我が道

【終わらない歴史】自分捜しの旅が終わらない理由|気づきドラッグ(合法)

いつの時代になっても、なぜかいつまで経ってもわからない自分。

自分の事なのに捜さないとわからないっていう、言葉だけ見たらおかしな現象。

ここで浮かぶ素朴な疑問として、
①なぜ自分の事なのに捜さないとわからないんだろう
②なぜ捜そうとするんだろう

自分のことだよ!?
誰よりも一緒に居る自分だよ!!?
どうしてわからないんだろう。

①から考察してみよう
【なぜ自分の事なのに捜さないとわからないんだろう】
まずそもそもなんでわからなくなるか、その理由を考えてみよう。
自分自身を見失う理由って何だろう。

物に例えてみよう。
物を無くす理由って、
・置く場所を決めてない
・決めた場所に置かない
・どこに置いたか忘れる
このぐらいかな?

これを自分捜しと対比して考えてみると
・置く場所を決めてない → 記憶(曖昧:忘れるし、時間と共に正確性風化)
・決めた場所に置かない → 記憶(決められない:全自動で記憶に保管)
・どこに置いたか忘れる → 記憶(可視化できない:整理も発見も困難)

これは手帳とかにも置き場所はあるけど、手帳にも盲点が有る。
手帳には「出来事」だけを書いていくことが多い。
俗に言う「予定」。
手帳よりも細かく書くのが日記。
出来事だけではなく、
個性を作っていく重要要素であるその時の状況や感情も書かれているけど、
先入観的感想が大半な場合が多い。

加えて、前提が自分捜しと違うのは、
何を無くしたのかがわかっているってこと。
物の場合は、無くしたとわかった時に捜すから目的がハッキリしてる。
自分捜しの場合は、何を捜すのかは明確ではないところ。

そして、
やることに追われて人生に思い返す暇がない
というのも大きな要因としてある。
思い出したとしても、
その時の自分になりきって感じるにではなく、
過去の自分の人生を他人のように客観視してしまう。

①の検証結果としては
正確に保存できず、
思い出す暇も無いから忘れていくから、
どんな出来事で何を思って個性として確立してきたのかが、
もう追えない

だからずっと捜し方がわからなくて、
時代が過ぎてもずっと自分を求めて探し続けてるんだね。


では②の考察
【なぜ捜そうとするんだろう】
何の為に捜したい願望が出てくるんだろう。
捜さないと何か都合が悪いことが起きてきたから捜すのかな。
捜すことでのメリットと、捜さないことでのデメリットってなんだろう。

まず捜さないことでのデメリットから。
これが要因となって捜し出すと思うので。
自分を知っておかないと困ることって何が思い浮かぶ?

自分ってなんだろう?
性格?癖?思考パターン?好み?
一つに規定するの難しいよね。

でもこれってよく考えてみると、
これって今迄の自分の人生で受けてきた影響の中に全部答えがあるんじゃないかな?
だって自分の人生の中にしか答えって無いはずでしょ?
そう考えると、
自分を知るって自分の人生を振り返れば答えは出るってことだよね。

あ、検証忘れてた。
デメリットは、自分を知らないことで困ること。
メリットは、自分を知って助かること。
なんだろ?

自分を知って得することって、
自分の使い道を活かすってこと?

確かにこう考えたら、
自分の事知らなかったから活かせないよね。
知らない道具をどう使うかを知らなかったら壊すだけだもんね。
しかも人間はナマモノ。
傷付いたらそう簡単に立ち直れない。
だから人は自分がわからないまま使うことで傷付き続けて、
そうなるのがイヤで知りたいのかな。
道具は替えが利くけど、自分は代えが利かないからね。
自分を知ることで、
失敗のパターンの回避や、
数ある好きなことの中にある得意な分野が見えてきたり、
良い事だらけだじゃん!

ってことで②の検証結果は、
自分を活かすため


①②の検証結果から、
捜したい理由は自分を活かしたいから。
でもどうやって捜したらいいかわからない。

これ・・・答えないやつじゃん(´Д`;)


でもね。
その答え、見つけたよ!
歴史の輪廻をここで終わらせられる方法。
捜し方と活かし方。


ヒントはこちらに


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