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自分を苦しめる間違ったコントロールは必要ない

以前、ある人に言われました。
「あなたは自分に厳しいよね」って。
その人の前では、割とニコニコして、うんうんと話を聴く側にいたから、そう言われたことにびっくりしたんだけど、漏れ出ていたらしいです。苦笑


学生の頃から「下には下がいるけど、上には上がいる」と思っていて、自分がなにか上手くできたとしても、「わたしより上手くできる人は世の中にごまんといるし、大したことない。こんなことで上手くできてると思うほうが恥ずかしい」みたいな白けた子どもでした。
上手くできたとしても、もっと上手くできている人と比較して、足りてないところを見つけて。自分の出来に満足したら成長が止まると思っているようなところがありました。

たぶんその当時は、それを自分の頑張るモチベーションにしていたのだと思う。自分のマイナスをせっせと埋めて、いつかちゃんとした大人にならなければ!みたいな。


全般的にそんな風だったので、自分の足りないところが目について、気になって、ダメ出しするということが、自分の中では当たり前なことになっていました。
そりゃあ自分に厳しいよね。苦笑。
人を上下に見る癖もあったし、ずいぶん生きづらかったと思います。

まあ、親との関わりもあったと思いますが、そもそもの資質として、人の良いところ素敵なところに目がいくタイプで、比較すること、試行錯誤や改善することが得意だし、向上心とか成長欲が強いというのもあると思います。


でも、冷静に考えたら、そういうの、キリないよね。

自分の足りないところをわざわざ切り取って、よく出来ている(ように見える)人と比べるって、最初からフェアな戦いじゃないやん!明らかに負けに行ってるやん!自分に鞭打つために行ってるやん!

その人はそれに生命かけて、めちゃくちゃ頑張って成し遂げたかもしれないし、逆になんの努力もなく自分の強みとしてさらっとできちゃってたのかもしれない。背景もわからないのに、目にみえる結果だけで比べるって、意味ない!まじで!


で、今日ふと
いろんな原因はあるけど、根本的な要因として、なんかこうやって、思い通りじゃない自分を力ずくでコントロールしようとしてたから、苦しかったんだなーと思ったんです(セルフパワハラですww)
明らかに、自分の動かし方を勘違いしていた。
寓話の『北風と太陽』で言ったら、北風です。
常にもう1人の自分が、今を憂いて強引に、このままじゃ困ったことになるぞ!頑張れ!やれよ!って背中を押すどころか突き落としてくる。

だからわたしは、会社員のときは頑張り続け、会社員を辞めてからは頑張ることが無理で、行動も起こせなくて、男性性が弱小になっていました。

そして、言わずもがな
他人や出来事に対しても、深く関わるうちに、このコントロール欲みたいなものが出てくるんですね。でもそれはコントロールできないと知っているので、その前に深く関わることをセーブするようなところがありました。


この『間違ったコントロール』というキーワードで見たとき、自分の内側で起きていたこと、感情が整理できて、なんだかとてもスッキリしました。

「自己否定をやめたいけどやめられない」とか「自分のことを褒めたいけど褒められない」とか「自分を甘やかしたいけど厳しくしてしまう」とか、なんか上手くできないなーと思っていた全部が、自己成長というメリットがなくなると思ってたんだったら、そうなるしかなかったよねって腑に落ちた。しかもその成長欲が欠乏感からきてるから、成長が止まることはイコール自分の安全が脅かされるくらいの恐ろしさだったと思う。


でも、もうほんとうは知っている。
そんなのなくても、自分を動かすことができる。
人はみな、欠けた存在ではなく、未完成なままで完璧な存在。
未完成こそが個性で、美しさ。

全てが思い通りになることなんてない。
思い通りにならないことを受け入れてこそ、人として成長ができる。

ということで、なんだかスッキリと楽しく自分を動かせそうです。
『北風と太陽』の太陽を見習って、
自分も他人もよく観察し、受容して、焦らずゆっくり、暖かく優しい眼差しで見守り、本来の成長欲求(自己実現欲求)を引き出す。
この在り方になるー!


Enjoy your life!
イズミ

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