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森のようちえん年少組が終わった

日があいてしまいましたという弁明では到底足りないほどに日があいてしまった。

森のようちえんへは、2学期が始まる9月から入園した。2学期が終わって冬休みが終わって、3学期がはじまってあっという間に年長のお兄さんお姉さんたちが卒園していった。
濃密とはこういうことで、
光の速さとはこういうことだった。

2023年の春に奈良に引っ越してきてすぐに森のようちえんと出逢った我が家。週末イベントのキャンセル枠で参加させてもらってはじめて森に入った時のことは今でも忘れない。

その時点ではすでに別の保育園に通っていた娘、けれど毎日「行きたくない」と言ってぐずっていた。園全体の様子や先生の姿に正直なところ違和感を覚えていた私も、「ぐずる気持ちもわかる。このままここに居続けるのでいいのか。そもそも私自身が違和感を抱えている状態で、娘にいいわけがない。」と、感じながらも、ではどうする?に至れない日々。

そんなタイミングで出逢った森のようちえんという場所。自然の中に身を置き感じた時に心が震えて不思議と涙が出た。子供のためだと思ってここに来たけれど、私のためでもあったのだな。と、入園を強く心に決めた。
当初は年中になる2024年4月からの編入を考えていたが、「2学期から入れますよ」という言葉をいただき、思い切って流れに乗ることにした。もちろん、生活ががらりと変わり、私自身が今まで確保できていた時間はほとんどなくなると容易に想像できたが、私の人生の中でのこれからの約3年間はほんのわずかな時間だけれど、娘にとっては大切な大切な時間。小学校にあがる前のこの時期に何を一緒に感じて過ごしたいか。そこに目を向けよう。と覚悟した。いま考えると、当初の予定通り春からの入園にした場合に、この年少での半年間を経験できないままだったかと思うと、濃密で貴重な時間を与えてくださったスタッフの皆さんに非常に感謝しているし、また、そうしようと決めた私と夫には、よくやったじゃんと褒めたい気持ちだ。

いまはまだ、私が受け取っているものが何なのか、森のようちえんの濃密で貴重な時間とはどういう内容なのかを誰かに分かりやすく説明することはとってもむずかしいのだけれど、これからもここに書き記していくことで表していきたい。

娘は冬休みがあけたころから体力がついて昼寝をほとんどしなくなった。そのおかげで夜寝るのが早くなった。食事もよく食べるし、熱も出ないし風邪らしい風邪をひいていない。そしてほとんど毎日のように「ママー!もりのようちえん、たのしー!」と言うようになった。
特にこちらからようちえんどう?などと聞いたわけではなく、急に言い出して嬉しそうにしている。そんな様子を見ていて、心と身体はつながっていて、森ともつながっていて、生き生きしているのかもしれないなと感じた。

そして、私も嬉しくなって「今日は何をしたの?」と聞いた。そうしたら少し考えて「なーんにも!あるいてた!」と言った。

私はその答えを聞いて、何か絵を描いたとかロープで遊んだとか火をつけたとかそういうわかりやすく『何かした』ことの答えを期待していたことにハッとした。そうじゃない、娘はあの森で日々を過ごしている。自分のちからではどうしようもない大自然、毎日違う姿を見せてくれる木々や草花、やさしく包み込む風、凍てつく寒さ、恵みのような太陽の光…を目の前に、揺らぐ自分とも手を繋ぎながら、仲間と火をおこして、気持ちを伝え合って、信頼しあって、心をたくさんたくさん動かして、一緒に暮らして共に生きているんだった、と。自分の固定概念にはさっさと反省をして、そうか、そうだよなと。そのこと以外に、して欲しいと願うようなことは何もないのだったと、改めて思った。

最初に参加した森での週末イベントでスタッフのみなさんからの話を伺った時に「私たちはあえて積極的に誘うことをしない時もあります」とおっしゃっていたことが印象に残っている。森で過ごすということはどういうことか、そこでどうしたいのかを決めるのは自分で、それを知っていくこと、共に暮らし共に生きることはどういうことか、目の前にいる仲間と心でつながった時にどんな感覚になるのか。心が満ちる瞬間とは。
娘がのぞむ在り方を注意深く観察して、そのはしっこでもいいからつかみたい。より一層この人を一人の人間として信じて見守っていくこと。それこそが私ができることなのだから。

もうすぐ始業式だ。

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