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my sweet dad

父とのことについて、話をしようと思う。
私が8歳の時に両親が離婚したため離れて暮らしたまま
ほとんど会わないうちに病気で若くして亡くなった父との話。
念の為書いておくと、決して暗い話ではない。
これは私の解放の話で、それは「真の意味でより強く私になった」という話だ。

私はヒプノセラピストになる少し前からインナーチャイルドに必死に向き合っていて、さまざまなワークやセラピー、カウンセリングを受けていた。
それまでも何度も内省したり、たとえひとりになるとしても自分に自分で嘘をつかないような選択をしてきたけれど、産後どうしても自分の内と外が乖離しているような感覚から抜け出せなくて非常に焦っていた。「このままの自分ではまた家庭を壊してしまう」と。(注:私には離婚経験がある)

そんな必死のカウンセリングの日々の中で、QUANTAのリトリートでも人気のホリスティックヒーラーでありアーユルヴェーダ専門家であるMOTOKOさんにセッションしていただく機会に恵まれたことがあって、その時にこう言われた。

「お父さんに何かいじわるされたとか嫌なことをされたみたいだけど、覚えてます?」

私はこう答えた。
「いじわる…いえ、いじわるされたような記憶はないです…」


MOTOKOさんのセッションは非常に納得するところばかりだったのだが、唯一このメッセージだけが腑に落ちなかった。全く記憶にないし「父からのいじわる」と聞いて体感的な反応もない。
なんだろう。私の記憶からこぼれ落ちてしまっている何かがあったのかな、でも気になるからいつか母に聞いてみようかな。くらいに考えていた。そしてそこから2年が過ぎた。



毎週土曜日にStand fmで配信している[ゆめづみのへや]で何度か話しているのだけど、私は前述のMOTOKOさんとのセッションの半年後くらいにヒプノセラピーと出会って、母への複雑な感情(激しめの怒りの塊を抱えていた&その根底には悲しみも隠れていた)をかなり解放することができた。1度目のヒプノで主たる案件の解放がおこり、その後すぐに追加で2回のヒプノによりその根源から伸びた枝葉の部分の解放があった。それから自分でヒプノセラピーを学ぶようになってセラピストとしての資格を取得した。その頃から潜在意識と顕在意識の波を感じながら自分と向き合う生活になっているように思う(それまでも自分と向き合ってきたけれど確信のようなものはなく、直感を受け取っていくことの怖さを伴っていたので、ヒプノの感覚を習得できたのは非常によかった)。

そんな日々でも依然として「父からのいじわる」については何もつながらなかったのだが、2023年の春に新潟から奈良への引っ越しがあった時に、3歳の娘への影響やストレスについてを自分の経験からイメージしてこんなnoteを書きながら久しぶりに当時の自分と父とのことを思い出した。
ちょっと長いけれど引用します。

私は8歳の時に両親の離婚に伴って引越しをした日のことを今でも覚えているが、悲壮感漂う母を目の前にして不安や悲しみで口を閉ざす以外できなかった。友達や近所の親しくしていた人も見送りに来てくれていたような気もするがそういう記憶はごっそりなくて、ただただ薄暗い灰色に包まれた当時の家の風景だけが印象に残っている。『お母さんとお父さんは一緒に暮らせなくなったからあなたはお母さんとおばあちゃんと一緒に引越しするよ』と告げられた、食後のヨーグルトを食べていたあの朝から、いったいどれくらいの日数そこでどのように暮らしたのか。お別れ会のようなものがあったのか。ただただぼんやりしている中、昨日まで普通に話していた父となぜかうまく話せなくなってしまって、お土産に買ってきてくれたチョコレートのついたアイスも上手に受け取れなかったことだけ鮮明におぼえている。


子供の頃の私は、なぜ昨日まで普通に話していた父とうまく話せなくなってしまったのか?そのチョコレートがついたアイスを上手に受け取れなかったのはなぜなのか?そんな疑問がふと、この蟹座新月(2023年7月18日)の数日前、月が双子座にいる時に湧いてきた。そのあいだ、やけに潜れるこの曲をずっと聴いていた。


ヒプノセラピーをするようになってから、潜在意識へ潜る時と似たような感覚を実生活でも発見するようになっていて、自分と向き合いたい時はその行動をとるようにしている(瞑想が一般的だと思うけれど、私の場合はシャワーや車の運転と相性がいい)。その日の運転中になんとなくまた『チョコレートのついたアイスを上手に受け取れない自分』が出てきて、その直後に急にバチンと脳あたり?に衝撃が走って、『浮気!』という答えが出た。びっくりした。

そう、私の両親の離婚理由の最大のひとつは父の浮気だ。新しい女をつくったおかげで私の生活は一変した。父はそれまで私たちが住んでいた一軒家を売ってそのお金を持ってすぐに再婚して新しいマンションを購入していた。私が父から受けた「いじわる」は、この【浮気による離婚】だ。苦虫を噛み潰したような後味の悪さ、裏切りを自覚した時の憤り、そんな感覚。まさに言い換えればいじわるだった。

腑に落ちすぎて頭がおかしくなりそうだった。ぼろぼろと落ちる涙。そして本丸がわかりやすくそこにあったのに今日の今日まで気付かなかった(そこが繋がっていなかった)自分に呆れた。灯台下暗し。

差し出されたアイスを上手に受け取れなかった当時の自分を、潜ったまま丁寧に観察して感じてみると、こんな感じだった。父にどう接していいかわからない。この人がこの悲しみの元凶だということはなんとなくわかっている。でも好きなのに好きじゃなくならなきゃいけない?と、怒りのもっと手前の純粋な悲しみと透明すぎて誰も答えを持っていないような疑問の中で父を見ていた。
同時に、宙ぶらりんのまま何となく美しそうな記憶で修復していた父像から、真実(=私の視点からの真実)がはっきりとしたことで、私の中での父をテーマとした自己対話に大凡終着に近い結びをみた。

この大きな気付きがおこる数日前にstand fmでのびたまごさんと一緒に配信した[あいだのもりでひそひそ]の中でテーマにあがったスマートであるということについて、私は配信後もしばらくもごもごと咀嚼し続けていた。なぜスマートでいるのが心地よいのか?無理をしていないか?無理をしているとしたらどの部分?スマートでいると何がいいのか?と。
この自分との確認の中で、感情の解放を受け入れる方向に自然と意識が向いていたのもよかったのだと思う。そういう前兆があって、星まわりがあって、ヒプノの作用があって、今回のことに繋がった。

冒頭で書いたように、これは私の解放の話で、それは「真の意味でより強く私になった」という話だ。目の前からいなくなってから35年。肉体がこの世からいなくなってから21年。今週末、父の命日がやってくる。
やっと、結ばれたんだ。


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