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インドア男子が、チイキにカオ出す4秒前。

鳥取市在住の男子大学生です。

性格は今も昔も俗にいう『インドア派』な僕ですが、
大学内外でご縁のあった方々のことをSNSで書いたり、
身近な学生が学外でいろんな価値観に出会うお節介をしたりしながら過ごしています。

大学進学がきっかけで鳥取市でご縁のあった大人の方や後輩などには、悲しいやら嬉しいやら、
こんな自分のバックグラウンドをあまり信じてもらえません…

自己紹介と卒業前の「遺言」とを兼ねてnoteのほうに書いています。前回(『5秒前』)は、こちら

生身の人間に、関わりにいく発想がなくて…

高校まで、教室と美術室(部活)と自宅の3つを、主に行き来していました。

休日に友達と出掛けるという発想はありません。誘いがあっても、「みんなと趣味が合わないから…」とテキトーに断わっていたように思います。


なので、この行動パターンをよく知っている親からは心配されました。「友達と遊ばないの?」と…。
(外にいても1人で過ごしたり、家のテレビでスポーツを観たりしてるほうが好きでした)

そうして自分から人に関わりにいかない(関わりに行く発想がない)ため、クラスでも黙っているほうでした。
学祭のようなイベントの時期こそ、看板や劇の小道具などの作り物などでクラスメイトと話す機会も増えますが、
それでも基本は場の流れに任せて過ごしていました。

高校の頃は特に、男女比が1:3の文系クラスの中にいたので、
(前回の終わりごろに書きましたが)部活で鍛えられた感覚が功を奏し(?)、
周りの機嫌を観察しながら要所で我を封じて過ごしていました。

高校(県西部、米子市の県立高校)に入ると、定期的に進路希望を聞かれます。

授業の課題で「職業をひとつ選んでその仕事や需要などを調べる」というものがあり、
僕が調べた職業は「心理カウンセラー」。

進路ときかれて最初に頭に浮かんだのは、その方面になっていきました。当時から、自分自身はいったい何者なんだろうと考え込む(誰かに聞くこともなく)ことが多く、

また「ストレス」「不登校」「相談役」といったワードに関して、周りよりは敏感なほうだったように思います。

部活で触れてきた絵や美術の分野も興味はあったのですが、
その道に「本気」な先輩や同級生の姿をこの目で見てきたため、発奮させられるどころかむしろ距離を置いていました。

そして大学受験。
生身の人間に関わっていく経験も浅く、読書家でもなかった人間に、「国語」という高い壁が立ちはだかりました。

特に、行間や登場人物の心情を読み取ることに疎く、現代文と古文に四苦八苦。
一浪の末、当時の希望にも書いていなかった鳥取大学に入りました。

先生にも「この大学なら◯◯にも△△にもなれるみたいだね。ここで夢を見つけてこい!」と背中を押していただきましたが、
当時パニックになりすぎて、◯◯や△△の中身はちゃんと覚えていません…。

流れるように着いた大学。せめて課外活動くらいは…

進む大学こそ決まりましたが、周りにはこの学部に進みたくて進んだ人がいるのに、自分はそうではない…。

ならせめて、課外の過ごし方くらいはちゃんと考えなければ…と焦っていました。
(大学の専攻に関しては、別の機会で触れられればと思います)

今でこそ、キャンパスの外でいろんな方とお話しできる機会を作っていますが、当時の僕に「学外」の活動や人付き合いなんて想像できません。

ひとまず、何か学内のサークルに入っていれば、周りには「◯◯してます」と言えます。
勧誘シーズンを過ごしたのち、「活動」として選んだのは、

・美術部
・国際交流サークル

この2サークル。 
また、サークルではありませんが、大学生協が独自に開講している

・1年生のための講座(以下:講座)

というものも、放課後を使って受講していました。

そうして1週間の課外を、 火曜:美術部→木曜:国際交流→金曜:講座※終了後は美術部

というスケジュールで過ごしていました。

今までインドアの部活オンリーだった僕にとって、国際交流サークルで出会う人達は、アウトドアだし、視点が「外」に向いているし、「外」からやってきた留学生もいるしで、

毎週のようにカルチャーショック(それを狙って入部したとはいえ)を受けていました。同世代とつるんで夜11時に家(当時は寮)に帰ることなんて、今まで経験がなかったのでなおさらです。

講座のほうでは、
コミュニケーション力英語カをグループワークで鍛えるカリキュラムが組まれていたので、
他の受講生などと、サークルとはまた違った雰囲気で過ごしていました。

それぞれのコミュニティの色があったり、人と人との距離感が全然違ったりして、面白いな~と思いながら過ごしていました。

しかしこれらのいずれの中でも自分は、「用意してもらった場の中で楽しんでいる」だけでした。

基本的に他人から話を振られないと言葉を発することができませんでしたし、

何かを言い出そうとしても直前でやめたり、尻すぼみになることが多々ありました…

続く

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。