雑記:封印してくれる何かが現れるのを待っている

「なんかAIっぽいね。なんでそんな冷酷なこと言えるの?」
「あなた全然ただの人間よ。今の会話理解できないでしょ」
「君に地球の行く末は頼んだよ!」
「死相が出てるから人間だという自覚を持ったほうがいい」
「わたしたちきっと宇宙人なんだよー」

こんにちは。
地球で人間してます、榊みや子です。
最近、封印してくれる何かが現れるのを待っています。

それはさておき、上記のように「人かどうか問題」に関して、時には面白おかしく、時には真面目に、各所で罵声や称賛も含め、散々言われたい放題でしたが、この度、人で在るうちを共に祝う祭に携わっております。

RingNe Festival、10月8日に神奈川県で執り行われます。

これを見た人は来て下さい。
自称人じゃなくても大丈夫ですので来てください。
お待ちしております。

この祭に携わる中で感じたことを下記に。

なにを想い、なにを受け入れる?

祭には2つの効果がある。
ひとつは、対象を限定し想いを堪能する効果。

新嘗祭、誕生日、縁日。

天よ自然よ、恵みをありがとうございます。
あなたへ、生まれてきてくれてありがとう。
かみさま、いつも土地を見守ってくださりありがとう。

同時に多くの人がこの気持ちを表現し、享受する。
場にフィードバックループが起こり、想いは増幅してゆく。

もう一つは、弔いの効果。
受け入れることと言いかえてもいい。

お葬式、成人式、結婚式。

本来は流れの中にある捉えきれない何かを区切り、受け入れる。

あの人はこの世に存在しなくなったんだ。
私ももう大人の仲間入りだ。
わたしたちはパートナーである。

受け入れるということは葬ることであり、逃げることに終止符を打つ行為だ。終わったことと始まったことを同時に受け入れ、アイディンティティに書き込み、昇華させる。世界は更新される。

明日、目が覚めたら、そのことが当たり前になった世界から今日がスタートする。その狭間に引く一本の区切り線。


対象を限定し想いを堪能し、なにかを受け入れ世界を更新すること。

この2つが祭の効果であると、わたしは考えている。

それでは、人で在るうちを共に祝う祭は、

何への想いを堪能し、
何を受け入れ、
何が更新されるのだろうか。


ここで質問を一つ。

Q:あなたにとって  「人で在る」 とは、どういうことですか?

答えめいたものが、出た方は次へ。











当日は、その答えを持ってきて欲しいのです。
きっと最高の1日になります。

人で在るうちを共に祝う

人で在るうちを共に祝う日は、10月8日。木の日。

舞台は、人が植物に転生すると信じられている世界。

浄土すらインクルーシブされている社会。
阿弥陀如来が運転するバスの行き先がそこにある世界。
あの人が星にならずに、ずっと見守ってくれている世界。
死後が植物として可視化され、続いていく世界。

こんな世界。

そんな中で「人で在る」ことに最大限想いを馳せてみたらなにが起こりますか。
死が「植物になること」に置き換えられた中で、その運命をどう愛でますか。

当日は共になにを慈しみながら過ごしましょうか。

教えてください。
人ってなんだったのか。
わたしはもともとよくわからないから。

開催まで1週間前。
再度のお誘い。ぜひ来てください。

すでに予兆は見えていたけれど、この祭を執り行うということは、このテーマを受け入れて葬るということだから、

はじまる前と終わったあとでは
何かが決定的に変わってしまうんでしょうね。

それぞれがそれぞれのストーリーを奏でてもらえたら幸いです。

来場できる収用人数もあとわずか。
人で在るうちを共に祝いましょう。
わたしも、頑張って人として参加します。

https://www.ringne-festival.com/

それでは、また。
10月8日、南足柄市夕日の滝、RingNe Festivalにて。

原作者から見た世界はこちらから。

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。