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「愛は地球を救う」とは?

8月も終わりが近づいてきた。

今日は24時間テレビがあるのか。

毎年楽しみにしている番組というわけではないが、24時間テレビがあると、なんとなく「あ〜、夏が終わるんだなぁ」という気持ちになる。

今年で”45回目の放送”というのは、自分と同じ歳で一緒に人生を歩んできた事になるんだな。

昔は黄色いTシャツを着て、街頭で募金活動が大々的に行われていた印象がある。
多くの人はこの日のために瓶に小銭を溜め込んで瓶ごと渡すなんて映像が良く見られていたものだ。

けど、最近は募金の仕方もだいぶ変わったように感じる。
手渡しで募金をするというよりは、人と会わず、銀行から振り込んだり、クレジットやスマホ決済が主流になってきている。

募金者も簡単で便利だけど、人と対面して手渡しで「頑張ってください〜」とか「ありがとうございます!」みたいなやりとりなく数字だけが動いていくのはなんとなく寂しさを感じる。

”誰かの役に立った”とか”人に感謝さえた”という感情が希薄になってきている世の中な気がする。

▽24時間テレビには批判が殺到する

24時間テレビの時期になると毎回批判的な話題があがる。

この時ばかりは”難病”や”障害者”または”余命患者”に焦点をあて、人生のエピソードや頑張っている姿を視聴者へ見せ、感動をさせるという「感動ポルノ」だと批判の声が上がる。

またチャリティー番組にもかかわらず、出演者に多額のギャラが支払われているという噂ばなしが再熱する。

きっと今日はSNSでそんな投稿も目にする事だろう。

私も完全にテレビ番組を肯定している訳ではなく、
障害者のできない部分をフォーカスされて、”可愛そう”とか”大変そうだ”という視聴者の気持ちを煽り、それを乗り越えた映像を見せられて「健常者も勇気が出た!」みたいなストーリーは私もなんとなくモヤモヤする時がある。

メインテーマは「愛は地球を救う」
そしてサブテーマの「あいたい」にも障害などを連想させるものではないにも関わらず、この時ばかりは”障害者を特別扱い”して障害者から勇気をもらった!とヒーローに仕立て上げる。

そして、
取り上げられるのは視聴者がわかりやすい「身体障害」の人や「知的障害」の人たち。
世の中には精神的な障害があったり、発達障害で生きることへ一生懸命な人がいるのに45年の歴史の中でもそこへはフォーカスされない。

”見えない障害”がゆえに社会の理解が広まらない。
こここそ愛の力でなんとかして欲しいんだけどぁ。

何も障害って当事者だけの問題ではなく「社会側の障害」(視聴者だって社会側の障害になりうる訳で、、)だってある訳で、そんな障害をテーマにしてみたらもっと興味が湧くんだけどな。

「愛は地球を救う」の”愛”は障害者から愛をもらうのではなく、社会全体が愛をもち、障害あるなし関係なく愛が全ての人にゆき渡る社会にしていくことではないだろうか。

世の中には全ての人にゆき渡る愛が溢れていて、愛を誰かに分け与える「豊かさマインド」を持ちたい。


という事を今日は書こうとした訳じゃなかったのに、冒頭で24時間テレビに触れたら24時間テレビの話題になってしまった。

24時間テレビを批判したい訳ではないので、真っ白な視点で観てみて、何か感じる事があったらまた書いてみようと思います。

私は普通にチャリティーランナーをいつも応援していますし、この日は夜更かしもします。
出演している人は本当に頑張ってるので感動もします。

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今日は、自分の生き方についてnoteを書きながら整理していこうかと思ったけど、書いていくと全く異なる記事になってしまう事もあるんだな。。

自分自身のミッション・ステートメントを作ろうを思っていて、またの機会に自分の生き方を深く考えていくことにしようっと。



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