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阪神・淡路大震災

1月17日になると思い出す話があります。

「もう28年になるのか」と、おぼろげな記憶を辿ってみると不思議なことばかり浮かんできます。

1月の初め「日本で取得した特許を、アメリカで展開するにはどうすれば良いか」を、一緒に考えるために、司法修習生だった友人を訪ねて、ニューヨークに向かっていました。

飛行機は、どれだったか記憶にないのですが、パンアメリカン、デルタ、JAL、ノース・ウェストのどれかです。二十回以上行っているので記憶があやふやです。

経由地はシアトルだったり、ロサンゼルスだったり、シカゴだったり、中部国際空港からニューヨークの直行便がないので乗り換えが大変でした。

この頃は、関心があるのは目的地だけで経路・経由地はあまり気にならなかったので、航空会社もあまり気にはしていませんでした。

そのニューヨーク便で同乗した隣席の女子、二十五、六歳に見えました。
10時間以上も隣同士に座っているのだから、全く話をしないのも緊張感が生まれて嫌でした。

差し障りのない話をすると、ぼつぼつ答えてくれて、彼女は「神戸の長田区に住んでいて、ニューヨークに一ヶ月くらい遊びに行く」ということでした。

ニューヨークに着いたのが、夜の10時半、真っ暗です。
彼女をみると、ぼんやりしています。友達が迎えに来るのを待ってるのかと思い、「良い旅を楽しんでね。友達は何時に来るの」と聞くと、「友達は来ません。一人旅です」というのです。
これは大変です。

夜中の11時過ぎ、英語の上手くない、日本人の女子が一人でJFK空港にいる。
絵に描いたような危険パターンです。

行き先が YWCA だというので、私のタクシーに同乗させて、YWCA の門前まで送り届けました。

それから、アメリカ滞在中、全く彼女のことは忘れていましたが、私の帰国日の翌日、17日の明け方5時46分、建物の大振動で目が覚めてしまいました。

テレビをつけると、何やらザワザワしながら臨時ニュースが入りだしました。
長田区の災害の様子が映し出されていました。

咄嗟に、まだアメリカにいるだろう、名前も聞いていない、長田区在住の女子は「このニュースをどんな気持ちで聞いているのだろうか」と思い、なすすべもなく28年経過してしまったのだなと、28年前に思いを馳せております。

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