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西伊豆古道を歩く〜松崎ー仁科ー堂ヶ島ー田子編〜

2022年6月28日。暑い。梅雨明け宣言された。平年より22日早く、去年より20日早い。東海地方が6月に梅雨明けしたのは1963年以来、59年だそう。

2021年6月に伊豆半島の古道に出会い、2021年8月に富士山・村山古道を歩いた。田子ノ浦で海に入り禊ぎ、そびえる富士山と向き合った時を思い出させる夏の日差し。今年の夏は一層、楽しくなりそうだ。

夏は東伊豆より西伊豆の方が過ごしやすいと聞いている。コンディションが良いことを期待して、本日も名阪のライブを終えたばかりのサトくんと西へ車を走らせる。

前回のスタート地点、大田子に車を置いて、田子上のバス停まで徒歩10分。まもなくして、カツオが香ばしく漂ってきた。カネサ鰹節店だ。今日の午後から訪問する予定、時間に合わせて辿り着けるか。

バスの待ち時間、田子出身のお姐さんとお話する。5年前に地元に帰ってきたそうで、今日は松崎までお買い物に行くそうだ。

田子はとっても良い地域だけど、冬の西風が厳しいと教えてくれた。西風の厳しさは東伊豆でも十分体感しているけど、西伊豆では冬を過ごしてない。今年は西伊豆の冬の厳しさも、身体に馴染ませたい。

松崎〜仁科

続けて読むと伊豆半島一周する。前回の道、松崎町編はこちら↓

10:00 松崎町の北の出入り口、松崎バスターミナルに到着。

国道より一本内陸にある細道が古道だ。日差しは強いけど、本日の西伊豆は少し風があるので心地良い。

松崎と仁科の集落を結ぶ道を歩く間、お二人の釣り人と出会う。一人は朝方にメジナが釣れたという帰り道。もう一人はキャンピングカーに干し網を吊るして、コサバの干物を作っていた。やはり朝方、共に釣果は上々のようだ。

集落の出入り口では石仏が旅人を見送ってくれる。

仁科の集落出入り口にも庚申塔や石碑が集積されている。お姐さんがお供えか、荷物の整理か。石碑の前で立ち止まっていた。

庚申塔を過ぎて国道から左に逸れる細道が古道。またすぐに国道に繋がるのだけど、国道の橋は渡らず。少し内陸にある橋を渡るのが明治のオフィシャルルートだ。

事前のロケハンでは、松崎町と西伊豆町の境界になる山道も調査済み。一つは松崎町桜田からの古道。もう一つは西伊豆町仁科からの古道。

集落から学校へ行く道、山中の農地への道、津波の避難所まで、地元のお姐さんから丁寧に教えていただいた。

橋を渡ったら斜めに伸びた直線の道を歩く。本来古道ははうねうねと蛇行した道が続くのだけど、現在の道は区画がキレイに整備され一直線だ。

明治19年測量図と国土地理院地図を重ね合わせた地図

アロエの生息地は南伊豆が有名だけど、仁科も見渡せる程にアロエ畑が広がっている。それもそのはず、全国のアロエ生葉生産量3500トン以上のうち、70%以上が伊豆半島で栽培されているのだ。

西伊豆町役場の通りに出たら右折。目標は大きな石碑、沢田の交差点で再び国道と合流する。

沖あがり食堂を越えたら伊豆峯次第の159番目のチェックポイント・佐波神社へ。沢田コミニュティ防災センターの傍から入る。

境内でしばし休憩。三島宮と八幡宮が合殿している、伊豆半島では定番の組み合わせだ。

気になったのは鎮座している場所が、海から近く高度も低い場所だということ。津波のことを想定すると、本当に古くからこの場所に存在したのか?と疑問が生まれた。

佐波神社から国道を横切り、細道を右折するのが古道。道なりに抜けると乗浜海岸に辿り着く。車で通る度に気になっていた印象的なビーチだ。念願の初上陸。

再び、堂ヶ島まで国道を歩く。

堂ヶ島

堂ヶ島マリンに入る最後のカーブの手前に、まとまった石碑群がある。毎度ながら庚申塔や道祖神は、時空を越えたロマンを受け取る道標だ。堂ヶ島食堂が見えたら遊覧船のりば方面へ左折する。

堂ヶ島マリン遊覧船・クルーズ船のりばを横目に、堂ヶ島公園内にある西伊豆歩道へ。しっかり起伏があるけど、一周を30分くらいで歩ける良く整備された遊歩道だ。

ダイナミックな碧い海に吸い込まれそう。白い断崖とのコントラストが気持ちいい。

凝灰岩が海水侵食され、断崖絶壁が海よりそそり立っている。その様子が、日本三景の一つである陸奥の松島に匹敵することから「伊豆の松島」と呼ばれているそうだ。

北側には三四郎島が見える。干潮時になると海が割れ道が開けるトンボロ現象が見られる日本でも珍しいスポットだ。海岸と陸地との間に砂州が現れ、陸繋島となって、歩いて渡ることができる。

三四郎島は、沖あい200メートルにある象島・中ノ島・沖ノ瀬島・高島からなる島群で、見る角度によって3つに見えたり、4つに見えたりすることから三四郎島と呼ばれている。島までの陸地が見えるので今日は干潮だ。

南伊豆・西伊豆ではウバメガシの姿を見かける。硬くて密度のあるウバメガシは、備長炭の材料になることで知られている。紀伊半島、伊豆半島、房総半島の南部ではよく見かけるけど、北限はどのあたりなんだろう。新たな疑問が生まれた。

通称・青の洞窟と呼ばれる天窓洞。堂ヶ島付近は、白い凝灰岩からできていて、その地下は海水により侵食されて出来たトンネルが網の目のように繋がっている。

以前に遊覧船で洞窟内を訪れた時、天井から日光が注ぐと、海水は美しく碧色に輝いていたのが印象深く覚えてる。

リゾートホテル・イルアズーリの駐車場方面へ上り、国道へ。

明治19年の測量図を見ると、現在の国道とは違う道が見えてくる。丁度、トンボロの手前に山へと入っていく道があるので調査することにした。

はじめは舗装された歩きやすい道だったけど、次第に急峻な道となり、倒木が道を塞ぎはじめる。

そのうちに舗装道路も切れ、藪漕ぎに突入する。最終的には道を見失ってしまい崖から下りることになってしまった。

再び国道へ出る道すがら、西伊豆町の軽トラックが停まっていた。藪漕ぎ失敗して悔しいので、古道について訪ねてみたら、なんと西伊豆町の道を整備している方だった。車から出てくると、堂ヶ島ニュー銀水の裏にある道、この先の灯明ヶ崎までの西伊豆歩道について丁寧に教えてくれた。

道を間違えたお陰で、インターネットでは出会えない貴重な一次情報を得ることが出来た。

燈明ヶ崎

田子南の信号を左折、更にすぐの脇に下りていける歩道がある。靴紐を結び直し、ここから浮島海岸を目指す。

灯明ヶ崎遊歩道は近年に入ってから整備された道で有り、明治19年の大日本帝国測量図や明治22年の静岡県管内全図によると一部を除いて古道ではない。

遊歩道として整備されている燈明ヶ崎コース

しかし、田子へ続く灯明ヶ崎からのルートは部分的にある。「伊豆の修験道はプロ修行場だった」ので測量図にあるような「生活の道」を通らなかったと考えることができる。その「生活の道」は現在の地図上では消えてしまっている道だ。

いずれにしても、景観が良く、町のイチオシ灯明ヶ崎遊歩道コースを歩くことにした。

明治19年の大日本帝国測量図

伊豆峯次第の161番目のチェックポイント・神明神社を通過し、浮島海岸に到着。灯明ヶ崎コースの入口は浮島海岸の右端にある。

浮島海岸、海の透明度が圧倒的に高く美しい。浅瀬に洞窟があったり潮溜まりもあるので、磯遊びは最高だろう。今すぐに海に飛び込みたい。私の伊豆半島お気に入りスポットに堂々ランクインした。

磯遊びしている人たちに手を振って私たちは山道へ。

上り道は続くけど、振り返れば視界に広がる堂ヶ島の海岸線が美しい。

燈明ヶ崎遊歩道は、浮島海岸と田子瀬浜海岸を結ぶ全長約3.2kmのコース。江戸時代の灯台・燈明堂があったことから、燈明ヶ崎と呼ばれるようになったと伝えられている。

道中は様々な虫たちに出会うことができる。黒や青や黄色、様々なアゲハチョウ(名前がわからない!汗)が寄ってくる。まるで歓迎されてるようだ。

今まで聞いたことない太いサウンドの蝉の声が聞こえる。まだ季節が早すぎて鳴き声が本域に達してない?

コガネムシを発見。光沢が強く鮮やかなマジョーラカラーが美しい。

途中にある展望所からは、駿河湾の向こうに日本平あたりだろうか。今日はうっすらと姿が見えている。空が澄み渡れば、南アルプスの眺望も期待できそうだ。

田子瀬浜海岸に到着。

これまた美しい。人里離れた穴場の小さな海岸だ。こちらの海岸も西伊豆らしく水の透明度がとても高く、白砂が透けて碧色に輝いている。対岸の尊之島まですぐの距離だし、上陸したらアドベンチャー体験ができそう。

港へ歩くと、奥深い入江を活かした造船所が見えてきた。安良里でも見た同じ景色だ。

モルタル塗りの素掘りの隧道を越えて、田子漁港を上り、伊豆峯次第の162番目のチェックポイント・正法院を通過。

道なりに伊豆峯次第の164番目のチェックポイント・哆胡神社を通過。ちなみに163番の走湯大権現は行方知らず、現存していない可能性が高い。

カネサ鰹節店への午後から訪問、30分遅れてしまった。関係者の皆様、ごめんなさい。これからは打ち合わせ前に藪漕ぎの道を歩くのを控えよう。

続きの道はこちら↓続けて読むと伊豆半島を一周します!


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