海のような心で老いた互いをいたわる姑と婿は信をはさんで昔語りをし、日が暮れる前に葛野麻呂は信を連れて桃園から退出した。

最後に明信から「お気をつけてお帰りあそばせ」と見送られた葛野麻呂は帰りの牛車の中で、

やれやれ、見舞客が病人に丁寧に見送られるなんてな…明信どのよ、貴女には完敗だ。

とひとり苦笑いした。

それから半月後の弘仁六年十月15日(815年11月19日)、明信は家族に看取られて息を引き取った。

「ほとんどお苦しみになることはなく眠るような最期でした」

と葬儀に参列した葛野麻呂は臨終の様子を平子から聞かされた。

ただ…と明信の曾孫婿の阿保親王が「最後のお言葉は何か歌をお詠みになっていたようで」と何かを思い出したようなので、

「何と言われたのです?」とさらに尋ねると阿保親王ははた、と手を打ち、

都禰乃詩羅多麻つねのしらたま、という言葉だけははっきりと聞こえました」
と答えた。

常の白珠。
その言葉を聞いただけで葛野麻呂は自分も招待されていたあの宴の桓武帝の古歌に何も言えなかった明信の様子をありありと思い出した。

ああ、あの方は泉下へ向かう夢うつつのなかで迎えに来た桓武帝にしっかりと自分の意思で返歌なさったのだ。

明信どの。

貴女の生き方は側にいる形が変わろうともひたすら愛する人を思い続けた、まさに常の白珠(変わらぬ想い)でしたな。

百済王明信くだらのこにしきみょうしん、帰化した渡来人の姫として生まれ延暦の時代に尚侍として女官の頂に立ち奈良から平安の時代にかけて宮中に咲き誇った大輪の花であった。

嵯峨帝は長年父帝に尽くしてくれた明信に贈従二位。

「父上、伊予の兄上、妹の高志、そして母代わりの明信…人生三十年近く生きていると次々と別れが迫るものだな」

嵯峨帝は縁側で息子の信に初めての横笛の稽古を付け、

「唇は微笑んだ形で真ん中だけを開き、唄口(息を吹きこむ穴)に下唇に少し付けて上から下に息を吹き込むようにするのだよ」

と細かく指導していた。

その様子を庭から見ていた葛野麻呂が親子の睦まじさを微笑ましく思い、

「我は六十近く生きて参りましたが、生まれて来るお子との出会いも次々とやってくるものですよ」

と言うと嵯峨帝は横笛に息を吹き込む信をご覧になりながら、

「今回は中納言に負けたな」

と縁側の向こうに控える葛野麻呂に向かって降参、とばかりに肩をおすくめになられた。

「こうやって信が健やかに育っている様子を見ると中納言に預けて良かった。とつくづく思う」

主のお言葉には…と畏まり

「我に何があっても十人の息子たちに『信さまを大切にせよ』と遺言してありますのでご心配なさることはありません」

と余裕の笑みを浮かべる葛野麻呂に対して嵯峨帝の背後に控えていた信の母明鏡が、

「だからといって甘やかしてお育てになるのはあってはならない事か、と」

と釘をさした。

葛野麻呂は下を向いて肩を揺すり、嵯峨帝は

「まったくいつも口では明鏡に敵わぬ!」

と政務続きで忙しい合間の安らぎの中で笑った。

その内に信が横笛を回しながら唄口に唇を当て、
最初の音を発した。
その一音がまるで解き放たれた鳥が空に駆け上がるような勢いだったので、

「巧いな!信。初めてでそのような音を出せるとは…この子はいずれ楽の名手になるやもしれんぞ」

と息子を褒めちぎった。

昔、無位無冠の山部王だった頃の桓武帝が初恋の異国の姫君明信にに求愛して明慶が生まれ、

夫に先立たれた明慶が葛野麻呂の求愛を受けて明鏡が生まれ、

宮女となった明鏡が嵯峨帝の寵愛を得て信皇子が生まれた。

こうして三つの愛が帰結し
明鏡がこの国の未来に向けて遺した大いなる遺産。

それは、源氏げんじ

後記
明信さんが何も返歌しなかったのは、怒っていたから。




























































































































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