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エレベーターで気になる4つの行動

自分で言うのもなんだが、自分は(表面的には)寛容なほうだと思っている。
しかし、だからといって苛立つことがないわけではない。自分的に『イライラパーセンテージ』が高くなる場所もある。それがエレベーターだ。

なぜヤツらは降りる前に乗ってこようとするのか?

エレベーターがとある階に到着する。ドアが開き、乗客が降りようとする。そのときヤツらは現れるのだ。

ヤツらにとってはとにかくエレベーターに乗ることが至上命令。ただひたすらにドアに突進してくる。降りる者と衝突し、もみ合い、それでも譲るつもりはなく、あげくの果てには「早くどけ」と怒鳴る。なにを言うか、お前が邪魔しとるんじゃい。

エレベーターは降りる人が優先。そういうふうに教えられて育ってきた自分が間違っているのか。
別に常識に縛られているつもりも順番を守ることが大事とモラリストを気取るつもりも毛頭ない。

効率の問題なのだ。

エレベータ搭乗者は早く目的の階に着きたいのだ。そのためにはすみやかに乗降する必要があるのは誰だってわかるはず。
ならば、どちらかが譲ることこそがその近道であるというのも容易に想像がつくはず!

急ぐ気持ちは誰でもわかる。自分だって急いでる。
はやく目的地に着きたいなら共通のプロトコルに従うことこそが効率的。乗る側は降りる者がいるのかどうか的確かつ瞬時に判断して行動してもらいたいわけだ。

なぜ奴らは行き先を確認しないで乗ってくるのか?

エレベーターがとある階に到着する。乗降後、エレベーターはふたたび動き出す。
そのときヤツらはうろたえる。1階に行きたいのにエレベーターは上っているからだ。

それは誰のせいでもない、そもそも上下を間違ったほうが悪い。なのに「なんだよチクショウ、バカヤロウ」と、ヤツはギュウギュウ詰めの室内で勝手に逆切れする。いい大人なのに。

とりあえず、眼の前のドアが開いたら乗ってしまうというのは、あまりにも迂闊。到着したエレベーターがこれから上に行くのか下に行くのかぐらいはあらかじめチェックしておいて然るべきではないか。

間違えて乗ってしまった場合、本人が時間をロスするだけだから許したれよというのは大いなる間違いである。
無駄にエレベーターを1回停止させることで全員に無駄な時間をとらせてしまっていることに気づくべきではないか。

なぜヤツらは上下両方のボタンを押すのか? そして連打するのか?

エレベーターを待っている。
そのときヤツらは後ろから腕を伸ばし余計なことをする。『上り』ボタンは押されているのに、『下り』ボタンも押すのだ。ここでのポイントはヤツらが行きたいのは“上り”ということだ。

行きたい方向のボタンを押しておけばいずれエレベータはやってくる。よほどなにか別の意思が働かないかぎり、上りを押せば上りが来るのだ。不要な停止を求めることの無意味さに気づいてほしい。

ボタンにまつわるもうひとつの苛立ちが連打である。

1回ボタンを押せばそれでこと足りる。それを「機械なんか信用できない」とばかりに何度も何度も何度も何度も押しまくる。その行為はせっかちな印象とイライラ感をまわりにまき散らすだけで百害あって一利なし。
ただでさえ見知らぬ人間が狭い空間に閉じ込められているのだ。心穏やかに過ごしたいものである。

なぜヤツらはわざわざ低位置のボタンを押すのか?

エレベーターには車椅子を使用している方等用に低い位置に行き先ボタンがついている。このボタン、ドアの開閉時間が延びる機能がついている。だから、乗り降りに時間がかかりそうな足腰の弱いかたや車椅子のかたなどは、ぜひとも積極的に使ってください。

だが、そういった機能を必要としないヤツら。もう少し考えてもらいたい。しかもすでに行き先ボタンが押されているにもかかわらず、低位置ボタンを押す必要はないでしょう。自分の降りたい階に止まるのかどうか確認しようよ、ボタンを押す前に。
わずかとはいえエレベーター運行を遅くするのは避けようよ、ホント。

冒頭に自分は寛容であると書いた。
どうやらそれは間違っている気がしてきた。細かいことをグチグチ考える偏屈な人間なのではないか? そうかもしれない。だが、そんな自分であってもエレベーターでの気配りだけは忘れないようにしたい。

初出タイトル「我が名は昇降鬼」00年11月15日 初出
24年5月10日 改稿

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