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薩埵峠を歩く〜富士と伊豆を望む〜

5月22日。峠に入る前の波打ち際で荒波にさらわれる旅人も多く、「親知らず子知らず」と呼ばれ、東海道の難所の一つとして知られた薩埵峠(さったとうげ)を歩く。

本日は伊豆歩倶楽部の例会ウォーキング。前回参加したのは2月だったので3ヶ月ぶりの参加だ。

6:45 伊豆高原エリアの集合場所の伊豆高原ビール前へ。伊豆歩倶楽部バスは定刻通りにやって来た。マイクロバスと聞いていたけど、ひと回り大きい中型のバスだ。伊豆歩倶楽部新米会員の私にとっては初の遠征。まるで学生時代の修学旅行のように胸が高鳴る。

伊豆歩倶楽部は頼もしい先輩方ばかり。私がマイペースで歩いているとあっという間に最後尾になってしまう程、皆さん健脚だ。道中、杉山さんから伊豆半島一周歩いた話を聞く。沼津を起点に1日50km歩いたと言うから鉄人だ。

私の活動のヒントになる事も教えていただいた。

8:50 富士川サービスエリアにて出発式。会長の挨拶、表彰式、コース説明、ストレッチ体操。雲に覆われた富士山が顔を出す。絶好のウォーキング日和のお天気になってきた。

徳田さんの檄から再びバスに乗り込み、富士川サービスエリアからスタート地点へ移動。駿河湾の向こうには、伊豆半島の姿が見えてきた。

9:30 予定のスタート地点より少しずれてしまったが、伊豆歩倶楽部一行は車の往来が激しい国道一号線を下るエキサイティングなスタートだ。

洞踏切を渡り、突き当たりのT字路を右折。

細い上り坂を往く。5月の新緑をまとった薫風が心地よい。

歌川広重の「東海道五十三次」はあまりにも有名で、シリーズ中もっとも売れた作品は「由井 薩埵嶺(さったれい)」だ。今も往時と同じ富士の絶景を楽しむことができる。

広重は描くのに薩埵峠に3度訪れたと言われ、1度目は乳房しか見えなかった。2度目も乳房しか見えなかった。3度目にようやく全てが見えて描けたという。

薩埵峠は、万葉の時代から磐城山と呼ばれていたが、文治元年(1185)近くの海から地蔵菩薩の石像が引き揚げられた。人々はこれを山に祀り、山の名も菩薩と同じ意味である「薩埵」と呼び変えられたそうだ。

興津地区を見守るお墓の脇の遊歩道を往く。ここから15分から20分は上り坂。お墓の入り口で杖を借りることができ、展望台を越えた先の山之神遺跡で返却できる。

由比といえば桜海老のイメージだけど、峠道には枇杷や甘夏がいっぱい。消毒がほとんど必要なく、手間のかからない枇杷には袋掛けされている。季節は熟し、出荷間近だ。

所々に季節の草花が生えているので、いろいろ見つけながらハイキングするのも楽しい。手裏剣のような可愛らしいチリアヤメか群生していた。畑に伸ばしたら一気に増えてしまいそう。

これまたかわいい。ヒメヒオウギ。名前の由来は平安時代の優雅な扇。伊豆歩倶楽部は植物に詳しい人が多い。

昨晩の大雨の恩恵、カタツムリも発見。アジサイではなく枇杷の葉にいた。

東海道の興津宿ー薩埵峠ー由比宿。ここから眺める富士山が、広重の浮世絵と同じ富士の麗姿が見えるポイントなんだけど今日は雲隠れ。

様子を見ていたらまもなく、富士の頭が雲の上に現れる。広重と同じように1回目、富士山の乳房を見ることはできた。風光明媚な絶景の地、次は空気の澄んだ冬に訪れたい。

10:30 薩埵峠山之神遺跡に到着すると、トラブルが発生。なんと、これより先は本日全面通行止め。昨晩の大雨が影響してる。9時過ぎに土砂崩れがあったそうだ。

巻き込まれた人はいないことが幸い。地元の人の話によると、復旧は最低でも1ヶ月。長くても半年はかかるだろう。

伊豆歩倶楽部一行は踵を返すことになった。

タイミング良くお迎えにやってきたバスに乗り込み由比駅を目指して走る。通行止めで引き返したことによって、田代さんの落としたイヤリングが見つかるという嬉しいイベントも発生した。

11:30 由比駅から薩埵峠登り口までの寺尾倉沢地区旧東海道を歩く。

旧東海道に入ると早々に伊豆石の蔵が建っていた。廻船で材木を江戸へ運び、復路は船が軽いので伊豆半島で伊豆石を積み込む。当時から伊豆石は高級品なので、いづれにしても栄えた集落なのが想像できる。

寺尾倉沢地区は旧家が多く、くぐり戸や格子造りなど重厚な構えから江戸時代の面影を忍ばれる。

東海道名主の館・小池邸には小池家に伝わる古文書、高札など貴重な品々が展示してあり、国の登録有形文化財にも指定されている。

庭に出ると緑鮮やかで、とても綺麗に手入れがしてある。中でも気に入ったのは、江戸時代中期の庭師が考案したとされる音響装置「水琴窟(すいきんくつ)」

地中に埋めたかめの中で響く水滴の音が、地上に漏れて聞こえるのを楽しむ装置だ。竹の筒で聞くと良く聞こえるが、静かにしていればそのままでも充分響きを楽しめる。

軒先には伊豆半島からやってきた私たちにはお馴染みの甘夏が並んでいる。あと一週間くらいしたら、今度は枇杷が並ぶのだろう。

本来は下りてくるはずだった東登り口に到着。もちろん通行止め。

東登り口の前には、かつて茶亭として多くの文人が訪れた望嶽亭藤屋がある。官軍に追われた山岡鉄舟が残していったピストルなど、当時の様子を忍ぶことができる。

13:00 由比井筒屋に到着。2階の大広間で念願の昼食だ。

本日参加した目的と言っても過言ではない、国内では駿河湾でしか水揚げされない桜海老。その中でも由比漁港は日本一の桜海老水揚げ港だ。まさしく富士山の湧水の恩恵であり、雪解け水で育った桜海老は実が大きく、甘いのが特長。

桜海老のかき揚げは揚げたてをいただく。だし汁も良いが、えび塩をかけても美味しい。サクサクで海老の香り満載。ひまわり油で揚げてるそうだ。

食後は由比本陣へ。由比宿は日本橋から16番目の宿場だ。

目に飛び込んでくるのは、側溝で重なり合って甲羅干しの亀たち。この横の長い水路状の壕で、大名行列の馬に水を飲ませたり、身体を洗ったりしたという。他の宿場の本陣ではあまり類例を見なく珍しい。

14:30 本日のゴール・ゆい桜えび館に到着。閉会式を終え、それぞれ遠征のお土産を購入したり。バスに揺られて帰途に就く。

早朝は松崎から出発し、伊豆半島各地でメンバーが昇降し、最後は松崎に帰ってくる。改めて伊豆バスさんに敬意を表したい。


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