電波戦隊スイハンジャー#79

第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘

焔の天使ウリエル3


「大丈夫。奥様は鎮静剤で眠ってますよ」

空海医療団、精神科心療内科担当の真雅が妻に付き添うクラウスの背中に優しく声をかけた。


「マエストロも今夜はここでお休み下さい」真雅の手には熱いおしぼり、もう片方の手にはカモミールティーの入ったマグカップ。


よほど自分は疲れた顔をしているらしい。とようやくクラウスは気づいた。「すまんな」と礼を言っておしぼりを受け取り、顔の煤を拭い去った。


かたわらの診療台では妻の孝子が静かに寝息を立てている。


元々おっとりなお嬢様然とした顔立ちで、実年齢の52歳より10歳は若く見られる自慢の妻だった。


結婚して30年。こうしてよく見ると目元に細かいしわが出来ている。額の生え際から白髪が何本も伸びてきている…娘クリスタを亡くしてから、孝子はんは急に老けた気がする。


この上葉子の身にまで大事があったら?孝子はんはどうなるんや!?と思うと耐えられなくなる。


カモミールティーを口にしてクラウスはこの中性的な顔をした日本人僧侶医師に向けてではないが、思わず自分の心情を吐露していた。



「ちょうどこんな状況やったんや。わしが東京公演の後で過労で倒れてソファで横になってた。


そん時熱いおしぼりと冷たい水を持ってきてくれたんがまだ22才の、音大出たばっかりの孝子はんでな…

この人は『ミュラー先生、根詰め過ぎですよ』って額を拭いてくれたんや。


彼女のほっそい手首掴んで思わずわしはMarry me!って結婚申し込んだんや。


おかしいやろ?40過ぎのおっさんが、20も年下の第一バイオリンの女性にいきなりプロポーズやで。その頃故郷の両親も死んで無性に寂しい、思てたんや」


「で、孝子さんの反応は?」


「びっくりしながらも『は、はい…』って顔赤くして答えてくれてな。めっちゃ可愛かったねんで…すぐ国際結婚したで。


2年経っても子供が出来ないんで医者に診てもらったら、孝子は卵巣が未発達で妊娠は無理と言われた。


わしは貴女が居てくれるだけでいいんだ、と言ったんだが、孝子にとってはとても辛い事実で、彼女は次第にノイローゼ気味になっていった。


わしは気晴らしにとヨーロッパ公演に孝子を連れて行った。そして慰問で訪れた西ベルリンの施設にいた10才のクリスタに…彼女の言葉を借りて言えば、一目惚れしたんやな。


顔立ちがわしに似てるから、やて。クリスタを養女にしてからは幸せやった…


子供を育てて音楽教えて、クリスタが成長して恋をして結婚し、葉子が生まれた。でもその幸せの絶頂でクリスタは逝ってしまった」


眠る妻の手を握り締めながら葉子だけなんや。とクラウスは言った。


「もうこの人の生き甲斐は…クリスタの忘れ形見、葉子を育てる事だけなんや。葉子は、葉子はどうしてる?」


「先程より兄の執刀による頭蓋底骨折の処置が始まりました。大天使ウリエルはんの降下の衝撃で、頭部を強打したのです。心配なんは髄液漏と脳神経麻痺ですが…それは現世の医療の事。


ここは200年先の医術、設備も兄の腕も超一流です。今は信じて待つのみ」


さよか、と老指揮者は安心したようにすとん、と肩を落とした。自然と背中も丸まっている。この人は仕事柄、ずっと虚勢を張って生きてきたんだな。と真雅は思った。


「現世では、ってここは何処なんや?」


「3次元と4次元の狭間…ってところでしょうか」


「SF映画で見るような機械ばっかりや。そう、スタンリー・キューブリックの映画みたいな」


クラウスの表現を「うっわあ、古っ!」とせせら笑う声がした。紺野蓮太郎である。


彼はどさくさに紛れて医療団と一緒にここエンゼルクリニックに来ていたのである。


ミュラー邸修復シーンに蓮太郎がいないぞ。と気付いた読者諸君もいたであろう。大天使降臨よりも、少名彦名の大魔術よりも、聡介の容態が心配。


聡介だけが大事。蓮太郎はこういう男であった。


「ふっつーリュック・ベッソンの映画って表現しなーい?キューブリック作品っていうのが世代差よねー」


「喬橘流の若様、あんたいつからそこにおったんかい!?」


クラウスと真雅からの同時ツッコミに蓮太郎は最初からなんだけど…パニくった人間ってとことん視野狭窄になるよねーと自分を棚に上げて思った。


「それよりさー、真雅ちゃん以外葉子ちゃんの処置にかかりっきりなんだけど、聡介はほったらかしってどーゆー事よ?」


確かに、ここエンゼルクリニックの4つめの部屋、「休憩室」は世間一般の外来のように黒革の寝台が2つ並んでるだけ。



孝子の隣の寝台に寝かされた銀髪の青年、聡介はバイタルサインを計測する装置につながれてはいるが…酷い火傷を負っているのにただ寝かされているだけ、とはどーゆー事か?


それは…と真雅は困ったように剃髪をつるりと撫でながら、しどろもどろに説明する。


「兄上、空海の診断と指示ですもん。銀髪と渦巻きアザの人間はそのままにしたらよろし、て…実際私も聡介はんのこのような状態は、初めてですもん」


「今の聡介は尋常やない、とはっきり言うたらええやん」


「アタシは知ってるわよっ!この渦巻きアザを持ってる女を。マダム・ドメイヌ伯爵夫人ことウズメと聡ちゃんは、何かの親戚なの?」


そ、それは…と蓮太郎に詰め寄られた真雅は壁際まで後ずさる。


「堪忍して下さい!聡介はん自身にも知らせてない事なんで!そ、それは神霊界のトップシークレットなんで…」


「やっぱり知ってて黙ってるわね~」


マダム・ドメイヌという名に反応したミュラーはひどく驚いた顔で蓮太郎を振り返った。信じられない!とでもいうように。


「ドメイヌを知っとるんかい?彼女はクラシック界の重要なパトロンや…銀髪の女優みたいな美人のマダムやろ?でも、わしがお会いしたんは40以上年も前や!まだ生きとったんかい!?」


「え?ドメイヌさんは見た目27,8才くらいで勿論人間じゃないわよ」


バッカじゃないの?って目でクラウスを振り返った蓮太郎の後頭部をぱこん、と真雅が履いていたスリッパではたいた。


「あほ!シークレットをつるっとバラすもんやない。ましてや西洋人に…」


「よくもアタシをぶったわね…この少林寺野郎!」キレた蓮太郎が真雅の濃紺のオペ着の首元を掴む。


「あーもー!処置室でお手空きのスタッフー!来て下さーい!」


(そっちのギャンギャン騒ぎはスピーカーで聞こえてるぜ。俺が行ってやるよ)と真如の声が返ってきた。


「一応医療機関で乱闘はやめんかーい!」


とクラウスが一喝したちょうどその時に、菜緒を連れた光彦が聡介の部屋のスライド戸棚を開けてこの部屋に入って来たのだった…


あれ?これはなんというか、穏やかじゃないね。


と光彦と菜緒は同じ気持ちで目配せし合った。


(患者名、野上聡介。受傷40分経過…)


スピーカーの向こうから手術中の空海の声がした。


(聡介はんにちゅうもーく。どえらい事が起こるで)


光彦、菜緒、蓮太郎、クラウス、真雅が一斉に聡介の寝姿に注目した。


「聡介の髪が短くなってる!」菜緒の言う通り映像の逆回転みたいに聡介の銀髪が短くなり…火傷の傷も急激に小さくなって、消えて行く。


左胸の渦形の痣も、薄くなり、消えた。…とその間2分か3分くらいだっただろうか。


寝台に上半身裸で眠っているのは、元の野上聡介青年だった。髪の光沢も無くなり、元の灰色に戻っていた。


「こ、これは生体が持つ自己修復能力?早すぎるよ…」


(な?この一族はほっといたら勝手に治るねん。あと30分強でオペ終わって説明するから)


はっはっは、と空海、オペ中なのに超余裕発言。1時間で頭部オペって早すぎね?


脳外の手術って瓶の中でプラモデル作るよーなもんなんだぜ!


だから脳外科医って医学の世界でもエリート集団なんだよ、と聡介先生が言っていた事がある。


「我が兄、空海は『神の手』脳外ドクターですから」


坊さんなんに神の手…


矛盾している発言だなあーと真雅以外の全員が思いながら、空海にカンファレンスルームに呼ばれるまで待たされることとなった。


マスクを取ってふーっと軽くため息ついた空海が患者榎本葉子の義理の祖父のクラウス。


もう自己完治した元患者野上聡介の姪、野上菜緒と


慢性医師不足国家日本には貴重な医師志望の学生、藤崎光彦。


聡介の付き添いを無理矢理買って出た紺野蓮太郎をカンファレンスルームの席に座らせ、葉子のオペに立ち会った僧侶と大天使たちが周りを取り囲んだ。


「夜分遅くお集まりいただき、ありがとうございます。まずはマエストロ、お孫さんの処置はパーフェクトです。経過観察の為、3日間はここで入院していただきます。安心してください」


空海の言葉でクラウスはテーブルの上に手を組んだままどっと突っ伏した…


Oh,My God!とはこういう気持ちなんやな、とアメリカ人のくせに生まれて初めて実感したのだ。


「続いては、菜緒ちゃん、光彦くん、蓮太郎はん。あんたはんらは患者2人の形態の変化と人の力を超えた戦いをそのまなこで目撃した。きっとアタマん中、なんで?で埋まっとるやろ?


有体に申そう、野上聡介と榎本葉子は、この星の種ではないからや」


空海の弟子の僧侶たちは一斉にどよめいた、光彦はなぜだろう、ああやはりか…と半ば諦めの気持ちで聞いていた。


それはまるで、その内大惨事が起こるぞ。と預言者に告げられた瞬間の民衆の反応だったかもしれない、と藤崎光彦は後に述懐している。


受け入れたくない。だけど、委ねる以外無力な人々は出来ないのだ…。


「そう、やっぱりね」と蓮太郎は醒めた顔で肯いた。

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