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【神話エッセイ】 名前を調べる時に想うこと

学生時代、友人から司馬遼太郎さんの歴史小説を勧められ、ずいぶんはまったことがある。

一度はまるとしばらくはずっとその作者の作品を追い続ける癖がぼくにはある。ご多分にも漏れず、司馬作品は10年くらいずっと読み続けた。小説、随筆など、何でも読んだ。そこで「峠」を見つけたのは、ほんとうに幸せなことだったと今でも思っている。

司馬遼太郎さんは幕末ものが有名(竜馬がゆく、燃えよ剣、世に棲む日日など)だが、当然ながら戦国ものもたくさんある。「国盗り物語」、「太閤記」、「覇王の家」、「関ケ原」、「城塞」など。戦国武将といってもたくさんいて、どれも司馬さんの筆にかかると目の前で動いているかのようにいきいきと描写され、読み飽きることがない。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が当然有名だけれど、北条早雲、上杉謙信、武田信玄、尼子経久、毛利元就など、天下統一とは関係ないところで活躍した武将たちにも目がひきつけられる。まぁ、そんなことはぼくが語らなくても、詳しい人はほかにもっといるだろうが。



出雲神話の正史が「古事記」だとしたら、外伝の役目をするのが古代の地理誌「出雲国風土記」であろう。例えば、意宇郡山代郷の由来となった神様は山代日子命(やましろひこのみこと)といって、大国主命の子神である。しかし、山代日子命がどのような活躍をしたかということについては一切「風土記」では語られていない。

ただ、山代日子命が祀られているので山代郷と呼ぶ、とのみ記載されている。山代日子命が祀られているのは名前の通り、山代神社である。

これだけなら、そうでしたかと早々に話を切り上げないといけないところだ。しかし、もともと山代神社は茶臼山の西麓にあったといえば、そうとばかりもいっていられない。というのも茶臼山は出雲国風土記でいうところのカンナビ山の一つだからである。

茶臼山は標高171m、出雲の4大カンナビ山のの中でももっとも標高が低く、実をいうと古代では「カンナビ山」とは記載されておらず「カンナビ野」と書かれていた。

このカンナビ山と山代日子命がなんらかの関係があるとすれば、見過ごせないであろう。

さらに山代郷では弥生時代の謎の遺跡・田和山遺跡も発見されている。

なぞの三重環濠遺跡から茶臼山は実によく見える。そう考えると、この遺跡も山代日子命と何やら関係しているのではと思えてくる。こうやって、あれこれ地図を観ながら一人の神様についてあれこれ考えるというのも実に面白い。古事記には出てこないけれど、こうやって地名の由来となっている神様について調べるというのも、なんだかマイナーな戦国武将について知りたくなるのと同じ気分だ。

ちなみにこの辺のことを整理しながら、はじめての小説「骨の消滅」を書いた。みなさんに少しでも興味を持っていただけたら幸いである。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

松江市山代町を訪れた際は、ぜひ山代日子命の関係史跡についても足を運んでください。

茶臼山と田和山遺跡に登れば、足が疲れること間違いなし(それじゃダメか)!

お待ちしています ♪


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