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嵯峨野の月#49 平城朝

遣唐13

平城朝

昔、ある青年がかつて無いくらい清々しい朝を迎えた。

この場合、普通の青年なら「それはようございましたね」と返事して済むところなのだが

彼の場合はかなり事情が込み入りすぎた時期での爽やかな目覚めだったので、自分でも驚いていた。

青年の名は安殿あて
7日前、父桓武帝の崩御を見届け、事実上の皇位継承である践祚せんその儀を終えたばかりの第51代天皇、平城帝へいぜいていその人なのである。

践祚せんそとは、天子の位を受け継ぐことであり、それは先帝の崩御あるいは譲位によって行われる。

新帝は直ちに天皇玉璽てんのうぎょくじと三種の神器を先帝より相続する剣璽承継けんじしょうけいの儀を行い、

これに続いて位に就いたことを内外に明らかにすることを即位という。

桓武帝の御代までは践祖そのものが即位だったので先帝崩御、践祖、その後で即位の儀と順序立てて執り行った天皇は平城帝が初めてであった。

践祖を終えた翌朝、平城帝は父桓武帝という良くも悪くも大きな存在であった方の崩御を確認した時に感じたもの、それはまるで衣を一気に三重も四重も脱ぎ捨てたかのような解放感だった。

父上は、もういない。
ああ…これで『朕』は、やりたいことが出来て、呼びたい人を呼ぶことが出来る!

自分の腹の底から活力と衝動が沸き上がった
平城帝は、すぐにそれを実行した。

朝起きた時の体調と心境を洗顔の水を入れた角盥つのだらいを持った女官に告げると、

「まああ、それはようございましたわねえ」
と尚侍、藤原薬子ふじわらのくすこが春の陽気のような美しい笑顔でにこにこ笑い、自分の話に丁寧に受け答えしてくれている。

平城帝は幸せだった。自分は至尊の身であり、こうして唯一求めていた女人をこの手に取り戻す事が出来たのだ。

開ききった桜の花が風で散り葉桜になりゆく季節、平城帝は最愛の女人である藤原薬子を尚侍に任じ、その夫である縄主ただぬし大宰帥だざいのそち任官を命じて直ぐに太宰府に追いやった。

皇太子と妃の母、つまりは婿と姑の密通というあの醜聞発覚から6年も経ってさすがに帝も「おとな」になられて自重なさるだろう、多くの貴族たちが思っていたが…やはり、期待外れだったか。

と帝が最初に行った人事に皆鼻白んだ。そう、一人だけを除いては。

「都じゅうが先帝の喪に服す中、殿だけはなんだか生き生きしてらっしゃいますのね」

と、妻の広子が何の邪気も無く聞くので参議、藤原葛野麻呂は広子の膝枕の上でふふ、と微苦笑を浮かべた。

平城帝の即位に伴って葛野麻呂は式部省のりのつかさに任ぜられる事が決定した。

式部省とは文官の人事考課、礼式、及び選叙(叙位及び任官)、行賞を司り、役人養成機関である大学寮を統括する、現代でいう文部科学大臣に相当する要職である。

先帝崩御、践祚を滞りなく終え、これからは平城帝の御代。ということを知らしめる即位の儀の準備で多忙を極める中での、夫婦水入らずのひととき。

思考から政務を完全に他所に置いていないと、この時代の貴族はやってられない。

藤原北家のこの夫婦は庭園に咲き誇る花々を縁側から眺め楽しんでいた。
「それはあなたに見惚れているからだよ」と葛野麻呂は広子の頬に手をやり、さらに顎を引き寄せて夫婦は唇を重ねた。

小柄で軽い妻のからだを抱きかかえて帳張の中に隠れ、昼日中から若く弾力のある妻の裸体の上で息を弾ませる。

広子は嬉しそうに夫の首に抱きついて小鳥のような可愛い声を断続的に上げた。

…使用人が無粋な報告をしに来たのは閨事が終わって汗ばんだ広子のからだの上でまどろんでいる時であった。

「殿、急な御用向きがあるとお忍びの客人が」
「誰からだ?」
と帳張の向こうで起き上がる主人の声は不機嫌そうである。
は…使用人はさらに身を縮めて口にするのも畏れ多い貴人の名を告げた。

「参議、藤原緒嗣ふじわらのおつぐさまでございます」
「何だと!?」

とと衣の前をはだけた主人が慌てて帳の奥から出てきて、「すぐに客人をお通しするんだ!替えの衣を持て!」と命じ、菩薩の微笑で眠る広子の肩を揺すって「悪いが、客人をもてなす支度をしてくれないか」と若い正妻を急かせた。

客人で参議の藤原緒嗣は今年33才。色白だが角ばった輪郭、眉がきりりとして、謹厳実直を画に描いたような顔立ちをしている。

桓武帝の舅にあたる藤原百川の長男というだけで出世した事実はあるが、桓武帝の御前で30も年上の菅野真道を論破し、帝にこれ以上の都の造営と東国進出の中断を決意させた、

式家の人間にしては珍しく優秀な男である。と葛野麻呂はこの若い公卿を内心高く評価していた。

酌をしてくれる広子までをも人払いした上での緒嗣の報告に、葛野麻呂は「何ということだ…」と両手で頭を抱えた。

「帝をお諌めできるのは、私と、緒嗣どの。あなた以外にいないのですぞ…それでも帝は」

「は。『皇后は立てぬ』と固辞なさっておいでです…
お妃の朝原内親王さまを是非皇后にお立てになるべし。
皇族で元斎王であらせられる朝原さまが一番相応しい。
と進言したのですが」

酒肴に手を付けず、両膝の上で拳を握ったまま緒嗣は「いくら男女の仲でなくとも」といまの時期に皇后を立てる重要性を葛野麻呂に説いた。

「皇女さまを皇后に立てて臣下を安心させるのは、過去の帝もやって来ていることではないですか!いえ、帝は民臣下の為にそうするべきなんです。徹底的に地に堕ちた自らの汚名を挽回するために…あ、失礼」

平城帝の腹心である葛野麻呂に向かって言葉が過ぎた、と緒嗣は素直に謝した。

「いや、本当のことだからよい。まさか汚名の原因になった女を宮中に呼び戻して尚侍に叙するとは私も信じられなかった…つくづく夫君の縄主ただぬしが哀れでならないよ」

緒嗣の前で神妙な顔をしてみせて葛野麻呂は酒を一口含んでから緒嗣を黙らせる一言を切り出した。

「だが緒嗣どの、帝は早逝なされたお妃の帯子たらしこさまに追皇后という諡号を贈られた。あなたは皇后の兄、というまことに名誉あるお立場になられたのではないかね?」

痛いところをつかれた…という風に緒嗣は斜め下に目線を反らし、「やあこれは豪勢な酒肴だ」とわざと明るく振舞い、膳に手を付け酒を飲んだ。

「心配ごとは飲んで忘れるに限る。私たち藤原の者は式家も北家も無く力を合わせて帝をお助けせねばな…お互い即位式まで気の抜けぬ身、今宵は遠慮なく飲むのだ」

ここまでの帝の行動は自分の計画どおり、と内心ほくそ笑んでいた。
三から十まで閨事を仕込んだ女を尚侍にし立てて、あの孤独でお可哀想な安殿さまを慰撫するために後宮に送り込んだのだからな。

薬子には働いてもらわねば。

元々酒好きな緒嗣は、葛野麻呂の言葉に甘えて大いに飲んでこの季節は人麻呂の歌が良い、だの王維や杜甫はどうかね?など風流の話で語り明かした。


6年前、春宮だった安殿との閨の場にあの男が踏み込んで来た時も、娘ともども宮中から追放された時も薬子は、

ああ、これで全てが終わったとは思わなかったし、貴族たちの噂の種にされてみじめだとも思わなかった。

夫の縄主も官位を下げられたし、
元春宮妃の娘の素性を隠して他家に嫁に出すために仲介した者に因果を含めたためにかなり金が掛かった。
子供たちの養育のため、やり繰りに血の出るような苦労もした。

だが日頃の忠勤を認められていた夫はすぐに官位を取り戻したし、愛する安殿さまと自分を引き離したあの男、桓武帝も死んだ。

あの日の夕方、やけに赤っぽい雨が降ってすぐに止んだので不思議なこともあるもの…と薬子は思ったが、

翌朝、朝廷からの使者が自分を女官としての最高位、尚侍に叙すると伝えた時、ああ…これでこれで6年間の自分の苦労が報われた、と思った。

桓武帝は享年70。この時代の人にしてはかなりの長寿であった。

ある年寄りを邪魔だ、と思えば何もせずに10年覚悟して待てばいい。

すべからく人は死ぬのだから。
自分の目論見通り桓武帝は死に、安殿さまが天皇におなりになって、自分は尚侍として宮中に返り咲いた!

久々に額に凝った模様の花子かしを描いて化粧をし、正装を身に付け参内した宮中の廊下で引退したばかりの元尚侍、明信とばったり出くわした時には少し驚いた。

あの夜、桓武帝に告げ口して自分を宮中から追放したはずの女なのに薬子は明信に何の恨みも無く、目の前の老いた女の白粉でもごまかせぬ皺や首もとのたるみを見つけて、

あなた様はこれから何の生き甲斐もなく、姥として引きこもって鬱々として死んでいくのよね。

と哀れみの感情さえ抱いた。
外ではぴちち…と雀が鳴いて、蔀戸の隙間から柔らかい光が差し込んでくる。
薬子は畏まりながら自分に道を譲る明信の横を通るまでずっと上機嫌で居た。

「少しお化粧が派手でございますわね…天皇の『女』というだけでは尚侍という重責、務まらなくてよ」

と忠告めかした嫌味を明信の口から聞くまでは。

薬子は表情ひとつ変えず、少しうつむいて団扇で顔を隠してからそのまま明信の前を通り過ぎて新しい帝の御前へと歩を進めた。

全てはうららかな春の日の、人々まだ眠たき朝に起こった出来事である。

この時明信が薬子に放った一言が、酷すぎる報復となって返って来ることになるなど、

最愛の桓武帝を失って悲嘆にくれる姥桜は思ってもいなかった…

後記
団扇の向こうの薬子の表情は…ご想像にお任せします。






































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