歴史と野球〜初代野球アンチの攻撃力が高すぎる〜
(՞ o̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ ՞)こんにちは、少年野球反転アンチです。
※反転アンチとは
元々はファンであったものの、何らかの理由でアンチと化したもの。コンテンツの実情をある程度知っているだけあって、にわかアンチより具体的な批判を繰り返す非常に厄介な生き物だよ!
今年の甲子園、丸刈り強制でない高校の優勝によって「今や丸刈り強制は古い!」という意見がSNS上で盛り上がりました。
丸刈りと野球について色々調べていたところ…
意外と野球の歴史が面白かった!
以下、上記サイトを参考に…
野球スポーツとしての形を明確にしたのは1845年頃、日本では江戸時代でした。アメリカでバットが振られている頃、日本では侍が刀を振っていたわけですね。
(՞ o̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ ՞)まさに侍ジャパン!
そして日本に野球が伝わるのが1872年。東京大学の前身となる第一大学区第一番中学でアメリカ人教師が生徒に教えたのが日本野球の始まりでした。同校にはなんと1876年に在日アメリカ人のチームと国際試合を行っていた記録も存在するそうです。
(՞ o̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ ՞)言葉が通じなくても野球で通じ合えるんだぜっ!
1878年には日本初の社会人チームが誕生、1890年代には「野球」という呼び名と共に全国に広がっていきました。
世紀を跨いで1903年には早慶戦が始まります。もはや破竹の勢い…と思いきやわずか3年後の1906年に早慶戦は中止となります。
理由は応援団の過熱。相手校まで行って挑発したり、審判の学校に脅迫状が届いたり…。試合を決行しては大乱闘早慶ブラザーズになりかねないと、無期限の延期になってしまいました。
(՞ o̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ ՞)何しとんねんお前ら…
そして、1911年…ついに彼らが現れます
朝日新聞による野球ネガティブキャンペーン、通称野球害毒論!!
(՞⸝⸝o̴̶̷̥᷅ ̫ o̴̶̷̥᷅⸝⸝՞)えっ…朝日って今は甲子園のメインスポンサーなのに!?
(その当時は東京朝日新聞と大阪朝日新聞が存在し、害毒論を連載していたのは東京朝日新聞でした)
全22回の連載の初代を飾るは旧5000円札の顔でお馴染み新渡戸稲造先生。まさに初代野球アンチ!ポケモンなら赤緑、プリキュアならホワイトとブラック、仮面ライダーなら1号 唯一無二の初代レジェンド!!
とはいえ、当時としては異例のアメリカ人との国際結婚をしていたり「我太平洋の架け橋とならん」と日米の和睦に努めた新渡戸稲造先生ですからね、アメリカのスポーツにそこまで酷いことはきっと言わないはず…
(՞⸝⸝o̴̶̷̥᷅ ̫ o̴̶̷̥᷅⸝⸝՞)太平洋の架け橋に野球はいらんかったんやな…
途中に挟まっているナチュラルな人種差別は時代のせいだとしても「そこまで言うの!?」という印象でした。
記念すべき第一回とはいえ、初回からこんなに攻撃力特化で飛ばして連載が持つわけが…
余計な心配だったようです。
「右手のみ発達する」というのもすごい主張なのですが、「疲れで頭がおかしくなる」「手のひらに受けた強い衝撃が脳に伝わって脳の働きが悪くなる」と書いている人もいました。今の時代ならいっそ笑って流せてしまいますが、著者は当時の教育関係者や医療関係者でしたので野球に熱中する子を持つ親は本気で心配になったかもしれませんね。
他にも「早稲田、慶應はぶっ潰してもっとまともな学校を建てた方がいい」なんて強論もあるものの
今も昔も学生の本分は学業ですし、このあたりは現在に於いても一考の余地があるような気がします。
「日本の野球は軍隊式だ!」という主張をよく聞きますが、旧日本軍では「軍神」とまでたたえられた乃木希典氏が「野球で時間を使いすぎ」と否定的だったのも個人的には少し驚きでした。
(՞ o̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ ՞)神に否定されしスポーツ…
結果として必死のネガティブキャンペーンにも関わらず、野球人気は衰えることはなかったようです。そしてそのまま戦禍の時代に突入…
1906年に残念な形で中止された早慶戦ですが、終戦前最後の早慶戦に隠されたストーリー。野球統制令。戦争に振り回されたプロ野球選手。学生野球の生き残りをかけた戦いと復活。
野球アンチも思わず胸が熱くなるような歴史が続いていくのでした。
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