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ご近所を観光しよう、旅に出たように

コロナ禍の時代、外出することが難しくなった。仕事に出かけることもままならない。ましてや旅行に行くなどありえない事態。まさかちょっとした越境、越県も避けなければいけないような状況になるとは。

そんな状況にあることの理屈については理解も納得もしてはいたし、第一、行きたくても行けないというだけではなく、出かけた先で観たかった施設なども軒並み休みだったりして、これはもうどうしようもない。

しかし自分にとって旅は必要不可欠なものなのでストレスは否応もなく溜まっていった。

どこかに行きたい。旅をしたい。どこでもいいから。

ようやくコロナ禍もある程度落ち着きを見せはじめ、世間も様子を見ながらなら外出もできそうになった頃。ただし、遠出はやめておこうという頃。

少しでもいいから旅気分が欲しかった自分はこう思いついた。

「ご近所を旅しよう」

我が家は鎌倉にある。鎌倉は観光地。ならば鎌倉を旅行しよう。そう思い立ったのだ。

鎌倉歴も数十年、ほとんどの観光スポットは行ったことがある。それも何度も。
日頃から寺社仏閣めぐりを趣味にしているのだから、空き時間があればちょっと参拝に行ってみよう、なんてことも日常だ。いまさら新しい穴場など、ありはしない。

ならば、ここは逆転の発想で「鎌倉ならここに行くよね」という定番で王道を観てまわろうじゃないか。観たことのないスポットでなければという考えを持たなければよいのだ。
しかし、見慣れたスポットめぐりだと、たんに行ってみましたよという作業的、ルーチンワーク的な感じはならないか?

そこで、だ。

行ったことがあるという記憶、ご近所という記憶をいったん封印して、さもはじめて訪れた観光地であるかのように観てまわろうじゃないか。

そしてこれは観光旅行なのだから、丸一日を有効に使っていろんな場所をたずねてみようじゃないか。せっかく訪れたのだから見損ねて後悔のないように、それぞれのスポットをじっくりと観てまわろう。

まあ、たとえ見落としたからといっても、日をあらためて行けばいいだけのことなのだけれども、これはあくまでも観光旅行。一期一会を大事に、だ。

そんなわけで、朝、レンタサイクルを借りて(という体での自分のチャリで)、観光開始。

もう何度行ったわからないくらいの、そして毎年何回も顔を出す高徳院の大仏様や長谷観音、鶴岡八幡宮など、ド定番の観光名所を観てまわる。

名物料理でランチ。鎌倉野菜が美味しい。疲れたら七里ヶ浜で夕陽を見ながらカフェでまったり。

夜は民宿(という体の自宅)で素朴な料理に舌鼓を打つ。酒も進めば心もほぐれる。

ほろ酔いの心地よさの中で一日を振り返る。さて、明日はどこを観てまわろうか。逗子や葉山か、あるいは江ノ島で一日過ごすものいいかも。

知らない体でのご近所旅行。実によい。こんなに楽しいとは思わなかった。
はじめて訪れたという設定もやってみれば意外とその気になるもので、観るものすべてが結構新鮮に感じられる。面白い。ちょっとしたロールプレイ気分なのかもしれない。

普段の見慣れた生活の場であり、何度も訪れていて嫌というほど知っている場所でも、意識の持ちようで楽しめてしまうということがわかったのは自分にとっても結構大きな気付きだった。

また、そういう新鮮な旅気分で知った場所を観てまわると、スイッチの入りかたが違ったのか、過去に何度も来たことがあるのにこれは知らなかったぞ、という発見もあったりする。

自分は日本全国を結構旅してきて、ここ最近は「どこも行ったことあるしなあ」と、旅の目標がイマイチ定まらない気持ちが少なからずあったのだけれど、考えかた次第、意識の持ちかた次第で、どこだって楽しめるじゃん。まだまだ旅先の可能性は残っているじゃん。と思うことができた。

アフターコロナになって旅のスタイルは以前のように戻ったとしても、旅に対する心構えというか、いつでも新鮮な気持ちを持って行こうという考えかたは、忘れるべきではない。そう思う。

旅は楽しい。そしてその楽しさを拡張するのは自分の考えかた次第なのだ。

追記 鎌倉はまちの広さ的に自転車でまわるのに向いていますが、停める場所があまりありません。事前の下調べは入念に。

「G式過剰neo」は99年〜03年にかけて断続的に発表していたWEBコラム「G式過剰」のリブート版です。

24年2月17日 初出


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