見出し画像

子の心親知らず

「才能・個性・らしさ」を育む、いしかわいづみです。

一枚の写真

以前自分科講座でこの写真をよく使っていた。
その時「親子かな?」ってよく聞かれたけど
実は娘と息子。
もう7〜8年前の写真。
だけど撮った時のことを明確に覚えている。

久々に親子3人で帰省して、砂丘に行こうって話になり、母も含め4人で訪れた海。

夕暮れの海なんて滅多に来られないから、私は夢中で写真を撮っていたけれど、波際まで行く孫たちが母は気が気でなく
「危ないからやめさせろ」
「写真なんて撮ってる場合じゃない」
と、何度も注意された。

母は昔から心配症で口煩かった。
先回りの更に先回りをして
あーなったら困る
こーなったらどうしよう
と、不安をよく口にしていた。

この日も、そんなに高波だったわけでもない。
もともと荒い海たけど
寧ろ落ち着いているくらいの波だったし
子どもが小さいと言っても2人とも小学生だった。
2〜3歳の子でもあるまいし、と思い
「大丈夫だよー」
って半分くらい返事しつつ、半分くらいは聞き流して写真を撮っていた。

いつの頃からかそんな口煩い母を疎ましく思うようになった。
言うことを聞かなかったり
聞こえないフリをしたり。
反発もしていた。
どんなふうに反発したかとかは覚えていないけれど、父にも母にも、たくさん反抗したと記憶していた。

思春期に入った娘とよくぶつかるようになった時
あまりにもそんなことが続いてしんどくなり
私自身は思春期の時どうだったんだろう?
母はどう対応していたのだろう?
と、電話で聞いてみた。

「あなたが思春期の頃、お姉ちゃんばかりに気をとられて、あんたにあまり構ってあげられなくてねぇ…申し訳なかったわ…」

母の返事は意外なモノだった。
具体的なことは思い出せないけど、めちゃくちゃ反抗してたと記憶してたから
拍子抜けした。

自分ではめちゃくちゃ反抗してたつもりだったのに。
自分のめいっぱいが、そんな程度のモノだった。
なんだか情け無いような気もしたけれど
ちょっと笑ってしまった。

親の心子知らず
子の心親知らず

勘違いしながらも
お互いにお互いを申し訳なく思っていたところが
親子だなぁと思う。

母と私
私と娘

こんなふうな勘違いもまた
受け継がれていくのだろう。

8/9オンラインで自分科講座やります。
親子で受けると、それぞれの見方がわかって、理解が深まりますよ。

いただいたサポートはプロジェクト活動に使わせていただきます。