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神様への ねがいごと

我々は神社に参拝する時、神様に何らかのお願いをする。

人それぞれに、当然、お願いは違ってくる。合格祈願、家内安全、商売繁盛、病気回復、縁結び、世界平和、などなど。100人いれば、100通りのお願いがある。

それでは、我々はいつから、神様にお願いごとをするようになったのだろう?

「古事記」の垂仁天皇記に息子の本牟智和気王(ほむちわけのみこ)の話が出てくる。本牟智和気王(ほむちわけのみこ)は大人になるまでしゃべることができず、天皇はそのことを悩みの種としていた。ある日、天皇は夢で「出雲の大神の宮を修繕すれば、本牟智和気王(ほむちわけのみこ)がしゃべることができるようになる」とお告げを受ける。

そこで出雲大神の宮を修繕したら、本牟智和気王(ほむちわけのみこ)がしゃべれるようになったそうである。これが初めて神様に願いが聞き入れられた話といってもよいだろう。しかし、これは出雲大神の宮を修繕という大事業の引き換えにという、限定的な願いの成就といえる。

もっと、我々のような一般人がお願いを聞き入れられるようになったのはいつ頃のことなのだろう。実は、古代の地理誌「出雲国風土記」にその願いのありようが克明に記載されている。「出雲国風土記」の意宇郡の安来郷にその話が出てくる(安来といえばスサノオが「わたしのころろがやすらいだ」と仰ったことから安来と名がついたとある由緒ある地名である)。


(「神話の里出雲の地を訪ねて」より転載)


我々一般人の初めてのお願いとは、

なんと、

なんと!

「復讐」だった!!


天武天皇三年(西暦674年)の7月13日、地方の有力者、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が、安来の郷の北の海岸にある毘売埼(ひめざき)の波打ち際を散歩していると突然、ワニ(サメ)が現れ、娘はワニに咬みつかれ、黄泉国(よみの国)へ行ってしまった。
愛娘を失った語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の嘆きは尋常ではなく、さながら「立てば号泣、座れば悲嘆、歩く姿は夢遊病」のあり様だった。そして、娘を葬った場所を決して離れようとはしなかった。
数日がたち、気を取り直した語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)は娘の仇討ちを心に誓い、磨いて鋭くした鉾を手に海岸へ赴き、鎮座して八百万(やおよろず)の神々に自分の心情を切々と訴えた。
すると、神様に願いが通じたとあって百匹あまりのワニが静かに一匹のワニを取り囲み、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の居る場所から動こうとしなかった。
語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)は、鉾を挙げて中央にいるワニを刺し殺した。その後、百余りのワニは散らばっていき、刺し殺したワニの腹を割くと、娘の片脚がワニからこぼれ出てきた。



いやぁ、このことを思うとき、神様達も「あのころと比べて、人々の願いも平和になったものだ」としみじみ感じいるところがあるのかもしれない。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら、安来にもいらしてください。

駅前から歩いてすぐのところに語臣猪麻呂像がお迎えしてくれますよ

では、お待ちしています ♪







こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています

よかったらご覧ください ♪


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