ラッハ・マク! プカプカ!

 (第五回) 純潔なる邂逅

 さあさあ子供たち。
 みんな集まったか?
 よしよし、ではプカプカの話をはじめよう。
 昔々、本当に昔々のおはなし。
 この世で最初にムングの絵札(※1)を作った少女、プカプカのおはなしをな……。

「ハックァンフ!」
 プカプカは、唐突にくしゃみをした。
 それも、こんな時に限って、“屋根飛ばし”のフウブウ親父(※2)みたいな威勢の良いのを……。
 案の定、真昼の日差しで熱くなった壁の向こうから「そこにいるな!」と声がする。
 男の足音が迫ってきた。
「やだっ、どうして? 普段は、もっと可愛いらしいくしゃみなのに!」
 頬を染め、見当違いの文句を言いながら路地を折れると、砂を蹴立てて走り出す。
 狭い路地に並ぶ日干しレンガの建物は、どれも空き家ばかりで半ば崩れかけていた。扉もない家に飛びこんでも、かえって追いつめられてしまう。
 うっかり、人の少ない地区へ逃げてしまったのだ。
 芝居を始める前にきちんと念を押したのに、男は〈バナンニの後〉を期待して迫ってきた。
 いつものようにやんわりとかわしたつもりが、傭兵くずれの客はしつこかった。すっかり興奮して話も通じない。ブクフリ(※3)でもやっていたのかもしれない。
 今思うと目つきが怪しかった。歯に黒い染みが付いていたような気もする……。
 などと思い返している暇はなかった。
 素早く裏路地に入り、隠れてやり過ごそうとする。
「ハ……ハ~ックァンフ!」
「そっちだな!?」
 しつこく追ってくる足音。
 だめだ、走るしかない!
 建物のすき間を抜け、袋小路になっていない事を祈りながら角を曲がる。
「フャックァンフ! ああん、もう!」
 クァンを吸いこんだときのように鼻がむず痒くて、くしゃみが止まらない。
 きっと、この砂のせいだ。
 はしたないくしゃみだけでなく、客が乾ききってやけになっているのも、好きでもないバナンニを演じなければならなかったのも……。
 みんな砂のせいなのだ。
 クトーの人々が好む椰子の葉を葺いた屋根に、石畳の路地に、板戸の溝に、細かな黄土色はうっすらと舞い降りてくる。
 砂が、ゆっくりと南から押し寄せていた。
 以前はクトーの人々が切り開いた水路が田畑を潤し、街の外には豊かな緑が広がっていたのだが。今、その大半は砂に覆われている。
 それでも辛うじて、チャッキ(※4)は砂漠に埋もれていなかった。南方との貿易と農業で栄えたこの都は、昔の穏やかなそれではなく、やけくそ気味の活気に満ちていた。
 市場や荷揚場、酒場までが、忙しげな人々でごった返し、立ち止まって紙芝居を楽しむ者など一人もいない。バナンニでもしなければ、帰りの路銀も稼げなかった。
 街の中央にあるノルグ湖は、かつての豊富だった水位を示す段差が無惨な姿をさらしている。
 湖から流れるイム川には、街を捨てた人々を運ぶ何艘もの船が、ひっきりなしに往き来していた。
 稼ぎ時を逃さぬヴォジクの船頭たちは法外な船賃を要求したが、それでも街を去る者は後を絶たなかった。
 クトーの都チャッキは、杭に縛られた罪人が飢えと渇きで朽ち果てるように、じわじわと滅びつつあった。ムングの怒り――サバムングの怒りが、この街を滅ぼそうとしているのだ(※5)。
 だからこそムングが山ほどいると思ったのに!
 噂を聞いて、わざわざ南の果てまでやってきたのに!
「ムングが全然いないなんて!」
 街についてすぐに、彼女は気づいていた。この街には、まるでムングサが感じられない。絵を描くどころか、かけらほどのムングもいないのだ。
 この砂埃の中で、アギャイシャ神(※6)さえ見当たらないなんて!
 おまけにこの窮地である。
 いざとなったら、ムングに助けを求めよう――そう思って、腰袋の絵札にそっと手をのばす。だが、不安はぬぐえなかった。
 果たして、ここでも頼れるのだろうか? ムングのいないこの街で……。
 プカプカは、旅の途中で立ち寄ったムチリジノトルで呪い師に告げられた言葉を思い出した。
 ヴォジクの波止場に住む顔見知りの老婆は、チャッキへの道行きを占い「イナーナ(※7)が汝の身を助けることになる」と言った。むろん、イナ神は良いワダムング(※8)だ。銀髪のゾラ神と仲が良い彼女は、プカプカが物心ついて真っ先に絵札にした昔なじみでもある。
 でも、本当にイナーナが役に立つのかしら? むしろ、今はそれを失いかけてるとこなんだけど……。
 壁がくっつきそうな路地を曲がって、ハッと息を飲む。
 しまった! 行き止まり……!?
 いや、真上からの日差しに照りつけられた袋小路の奥には、地下へと続く石段が黒々と口を開けていた。
 こんなところに地下室が?
「見つけたぞ!」
 すぐ後で声がする。
 男の荒い息――。
 今にも手が届いて――。
 迷っている暇はなかった。
 暗闇に飛びこみ、足早に石の階段を下りる。
 そう、初めの数段は、たしかに石だったのだ。たっぷりと積もった砂埃が舞い上がるまでは……。
「ハ~ックァンフ!」
 足元の感触が変わったのはそのときだった。
 踏みしめた階段が、砂袋のようにぐにゃりと沈みこむ。びっくりして触れた壁も、いつの間にかなめし革のように滑らかになっていた。
 な、なによこれ?!
 そう思った途端、軟らかな床に穴が開き、彼女はすっぽりと闇の中に抜け落ちていた。
「きゃあああ!」
 落下はやけに長く感じられたが、やがて滑らかな床に着地する。
「痛たた……っ」
 じんじんする尻をさすって、プカプカは立ち上がった。
 尻もちで済んだから大して落ちてはいないはず……と顔を上げる。入口の光は、小さくぽつんと見えていた。
 五~六カイはあろうか……。無事だったのがとても信じられない高さだ。
「そんな! こんな深くまで落ちちゃったの?」
 声が、ひんやりした空気に虚ろに響いた。
 地下の広い空間に落ちたらしく、手探りで触れた滑らかな壁はどこまでも続いている。
 辺りは鼻をつままれてもわからない真っ暗闇――それなのに、アウブ神やラノート神(※9)の気配はない。神のいない闇があるなんて……。
 〈声〉がしたのはそのときだった。
(ワダ(※10)が落ちてきたぞ)
(我らのもとに?)
(生臭いワダめが!)
 〈声〉は滑らかな壁面から聞こえた。特定の方角からではなく、そこら中から聞こえてくる。
 不思議な声だった。大勢が別々に話しているのに、どれも同じ声なので、独り言のようにも聞こえる。
「ひ、ひぃ! ムングだ! それとも魔賊か!?」
 上の方で、追ってきた傭兵くずれの声がする。
「ねえ、助けて! 人を呼んで!」
「し、知ったことか! さっきの〈声〉はなんだ? 魔賊に食われるのはまっぴらだ……」
 そう答える声が、早くも遠ざかりつつある。きっと、尻込みしながら話しているのだ。
(別のワダが上にいるぞ)
(余計な会話をする奴らだ)
(意思疎通ができないのか?)
(ワダどもは思考が独立している)
(不便な奴らよ)
(上のワダは我らの砂に浸かっている)
(あれはこの地のワダだからな)
(ならば必要ない)
(うむ。論理だ)
(だが、こちらのワダは調べる必要がある)
 なんなの? この声はいったい……?
 プカプカは、落ち着こうと深呼吸した。
 また砂を吸いこんで派手なくしゃみをしたが、それでもなんとか呼吸を整えて〈声〉に集中する。
 彼らがムングでないのはわかっていた。なにしろ長い付き合いだ、ムングなら気配でわかる。ここには、その気配がないのだから……。
 では魔賊なのだろうか? いいや、そうではない。
 ずっと昔に、西方に現れた闇の領域――。あの魔の闇から来た連中なら、これもプカプカにはすぐにわかる。魔賊は、アウブやラノートとは異なる嫌な闇の気配がするからだ。
 いったい、何者なのかしら……。
 人間をワダなどと古い言葉で呼び、ムングでも魔賊でもないとなると……。
(ワダの女よ、我らが何者か考えているな?)
「ええ、考えてるわ。気になるもの」
 プカプカは、素直にそう答えた。
(愚かなり!)
(ワダごときにわかるものか)
(恐怖し、混乱し、我らの糧となればよいのだ)
「あら、べつに恐くないわ」
(なぜだ? 理由を述べよ)
(なぜ恐怖しない?)
「おかしなこと聞くのね。そりゃ、何者かわからないのに怖がってばかりいたらもったいないからよ」
 恐怖よりも好奇心が先にたつ――プカプカにとってはごく自然な、「知りたい」という純粋な気持ちだった。そうでなければ、全てのムングを絵札にする旅などできるわけがない。
「相手がバシルなら、蹴り飛ばされたら死ぬとわかるから恐いし、傭兵なら強盗になるかもと用心もするわ。ああ、バナンニのあとも今後は気をつけなきゃね……」
(ふん。既知の経験からくる恐怖か)
(理解できる。論理的だ)
(だが、未知への恐怖は?)
「そんなこと言ってたら、紙芝居師はできないわ。知らないで後悔するより、知ってから反省するのよ」
(理解不能だ)
(非論理的だ)
「あなたたちって、ずいぶんと失礼ね」
 闇に隠れた者の正体を確かめたくて、プカプカは神経を研ぎ澄ました。これまで演じたことのある、古い伝承の紙芝居を思い出す。
 言い伝えに残る、古い種族……。
 ムングが、ワダを作るより前の……。
 人間でもムングでも魔賊でもない……。
「わかったわ!」
 プカプカが大声を上げると、滑らかな壁や床が、ぎくりと動く気配がした。
「あなたたち、パルパル(※11)ね!?」
(馬鹿な!)
(なぜわかった!?)
 プカプカは、にっこり笑って言った。
「わからないわよ。でも、『なぜわかった?』と聞き返したってことは、やっぱりあなたたちはパルパルだわ。どう? これは論理よね?」
(生意気な! ワダの分際で!)
(ムングに創られた存在が!)
 パルパルがどんなものか、知るものはいない。
 古い古い種族なのだ。名前の他は「ムングを否定し、ムングに逆らって戦いを挑み滅ぼされた種族」ということが伝わるのみ……。
「どうしてここにいるの? あなたたちは、ムングに滅ぼされたはずよ」
(我らの多くは粉々に砕かれ、この地にばらまかれた)
(他の砂に混じって眠っていた)
(砂のムングに見張られ、眠っていたのだ)
(この地からムングが消え、我らは自由になった)
(この地を守る七つのムングはいなくなった)
(ワダがあれを掘り出したからだ……)
「待って! その話は聞いたことがあるわ」
 チャッキの都が神の怒りに触れたのは、数年前に水路を広げたとき、「見つけてはならないもの(※12)」を見つけたからだという。
「何を掘り出したの?」
(知らぬ)
(ムングのくだらぬ仕掛けだ)
(おかげで我らは目覚めた)
(ワダを使って集まりつつある)
 話を聞く内に、プカプカにも見当がついていた。
 パルパルは、石のような砂のような種族なのだ。
 一つが一つが同時に全体でもある。
 石のような実体があることをのぞけば、その有り様はムングと似なくもない。
 目覚めて自由になったこの地のパルパルたちは、砂に混じってクトーの人々の身体に染みこんでいったのだ。
 彼らの感情や欲望を秘かに操り、再び集って大きな塊になっていった。
 見つけてはならぬものを見つけたクトーへのムングの怒りは、「パルパルの鎖を解き放つ」ことで下されたのだ。
(今や我らは、ワダどもの街の下に広がっている)
(ワダどもの欲を満たし、恐怖を煽り……)
「湖の水を抜いたのも、あなたたちね!」
(そうだ)
(お前は他所から来たワダだな)
(我らが染みこんでいない……)
(水を飲み、飯を食らえば我らが染みこむはず)
(なぜだ? 砂が一粒も入っておらぬ)
「そんなこと言われても……ハックァンフ!」
 このくしゃみは、ムングの加護なのかしら?
 ムングサは感じられないのに……。
(なぜ砂をこばむ?)
(我らは、お前の望みをかなえるぞ)
(受け入れよ。幸福感を与えよう)
 そんな手に乗るもんですか!
 湖の水を減らして、不安を煽っているくせに!
 パルパルたちにとっては、またとない復活の機会なのだろう。でも、ムングにとっては……。
 ムングは時に残酷で気まぐれだ。それはどうしようもない。怒りに触れたクトーの人々は、いずれこの新しい都を捨てるしかないのだ。
 プカプカは、生き残ったパルパルまでが哀れに思えた。ムングと戦ったほどの種族だから、簡単には死なないのだろう。だが、彼らはもう、昔のように大きな力を持つことはできない……。
(さあ、望みを言え)
 しかたないわね……。
「あたしが欲しいのは一つだけよ」
 そう言うと、してやったりとばかりにパルパルたちが身を乗り出す気配がした。
(言ってみろ)
「ムングよ! まだ見たことのないムングの姿をこの目にしたい! それがあたしの望みよ。他のものなんかいらないわ」
(ネベシもの! 我らはムングの存在を否定するパルパルだ)
(ムングなど、おらぬのだ!)
 プカプカは首をかしげ、何気なく疑問を口にした。
「おかしいわ。いないものと戦って破れるなんて。存在しないなら、戦う必要もないじゃない」
(そ、それは……)
 どこからか、ピキピキと岩が割れるような音が伝わってきた。チャッキの地下深くに広がるパルパルたちが、必死に考えているのだろう。
 どんなに考えても解けない問題を……。
 きっと、身体が粉々になって、街の底が抜けてしまうまで考え続けることだろう。
 いつまでも、いつまでも……。
「ねえ聞いて、あなたたちにも知って欲しいのよ。あたしは色々なムングを見たわ。何度も何度もね。だからこうして絵に残して……」
 言いながら、プカプカは絵札を取り出した。ここではムングを呼んだりはできないだろうが、パルパルたちに見てもらいたかったのだ。
(やめろ! そんなものを見せるな!)
(なんというワダだ!)
(恐ろしい……出ていけ!)
(ハックァンフ!)
(ハックァンフ! ハックァンフ!)
 床がぐにゃりと沈んだかと思うと、まるでリワグリの曲芸(※13)のようにポンと弾む。
「きゃっ!」
 悲鳴を上げる間に、プカプカは地上に戻されていた。
 絵札を見せる間もなく、鼻に入った砂粒のように、彼女はパルパルの穴蔵から吐き出されたのだ。
「痛たたた……んもう! 本当に失礼ね!」
 文句を言ってもパルパルは答えない。地下をのぞこうにも、石段は途中で固く閉ざされていた。
「まあ、おかげで助かったけど」
 耳を澄ますと、地の底からピキピキと音が響いてくる。パルパルたちはまだ考え続けているのだ。
 いつか粉々に砕け、湖の底が抜けて周囲のクトーの街がその穴へと崩れ落ちるその日まで……。
「まずいことしちゃったわ。早く街から逃げるように、みんなに紙芝居で報せないと!」
 そう言って服の砂をはたいたプカプカは、最後に大きなくしゃみをした。

 ハックァンフ!
 おはなしはこれでおしまいさ。

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