見出し画像

「スター・ウォーズ:エピソード6 ジェダイの帰還」のタイムライン

〜 エピソード4 新たなる希望」「〜エピソード5 帝国の逆襲」に引き続いて1983年公開の「スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還」のタイムラインを辿ります。前作から3年後、第1作からは6年を経ての一端のサーガ完結です。
古い作品ですが結末までのあらすじ全て書いてますのでご注意下さい。

脚本は前作に続いてジョージ・ルーカスとローレンス・カスダンが執筆。監督は「針の眼」のリチャード・マーカンドが務めます。

物語は「2つ目のデス・スターが作られていた」という衝撃展開で開幕します。
スター・ウォーズ・シリーズでは長い歴史のなかで様々な種類のシャトルが登場してきましたが、個人的に本作の80年代らしい意匠のラムダ級が最も美しい機体だと思います。マクォーリーによるこのシーンのプロダクションペインティングが有名ですが、原案はジョー・ジョンストンです。モデル制作をチャーリー・ベイリーと「レジスタンス」に参加して話題にもなったビル・ジョージが担当しています。

ルークたちは「帝国の逆襲」でカーボナイト冷凍され、ボバ・フェットに囚われたハン・ソロの行方を追ってジャバ・ザ・ハットの元へ。

劇中では1年間経過していて、ルークはジェダイの修行を継続しています。カットされたシーンでは、タトゥイーンでライトセーバーを完成させる場面がありました。他にも葛藤を抱えるベイダーのルークに対する呼びかけや、モフ・ジャジャーロッドが最後の手段としてエンドアにスーパーレーザーを撃ち込もうとする場面も。小説版ではこうした登場人物たちの情動が細かく描写されています。

現在の正史設定では2015年のジュニア向け小説のなかで「帝国の逆襲」後に自分でパーツを集めてライトセーバーを完成させたことになっているようです。

「帝国の逆襲」で人気キャラとなったボバ・フェットですが、間抜けな最後にファンは当時ガッカリしました。ルーカスはボバ・フェットが人気になる事が予想外だったようで、悪役に罰を与える意味であの結末を与えたのだと思います。

その後、ジャンゴ・フェットのクローンという設定が新たに付与されたことで、昨年末〜今年春に配信されたドラマ「ボバ・フェット」に繋がり生還を果たします。

旧三部作の時代はイウォークに拒絶反応を示すファンも。
1984年からはイウォークの長編作品やアニメが放送されるように。

第二幕ではルークが再びダゴバへ。ヨーダからベイダーにまつわる真実を聞き、ベンの助言でレイアが妹であることが明らかに。吹替え版では、ヨーダの台詞は習得したことを次の世代に伝えるような語りになっていますがこれは誤訳であり、正しいニュアンスとしては「(フォースの強い)もう一人のスカイウォーカーに伝える事」を遺言としています。ヨーダのしゃべり方は文法的に少し独特で、翻訳だと再現しにくい事が原因だと思われます。

ヨーダ「〜学んだことを…伝えるのじゃ…」
   声がとぎれとぎれになり、ヨーダは目を閉じた。
   「もう一人の…スカイ…にも…」

講談社文庫版より

続三部作でレイアがルークからジェダイの修行を受けるのはこの台詞に基づいての事でした。しかしレイアはジェダイを望まず政治の道を選びます。結果、ルークはジェダイ・アカデミーを創設しスカイウォーカーの血を継ぐベン・ソロにも伝授しようとしますが・・・。

また「エピソード9 スカイウォーカーの夜明け」でレイが最後にスカイウォーカー姓を名乗るのは、ヨーダの遺言をルークが果たしたとする意味も込められているのかもしれません。

反乱同盟軍はスパイから「第二デス・スターに皇帝が来る」という情報を得ますが実はすべてパルパティーンの戦略であり意図的に洩らされたものでした。

新三部作や「クローン・ウォーズ」では、こうした欺瞞を駆使してアナキンを配下に引き入れジェダイを滅ぼして共和国を転覆した狡猾なパルパティーンの謀略の物語も描かれます。アナキンの転落が見ていて辛い新三部作(Ep1〜3)ですが、ジェダイに「倍返し」していくパルパティーンの視点で見ると面白いです。

スピーダー・バイクのチェイスシーンは、制作時にフィギュアとビデオカメラを使ってテスト撮影をして撮影前に検証が行われました。この方法は現在のCG映像制作における「アニマテックス」や「プリヴィズ」といった制作手法の元になったと言われています。

皇帝の玉座の間は獲物を捕らえる蜘蛛の巣のよう。

反乱同盟軍の戦闘機には新型機が登場。Aウイングはスノースピーダーと同じくらいの小型機ですが、これは玩具のプレイアビリティや製造・流通コストを考慮しての事かもしれません。以降、新三部作でも戦闘機はすべて小型でした。
続三部作ではXウイングの新型が登場しますが、やはりサイズは一回り小さくX翼は前後分割型になり総面積は約半分になっています。

ここから宇宙とエンドアの地表、そして玉座の間という3つの場所で戦いが同時進行します。ちなみに艦隊戦と地上戦はゲーム「Star Wars バトルフロントII」でもクロスオーバーが描かれ、帝国軍兵の視点でエンドア戦を体験できます。

イウォークの石槍や石斧が強いのはエンドアの鉱物が強靱だから?
装甲用の資材として採掘されていたのかも・・・?

当初エピソード6の舞台の一つに考えられていたのはチューバッカの故郷キャッシークでした。設定が変更されイウォークが帝国軍を撃退しますが、キャッシークでのウーキーによる大規模戦闘映像化は後に「エピソード3 シスの復讐」で結実します。

可愛いイウォークはこの映画の前後年にルーカスが養子を迎えた事の影響もあったのかもしれません。ジャージャー・ビンクス登場以前はバッシングの対象でもあり古いファンの中には今も嫌うひとがいます。

子供の頃はベイダーを追い詰めながらもライトセーバーを投げ捨てる事が理解不能でした。ルークの行動はジェダイとシスの差を明確化します。ジェダイにとってライトセーバーは護るための道具で、攻撃のために用いるのはシスです。
「エピソード8 最後のジェダイ」のルークはその思想を貫いています。

新三部作では劇中アナキンが「選ばれし者」なのか?という言及があり、その結論は明示されていませんでしたが(「クローン・ウォーズ」では間接的にアナキンが選ばれし者であるとされる)個人的にはパルパティーン成敗と自身も死ぬ事によりジェダイとシスというフォースの両極を滅ぼした事をもって、やはりアナキンがフォースにバランスをもたらした「選ばれし者」なのだろうと考えます。

皇帝が投げ落とされた後にエネルギーが放出されますが、続三部作の設定で考えると消滅ではなくクローンの身体に憑依するためパルパティーン思念体が飛び去ったという表現になるのかもしれません。皇帝がクローンの身体で復活するという設定は1991年の古いスピンオフコミック「ダーク・エンパイア」でも描かれており、ルークが闇落ちしたり単身でAT-ATと対峙したりという類似点からも続三部作の構想段階でかなり意識されていたのかもしれません。(実際のところは不明です。)

ちなみに原作者のルーカスは皇帝パルパティーンが復活する展開は自身の続三部作の構想には無いと「ジェダイの帰還」撮影時に皇帝を演じたイアン・マクダーミドに対して語っています。

「ダーク・エンパイア」ではパルパティーンは若い肉体で復活。
この頃のスピンオフにはルーカスはほとんど関与していないと考えられる。

続三部作と「ダーク・エンパイア」の類似点についてはスター・ウォーズ ファンのAKIRAさんによるYoutubeチャンネル「ポイズンTV」の「nope cafe」回におけるオーナーのmoyaさんによる考察を参考にさせていただきました。

特別篇やDVDでの追加変更箇所のうち評判の悪いシーンとしてよく挙げられるのが祝勝の宴の場面です。旧版では「Yub Nub」というイウォーク語で歌われる明るく陽気なBGMで、アナキンの霊体は今際の際のベイダーを演じたセバスチャン・ショウでした。(私はでも子供の頃は「この人だれ?」とは思ってました。)

個人的には新三部作で明かされたアナキンの壮絶な物語の終着という意味では現状の「Victory Celebration」のほうが情緒的で合っているように感じます。この変更が示すのは特別篇(1997)の段階で、ルーカスが新三部作のマスタープランを概ね完了していた可能性です。また、優しきジェダイ騎士アナキン・スカイウォーカーが還ってきたという意味においてもコンプリート・サーガ ブルーレイ発売時(2011)のヘイデン・クリステンセンへの変更も然るべきものだったのではないでしょうか。

80年代のハリウッド映画黄金期に突入。名作・大作が目白押しでした。
家庭用ゲーム機が登場・普及して世の中のエンタメ事情も大きく変化。

「ジェダイの帰還」が公開された1983年以降は「スター・ウォーズ」は子供向けコンテンツの色が強くなります。「イウォーク・アドベンチャー」と「エンドア/魔空の妖精」は現在ディズニープラスでも視聴可能です。

ルーカスは10年間「スター・ウォーズ」漬けだったので、しばらくウィルズ銀河を離れて新しい事に挑戦します。一方でプライベートでは第1作の編集を手掛け大ヒットに大きく貢献したマーシア・ルーカスと離婚。ピクサーの前身ルーカスフィルムCG部門売却(1986年)の理由はその慰謝料捻出のためと言う噂も。
「ラビリンス」「ハワード・ザ・ダック」などを制作し、「キャプテンEO」と「スターツアーズ」でディズニーとの関係を構築します。


確かに悪い部分はあるが、良い部分もちゃんとある。
まだ表に出ていない話も多いはず。

ところで今回、続三部作の考察を少し交えていますが、最近「エピソード7〜9」を見返してみて(依然として肯定し難いプロット・ホールや安直な忖度演出はあるにせよ)旧三部作以降の時代の出来事としては、その後のルークや次の世代の人々の運命については意外としっかり(レジェンズでの展開やルーカスの思想も踏まえた)熟考が重ねられていたのではないかと考えるようになりました。プランニングには当然パブロ・イダルゴらも参加していたハズですし。

しかしながら(これは憶測ですが)1年おきの上映やディズニー傘下での初の劇場向け作品の条件として収益的な大成功が課せられたなど、様々な外的要因によって色々と想定外の歪みが生じてしまったのではないかという気がしています。
「続三部作」についてもいずれタイムラインを作りたいので改めてしっかり分析をしたいと考えています。

プリクエル公開以降は安易な批判が溢れ、ルーカスを引退に追い込みました。
同じような事を繰り返してはならないと思います。

次は「新三部作」のタイムラインをまとめていきたいです。
仕事のストレス解消、セルフセラピー的に楽しんでおります。
「スター・ウォーズ」最高!


この記事が参加している募集

宇宙SF

映画感想文