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2009-2023の記譜 アンサンブルリベルテ吹奏楽団第64回定期演奏会に寄せて

圧倒的な質量、熱量

 12/17(日)、埼玉県川口市を拠点とする、アンサンブルリベルテ吹奏楽団の第64回定期演奏会を聴いてきた。そのバンドには私の同級生が長いこと所属しているという縁もあり、何度か練習の見学にも参加させてもらっている。

 演奏会を聴きに行ったからといって、毎回毎回こうしてそのとき感じたことを記事にしてまとめるなんてことはしないけど、今回の演奏会は私としては特別に感慨深いものがあったので、こうして筆を執っている。

 演奏会自体はすさまじいものだった。
 なにが凄まじいって、その質量と熱量。
 アンサンブルリベルテだけではなく、ゲストとして、千葉を拠点として、リベルテと同じく日本を代表するアマチュアバンドの一つ、土気シビックウィンドオーケストラもゲスト出演するという豪華ぶり。
 それでいて、選曲もすごい。
 抜粋すると、アンサンブルリベルテがスパーク「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」、エルガー「エニグマ変奏曲」から「ニムロッド」、樽屋「マードックからの最後の手紙」、グラハム「巨人の肩に乗って」。土気がネリベル「二つの交響的断章」、樽屋「斐伊川に流れるクシナダ姫の涙」、アンコールにポップス版「星条旗」。またリベルテに戻ってレスピーギ「ローマの松」全曲。最後の最後はリベルテ・土気両バンドフルメンバー(150名超)による「アフリカン・シンフォニー」。

………。

 今思い出しても身の毛がよだつ。本当にこれ全部聴いたのか? なんか、飲み会の席で勢いで選曲した?
 土気のステージが終わったところで、演奏会開始から2時間。一緒に聞きに来ていた友人と顔を合わせて「ここから松を聴くの…?」と絶望した。吹奏楽ファンなら、この演奏会の質量がどれほどのものかがわかるはずだ。わかってくれ。お疲れさまでしたと言ってくれ。

 とはいえ、さすが日本有数のアマチュアバンド。それでも3時間聴けてしまう。まったく聴衆を飽きさせないし(土気WOの指揮者である加養浩幸氏も「飽きさせない選曲をした」と言っていた。土気ならなにやっても飽きないけど)、そしてどの曲もクオリティが高い。
 リベルテは10月に行われた全日本吹奏楽コンクールでデイ作曲「ウィンドアンサンブルのための協奏曲」の全国大会初演を引っ提げ、圧倒的な演奏で金賞を受賞している(課題曲の瑕はご愛敬)。それからわずか2ケ月で、このプログラムを完成させるという離れ業をやってのけている。
 もちろん、綻びがあることは間違いない。コンクールの演奏ほどの安定感までは醸し出せてはいないものの、それでも、グラハム「巨人の肩にのって」という超絶技巧が織り込まれた難曲と、「ローマの松」全曲を一つのステージでやってのけてしまうのだ。どういうことなの。全く考えられない。

 そんなこんなで、吹奏楽のすばらしさをこれでもかと詰め込まれていた3時間。吹いてる方も聴いてる方もへとへとになる、ウィンウィンな演奏会だった。

 という演奏会の感想ももちろん書きたかったのだが、この記事の本旨はそこではない。
 私がこの記事のテーマとしたいのは、アンサンブルリベルテが演奏会の1曲目に選んだスパーク作曲の「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」。スパークがニューヨークに赴いた際の経験をもとにして書かれた名曲だ。
 この曲で、私の同級生が華麗にソロを演じていた。簡単なソロではないはずだが、見事に吹きこなしていた。その姿を見ながら、ある年の記憶が一気に蘇ってきた。
 時間は、2009年まで遡る。

2009年、全国大会高校の部

 私は2003年に中学入学と同時に吹奏楽部に入部し、トロンボーンを始めた。それからかれこれ20年が経とうとしている(え、20年? 今書いて気づいた。まじで?)
 長くなってしまった音楽人生の中でも、2009年という1年は、私の中で印象・記憶に残る年だった。おそらく私の友人もそうであるはずだ。

 その年、大学に入学した私は、もちろん大学でも吹奏楽を続けるつもりだった。というか、「吹奏楽が強い」という理由でその大学を選び、見事に合格をつかみ取っていたし、新歓の花見にも参加して散々吹奏楽ファンであることをひけらかし、先輩からも「こいつは絶対入る」と目されていた。
 しかし、そのあと「このまま吹奏楽部に入ったら、大学の勉強一切しないで楽器しかやらないんじゃね?」という考えが頭を駆け巡り、そこからは新歓企画を全てすっぽかし、放送サークルに鞍替えした。そこで、楽器からは離れることになってしまった(吹部の同級生に後で聞いたところによると、先輩からは「あいつは逃げた」と言われていたらしい)。

 そんないきさつでプレイヤーとしての活動には一旦終止符を打った私だったが、それからは聴く専としての活動が始まった。
 2009年という年は、暇を持て余した私がいろんなコンクール会場に赴いて演奏を聴く1年でもあり、そして吹奏楽コンクールでもいろいろ歴史的な出来事が起こった1年でもあった。

 私は都大会本選の大学・職場一般の部、そして全国大会の高校の部(午前)、そして全国大会の職場・一般の部を会場で聴いた。高校の部はまだ普門館での開催であった。私にとっては2006年以来の参加だった。

 全国大会高校の部では、柏高校の朝一銅賞(私は絶対金賞だと思った)、精華女子の初「華麗なる舞曲」、埼玉栄の「ポカホンタス」(銀賞)、小松明峰の「中国の不思議な役人」(石川県の高校で初めての全国金賞)、春日部共栄による福島弘和「ラッキードラゴン」の初演、大阪桐蔭の「カルミナ・ブラーナ」など、印象に残っている曲が数多くある。
 とくに春日部共栄による「ラッキードラゴン」の登場はこの後の吹奏楽コンクールの選曲にも大きく影響を与えただろう。2009年の高校の部で金賞を受賞した団体のうち、オリジナル作品を扱ったのは10校中3校。他の部門でも、まだアレンジ作品の選曲が多く目立つ。(2006年は9団体中2団体がオリジナル、2008年も10団体中3団体に留まる)

 一方、2023年のコンクールに目を向ければ、高校の部の金賞団体でオリジナル作品を扱ったの9団体中7団体。アレンジ作品は共栄(サロメ)と幕張総合(ダフニス)の2団体だけ。高校の部全体で見ても30団体中22団体がオリジナル作品を選曲している。近年では邦人作品が多く選曲される(というか、邦人作曲家が吹奏楽コンクール向けに多く作曲をしていると言った方が正しいだろうけど)傾向にあるのは明らかだ。
 吹奏楽オリジナル作品の裾野が広がった、という良い側面もあるだろうが、コンクール向けの作品が多く出版されると作品が画一的になるという負の側面も持つ(誰とは言わないけど)。そんな中、岡山学芸館高校のようにA.リード作品に回帰するバンドも現れている(私としてはアラルコンや周天などの曲を発掘する光が丘女子がもっと評価されてほしい。もちろんリベルテもオリジナル作品の可能性を探る重要なバンドの一つだ)。14年も経つと、コンクールの選曲もこのように大きく様変わりする。

全国大会、職場・一般の部

 高校の部と同様に、名古屋国際会議場で行なわれた職場・一般の部でも様々な名演が繰り広げられ、印象的な出来事も多く起きた。

 特筆すべきは、この年から職場の部と一般の部が統合されたことだ。
 職場の部の参加団体数も頭打ちで、支部大会も参加団体が1団体のみだったり、参加団体が少なすぎて銀賞を受賞して全国大会に推薦されるという事態が常態化していたため、一般の部への統合もやむなしといったところだろうが、2023年現在ではもう職場バンドで全国大会に残っているのはブリヂストン久留米とNTT西日本、そしてたまにヤマハ吹奏楽団が出場できるくらいだ。支部大会を見ても、残るのはNTT東日本くらいだろう。
 この決定が文化体験の縮小になったかどうかという検証はもう行われないのだろう。職場における文化の共有、文化体験の共有に吹奏楽コンクール職場の部がどれほど寄与していたか、ということは今一度再評価されてもいいのかもしれない。

 また、この時はまだ「同一部門で複数団体を同じ指揮者が指揮できる」という制度が残っていた。今は同一部門の場合は、一人の指揮者が指揮できるのは一団体のみだ(支部大会は別)。
 この年は福本信太郎が2団体(相模原市民・リベルテ)、佐藤正人が2団体(秋田・川越奏和)、近藤久敦が2団体(名取・横ブラ)という多忙ぶり。佐藤正人にいたっては秋田→東海市→川越奏和と、一団体を挟んで2団体を振るという事態。このとき舞台裏どうなってたんだろう(12/19追記:DVD見直したら、佐藤正人は秋田と川越で衣装を替えていた。この短い時間で!?)。(なお、この年は東京支部代表のリヴィエール吹奏楽団が規定違反により全国大会出場権を剥奪されるという珍しい出来事も起きている。リヴィエールが演奏していたら福本信太郎は前代未聞(?)の同一部門同一年3団体指揮という事態になっていた)。

 と、出来事だけでもなかなか印象深いコンクールだったが、演奏も粒ぞろいだった。グロリアと東海市吹奏楽団の「ローマの祭り」対決。2団体は同じ曲をまったく違う色に仕上げて、2団体とも見事に金賞を受賞した。ブリヂストン久留米のレスピーギ「地の精のバラード」、川越奏和のラフマニノフ「交響的舞曲」、横ブラの「ブリリアント交響曲」(指揮者の近藤久敦が自身のブログで、横ブラと名取のどちらのバンドも銀賞という評価を与えられたことに苦言を呈していたのも記憶に残っている。やはりそれくらいの矜持を持ちながら指揮台に立っていたいものだ)

 以上のように、多くの名演が残された2009年の全国大会だった。ただ、私の個人的な思い出といえば、先ほど述べた「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」だった。

ウィークエンド・イン・名古屋

 そもそもなぜ関東在住の私がわざわざ名古屋で行なわれる職場・一般の部の演奏会に行ったのかというと、かくいう私の同級生がその年からアンサンブルリベルテ吹奏楽団に所属し、初めて全国大会に出場する、ということが大きかった。
 中学1年生、当時12歳のときに出会ったその友人が、高校時代には到底立つことはできなかった全国大会の舞台に立つ。私にとっては衝撃的な出来事だった。私は、初めて一人で新幹線に乗って、初めての一人旅を経験し(日帰り)、名古屋へと向かった。
 新幹線の中での風景はあまり覚えていないが、名古屋国際会議場のホールの風景はよく覚えている。朝一から聴きに行き、二階席を陣取った。まだ人はまばらで、私の他に数人しかいなかった。そのとき少し風邪気味で、鼻をかみすぎた私は右耳が聞こえづらくなっていたことを強く後悔しながら開演を待っていた。

 そこで、朝一番に演奏されたのが、尼崎市吹奏楽団の「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」だった。
 ステージにはドラムがセットされ、課題曲のマーチのスネアはドラムセットのスネアで演奏されていたのも強く覚えている。そして、自由曲。きらびやかなファンファーレから始まり、名古屋の朝に軽快な、それでいて妖艶なポップスが繰り広げられた。私はその演奏に衝撃を受けた。
 当時、辻井清幸が率いていた尼崎市吹奏楽団は、数あるアマチュアバンドの中でも異彩を放つバンドとして数えられている。当時も爆音バンドがもてはやされる中、非常に理知的で、なおかつ色彩豊かな音楽をつくることのできるバンドだった。私が特に好きなのは2003年のマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」だ。木村吉弘の素晴らしいアレンジと共に、密やかで、華麗で、美しい演奏を繰り広げていた。そのバンドが2009年に選んだのがこの「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」だった。
 「ウィークエンド~」がアメリカで初演されたのは2008年。その僅か1年後にコンクールで取り上げている。練習の期間を考えれば、2009年の早い時期に選曲されたに違いない。そうした先見性があったのも尼崎市吹奏楽団の魅力だった。結果は銀賞だったものの、賞とは関係なく、今でも名演として歴史に残っている。

 その2009年に全国初演された「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」を、2023年にアンサンブルリベルテ吹奏楽団が演奏し、そしてその曲の中でも要のソロとなる、アルトサックスのソロを私の友人が吹いている。しかも非常に巧みに。
 当時19歳だった彼が、今やアンサンブルリベルテの主要人物として活躍し、私の思い出深い曲のソロを演奏している。その光景を見ながら、2023年の南浦和のいっぱいになった客席と、2009年の名古屋国際会議場のがらんとした2階席の風景が一気に繋がったような気がした。音を媒介にして、今まではどこかにしまわれていた記憶が一気に立ち現れてくるというのは、私にとってもあまりない経験であった。それだけ、私もある程度の時間を生きてきたということなのだろう。
 あのときの、2009年の2階席で嚙み締めた憧憬の念は今でも変わらない。やはり彼はいつまで経っても私の憧れであり、ライバルである。彼はこの14年でプレイヤーとして大きく成長を遂げ、さらに私の手の届かない場所まで行ってしまった。ただ、今までは彼の活躍を客席でただ見て、聴いていただけだったが、私も再びプレイヤーの一人として吹奏楽に携わるようになった今は、なんとなく同じ土俵にやっと立てたような気もする。私のステージを彼が見るという機会も何度かある。彼が私のステージを聴いて「うまい」と言うまでにはまだ何年もかかるだろうが、それまではどうにか舞台に立ち続けていたい。

 まさかこんな長い記事になるなんて思わなかった。私と同年代の吹奏楽ファンは「あ~あったね~そんなこと」と思ってくれるに違いない。
 来年のアンサンブルリベルテの定期演奏会は、ついに時任康文が登場。どんな質量の演奏会を繰り広げてくれるか、いまから楽しみでならない(でももう少し薄味にしてくれ)。

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