演劇とわたしの話

よく聞かれるんですよ

「いつから演劇やってるの?」って
「どうして照明なの?」
「役者なんで再開したの?」もまとめてここで。


そもそもの話をしましょう。

演劇に初めて触れたのは5歳のとき。
母に連れられた「ライオンキング」が始まりです。

5歳のイトウ

かわいいですね、人生最大のモテ期でした。

それは置いといて。

そこでミュージカルに魅せられた幼きイトウは
バレエを習い始めます。踊りたいと思ったのかもしれません。

だけどこの頃は本当に引っ込み思案で
照れ屋で赤面症で、人としゃべれなかった。
そんな女の子がステージに憧れを抱くのだから
人生何が起きるか分からないです。

その後も月1ペースで観劇を続け、バレエに加えて
ピアノも習い始めました。
わたしの周りにはいつも演劇と音楽と踊りがあった。

将来は、演劇もしくはミュージカルに携わる仕事がしたいといつしか思うようになりました。必然だったかもね。


時は流れて高校1年生。

高校の部活見学でふと思い立って演劇部の歓迎公演を
観に行きました。「ダブリンの鐘つきカビ人間」という既成台本でしたが高校生とは思えぬ演技の熱量とクオリティに圧倒されて、その日のうちに入部届を出しました。

これが転機。

春の大会で上演する作品、1年生の中からひとりだけ
舞台に立つことができると聞いて即立候補。

初めてで上手く出来ず悩んで泣いて、観劇回数だけはバカみたいにあったから頭のなかの理想と現実の差に唸りながらも。
それでもやりきりました。

まばたき多すぎて先輩にカウントされてたの
今考えるとなかなか愉快だな。

秋の大会でスタッフが不足していて、穴埋めで担当した舞台照明。
自分の思い描いた世界を光を使って表現できる楽しさを知り、一気にのめり込みました。気づいたら役者じゃなくてスタッフになっていた。

そのまま照明一筋のまま、部活を引退。
大学でも舞台照明に携わりたいと思うようになりました。
将来の夢もステージに立つ側から支える側へ。 

大学はデザイン学科へ。
プロダクトデザインを学び、ひたすらに製作製作製作。。

学部で出会った子が劇団の主宰をしているとのことでその作品の照明を担当しました。それを機に「高校演劇」以外のコミュニティで知り合いや友人が一気に増えていきました。

この繋がりから発展してインプロとも出会いました。
即興照明むちゃくちゃ楽しい。

そしてなにより、照明デザインが楽しかった。
プランニングして、役者と同じ呼吸でステージを生きて
その流れに合わせてオペするのが生き甲斐だった。

それは今も変わりません。

学生ラストの公演にて

そして就職。
劇団四季の照明スタッフとして入団しました。

わたしが演劇を知ったきっかけの劇団に
時を経て、その一員になれたことがとても嬉しかった。

日本初演の作品、立ち上げから関わったり
大好きなアラジンに携わったり
新劇場の仕込みから経験させて貰ったり。

ただどうしても小劇場での思い出が忘れられなくて
自分で「企画」「運営」「デザイン」することの
やりがいと楽しさをもう一度味わいたくて

退団後は今に至ります。

役者やインプロのプレイヤーとしてまた活動再開したのは
自分の表現の幅を広げるため、明かりや音じゃなくて自分の身一つで舞台を生きたいと思ったからです。

自分の弱さや課題に嫌でも向き合うことにはなりますが、それも成長。それすらも面白いと思えるようになりたい。伸び代ですねぇ!!

これが照明も役者どちらも、やっている理由。

そして先日出演したアクサガにて
たくさんの仲間と出会いました。
尊敬できる人も、目標にしたいと思える人も見つけて今すごく充実しているし創作欲に溢れています。

溺れそう。

Xでそれをぶちまけたら、思いに乗っかってくれる
人がたくさんたくさん来てくれて。

本当に嬉しい。
むちゃくちゃ嬉しい。

2024年、勝負の一年だと思って全力で駆け抜けます!
振り落とされないように注意だ!!

がんばるど

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