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ぼくは妻のことを知らない

夫は妻のことを本当に知っているのだろうか。妻は夫のことを本当に知っているのだろうか。

そう問われると、どうにも心もとない。長い間連れ添ってきた夫婦なら、そういう問題は解決済みなのだろうか。男と女にはどうしても理解しあえない部分が存在すると誰かが言っていたが、仲のいい夫婦だって、問題の一つや二つは抱えているのかもしれない。

山陰中央新報という新聞を我が家ではとっているのだが、その中の新聞小説のひとつに「娘が巣立つ朝」(伊吹有喜・作 合田里美・画)が掲載されている。

夫婦間の悩みや、娘の結婚問題、さらには老人介護など幅広い問題を扱っているが、その中でも夫婦間のすれ違いが事細かに毎日書かれていると嫌でも目に付くようになり(それを熱中しているという)、毎朝読むのを楽しむようになった。今のところ、この小説から目が離せない。



実をいうと、出雲神話にも同じような体験をなさった神様達がいる。初めての男女の神様、イザナギとイザナミ夫婦(兄妹という説もある)の神様として、この国を生んだ伝説上の神様である。

勿論、二人は仲良かったに違いないが、残念ながらイザナミは最後に生んだ子が炎の神様だったので死んでしまう。イザナミの死を知り、残念に思ったイザナギは、黄泉の入り口に行き、イザナミに帰ってきてほしいと懇願する。

イザナミはそこまで言うのなら黄泉の神様に蘇えるようにお願いしてくるから、入り口のところで待っててくださいという。そして、その間、決して中を覗かないでくださいとお願いする。

さて、待てど暮らせど、帰ってこないイザナミ。だんだん心配になってきたイザナギは、黄泉の入り口を覗いてしまう。

すると、

なんと、そこには腐乱死体のイザナミが横たわっていたのである。

あれほど覗いてはいけないといったのに、イザナギが覗いてしまったことに怒ったイザナミは、黄泉の軍団を引き連れ追いかけてくる。逃げに、逃げた、イザナギは黄泉の入り口を大きな岩でふさいでしまう。岩を挟んで相対したイザナギとイザナミは最後の別れの言葉をかけあう。

イザナミ 「あなたがこんなことをなさるなら、あなたの国の人間を一日千人殺します」

イザナギ 「あなたがそうなさるなら、わたしは一日に千五百も産屋を立てて見せる」


・・・とても、お別れの夫婦の言葉とは思えません。あなたたち、あんなに愛し合っていたのではないのですか? 国をたくさん生んだのではないのですか?

そこで、ひょっとして、と思うのである。

イザナミは死ぬ思いをして、島や神を次々と生んでいき、最後は本当に死んでしまった。もう、島や神を生むのは御免だと思っていたのではなかろうか。いつも苦しむのは女性だ。それなのにイザナギは、イザナミに蘇って、もっと、もっと子供を生めという。女性は、あなたたちの子供を生む、機械とでも思っているのか。

女性は男性の奴隷ではない!!

そのような思いを、ひょっとしてイザナミは密かに抱えていたかもしれない。このことを思うとき、いつも男女の問題の根の深さを感じる。はたして正解は何なのか?

東出雲にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の記念碑を前にすると、いつもこのことを考える。答えはあるのだろうか?


今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら、黄泉比良坂にもいらしてください。

運が良ければ、イザナミイザナギの大喧嘩が見れるかもしれませんよ

では、お待ちしています ♪


このヘッダー画像はcalm cloverさんからお借りしています。ありがとうございます。






こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています

よかったらご覧ください ♪


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