植物のアレコレ①

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

もう秋ですね。ところがどっこい、今年の夏はまだまだ終わってないんじゃないかと思うほどに暑い。

「秋来ぬと」と冒頭に引用しましたが、この歌は『古今和歌集』の秋歌上の巻頭歌で、立秋の日の歌です。今年の立秋は八月八日ということで、一ヶ月も前なのですが、ようやく風がどことなく秋めいてきた、といった感じでしょうか?

まあ、田圃を見ると黄金色になった稲穂が頭を垂れているので、秋といえば秋なのですが、厳しい残暑とのアンバランスぶりがものすごい。

さて、そんなわけで、今日は植物のお話です。コラム的な感じで読んでいただければと思います。

植物というと、みなさんがお好きなのは何でしょうか?

梅ですか? それとも桜ですか? いやいや、そんなわけないですよね。

こいつでしょう

綺麗なアツミゲシ

こいつを抽出したやつをおっと誰か来たようだ。

そんなブラックなジョークはさておきまして、身近にある植物と文学作品について書いていきます。ただし、テーマ一つ一つ丁寧にやると膨大な分量になるので、触りだけ。

まず、日本の文学作品で「花」といえばなんだろう?

「桜」。たしかに桜は日本の象徴のように語られる。じゃあ何時から桜が「花」の代表みたいになったのかといえば、『古今和歌集』である。『万葉集』では「梅」だった。

上記の話を高校生の時に聞いたという方もいらっしゃるかも知れない。「梅」というと、どんなイメージだろう?

「酸っぱい」とか「花が咲くのが早い」とか、色々とあるだろう。なんとなくスーパーに行けば梅干しとか売ってるし、わりと身近な植物といえば身近な植物だ。

だが、案外「梅」についてなにか知っているのかといわれたら意外に知らないことのほうが多いかも知れない。

ぶっちゃけると、私自身普段は植物について「金になるかならないか」と「食えるか否か」くらいしか考えない。だから、文学やるまで「梅……梅干しはまあ、好きだけど……」くらいしか思ってなかった。

それで、梅についてであるが、元々の原産は中国である。というか、「梅」の訓読み「うめ」自体、元々は中国語の音から来ている。

そりゃあそうである。「梅」自体、元々日本になかったのだから、「これなに?」って聞かれてあちらの人が答えたら日本語として近い音が伝わるわけである。

中国語の音“mei”が「むめ」と表記され、現代「うめ」として伝わっている。なお、同じように中国語から日本語になった言葉として「馬」が挙げられる。こちらも“ma”が「むま」、それが「うま」になった、といった流れである。

そんな梅であるが、元々は薬の材料として入ってきた。というか、薬の材料として日本に入ってきて文学作品に影響を与えたものはいくつがあり、例えば「朝顔」なんかもそれである。

話を「梅」に戻そう。普段我々が花を愛でる時、何を愛でるだろう? 色とか形とか色々とあるだろうが、梅に関していうと、「香り」である。古今和歌集に次のような歌がある。

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる

君ならで誰かに見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る

「梅」の歌について述べられるときには、これらの歌がよく挙げられるのだが、梅は香りを読むことが多い。

また、梅の花にも紅梅と白梅がある。白梅のほうは『万葉集』の歌人が活躍していた頃に伝わり、紅梅のほうは平安時代中期頃に伝わっている。

古今和歌集に

春立てば花とや見らん白雪のかかれる枝に鶯ぞ鳴く

という歌があるが、この歌の場合は「花」は「白梅」であるといっていい。

「春立てば」であるので、立春である。現代でいうと節分の時期に桜が咲くか、といわれたら咲かないし、「鶯」が谷から出てきて鳴くのは「春の到来」である。

さて、「梅」の次に「桜」について取り上げよう。ただし、こちらは本当にさらっと。

まず、「桜」と聞いて何色を思い浮かべるだろう? 淡いピンク?

それはたぶんソメイヨシノだ。ソメイヨシノは江戸時代に品種改良によって作られたものだ。

元々は山桜のような白である。「雪月花」という言葉を知っているだろうか?

ロマンシングサガのあの技ではなくて、普通に「雪月花」。

「雪月花」の「花」とは「桜」であり、すべて白いものである。なので、「桜」というと古典においては白のイメージである。

み吉野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける

という歌が『古今和歌集』にあるが、まさしく雪のような白さの表象だったといえる。

ちなみに「雪月花」と似たような言葉として「花鳥風月」という言葉があるが、こちらは

花……桜
鳥……ほととぎす
風……秋風
月……月

である。

「桜」というと、どんなものだろうか? 綺麗なものであるし、花見にかこつけて酒を飲んだりとか色々と明るい印象が強いかもしれない。ところが、多分そう単純に「おめでたい」とは言い難いものでもあるようである。『古今和歌集』の紀友則の歌に次のような歌がある。

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

百人一首でも有名な歌である。この歌は何を歌っているのだろうか?

春の日の光が長閑にそそいでる中で、風もないのにひとりでに散ってしまう桜である。

何故散るのかといえば、それは寿命だからである。春は毎年同じようにやってくるが、自分は衰えていく、といったなんだかずしりと重たくのしかかる歌ではないだろうか。

「華やかさ」の中に「死」とか「老い」とか、暗いものを内包した植物であるように思われるのである。

さて、植物のアレコレ、いくつかに分けて投稿しようと思います。第一弾は「梅」と「桜」について取り上げました。第二弾そのうち書きます。

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