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長田区の少女

1995/1/17日明け方、「ドスーン」という大きな音がして建物が揺れて目が覚めた。長田区の彼女の家は大丈夫だったのだろうか。

正月休みが明けた頃、U.S. Patent の件で P.K. と打ち合わせの必要があった。まだコンピューターも出始めで mail などもあまり普及していなかった。P.K.と日程に打ち合わせがうまくいかず、焦っていた。電話をしても留守電になっている。「用事があればメッセージを残してください」が繰り返されるばかりで返信がない。帰国時に予定が入っているので出発を遅らせることができない。「これから打ち合わせに N.Y.へ行くから」とメッセージを残してアメリカへ旅立った。

機中、隣に若い女性が座った。長時間になるので、それとなく話をした。一人旅をしているらしい。「長田区に住んでいる」とのことだった。夜中の10:30頃に JFK空港に着いた。私は早速 P.K. の家に電話を入れた。恐ろしいことに留守電メッセージが「***さん、私は今フロリダにいます。***-****-****に電話してください」と言っている。仕方がないので、次の日フロリダへ向かうことにした。電話が終わりタクシー乗り場に向かうと、先ほどの女性がまだそこにいた。「どうしたの?迎えの人は?」「一人で来ました。宿泊は YWCA に決めているのでこれから行きます」

真夜中に、女性一人でタクシーに乗って YWCA に行くなんて、およそ怖さを知らない無鉄砲に思えたので「良かったら、YWCA まで送りますよ」と言って見た。タクシーで送り届け、中に入るのを確認して自分のホテルを目指した。

零下25度のニューヨークから25度のフロリダに向かった。コート姿でアメリカへ行った私はフロリダで一揃い衣装を買うことになった。フロリダでは誰もコートを着ていなかった。

YWCA に行った彼女も同じ頃に日本に帰ると言っていた。多分地震の直撃を受けたと思う。無事だといいが名前を聞いていないので全く消息がつかめない。

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