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南伊豆古道を歩く〜子浦ー伊浜ー波勝崎編〜

2022年5月26日。11:00 子浦のいすゞ浜荘に到着。今回も車を停めさせていただき、子浦から北上する。現代と古い地図を比べながら、いすゞ浜荘の小林さんと道のおさらい。ほぼ今の国道が古道と考えて良さそうだ。

この先、子浦ー落居ー伊浜までの海沿いの道は、昭和49年の伊豆半島沖地震で崩落してしまってるので今はない。伊浜ー波勝崎は波勝崎モンキーパーク内に出るのか。野猿の波勝崎から大展望の高遠山を越えたら、いよいよ西伊豆・雲見だ。

前回までの道はこちら↓続けて読むと伊豆半島を一周できる。

今回は、原宿でヘアメイク事務所を経営する前、渋谷時代からの古い仲間セッチが伊豆半島に遊びにやって来た。今年の春くらいから、毎週のように友人が伊豆半島を訪ねてくれるのが嬉しい。

道を歩いて、人と出会い、伊豆半島の魅力を深めていく。

東京の人に、東京目線で、伊豆半島の魅力を紹介するのが、私のような東京と伊豆半島を往来する関係人口の役割の一つだ。

11:30 今夜は子浦に宿泊するので日和山を上り、子浦の海を眺め、三十三観音を通り、西子浦の漁師の集落を通り、前回のゴール付近で出会い意気投合した横山さんのお家に顔を出す。地域の事を知るには、地元の人のお話を聞くのが一番リアルだ。

12:00 落居口の子浦峠の茶屋からスタート。しばらく国道を歩く。

道の端の草むらが揺れてるので覗き込んでみたら、なんとウリ坊がいた。子供の頃は縞模様がはっきりしているけど、大人になると縞模様は消える。後で聞いたのだけど、この時期は良く見かけるそうだ。

道なりに国道を伊浜まで歩く。

子浦から伊浜までの古道はほぼ国道と重なっているので、国道から所々に古い道への入り口を見かけることができる。

明治19年測量図と重なる古道だと思うのだけど、利用の仕方から現在は私道の可能性があるので今回は調査をしない。まずは道を繋げる。

日本道路公団の道路敷界?に挟まれた道。機会を見て道の管理者を訪ねたい。

エネオスのある一町田の交差点から伊浜海岸方面へ左折。伊浜集落の中心までは約3km、歩けば40分はかかる。伊豆半島南西部の集落は秘境と言うに相応しい魅力溢れる地域だ。

集落までの道は一本道。沿道はとても華やかでアジサイロードとなっている。

伊浜の集落が見えてきた。今日の波は穏やか。

伊浜は一年前に一度だけ訪れたことがある。その時は「なんて急な坂をおりていくんだ。しかも集落までしっかり車を走らせる。」そんな辺境地にも、宅配便は津々浦々私たちが託した届け物を運んでくれる。そんな働く人の姿を見かけ感謝が溢れる。そんな印象だった。

集落の入り口になるY字路の右が古道。この先に伊豆峯次第のチェックポイントが2ヶ所ある。

矍鑠とした初老に声かけていただいた。古道について尋ねるも「この辺り(の古道)は難しい。」今は人が通らないので消滅しているのではないか。そして、かつては落居へ抜ける道もあったがやはり崩落したとのこと。

しばらく行くと右にUターンするように上り坂がある。入り口は石仏が目標だ。

三島神社へ。津波の教訓だと思うけど、それにしても随分と高い位置に鎮座してる。三島神社や来宮神社は、伊豆半島の歴史を探求する上で外せない文化の一つだ。

三島神社は三宅島の富賀神社が発祥という伝説があるけど、氏族と祭神を追いかけると創作であることが見えてくる。

海上交通の能力を持っていた壬生氏が三宅島に渡り、縄文系のアミニズム「三宅島の神々」を三島大明神の系譜に再編成した。と考察するのが順当だろう。引き続き、富士山信仰とかぐや姫伝説と共に考察していきたい。

神社の帰り道、地域の方にお声かけいただき立ち話。伊浜の集落まで歩いてきたというと一様に驚く。古道について尋ねると、小学生時代の伊浜の学校道について、落居までの崩落した道についてなど教えてくれた。

伊豆峯次第、二つ目のチェックポイント普照寺へ。

温暖な南伊豆町の伊浜海岸は、日本有数のマーガレットの産地。青い駿河湾が目の前に広がり、西に波勝崎を臨む、自然豊かな集落だ。

海沿いの一本道が波勝崎まで続いている。天気は雲行きが変わり、風が吹いてきた。遠州灘には怪しい雲が滞留している。

まもなくして野猿がお出迎えてくれた。猿の王国・波勝崎はもう目の前だ。

海沿いから山の中へ。道の雰囲気が変わってきた。

ぽつんと雨が一粒、ふたつぶ。

15時過ぎ 波勝崎で本日のゴール。

次の道はこちら↓続けて読むと伊豆半島を一周できる。


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