「歴史」と「文学」

今回は「歴史ってどこまでが歴史なんだろう」っていうようなことについて書きます。

さて、タイトルで目茶苦茶デカいテーマを書いてしまったのであるが、書き出しから何を書こうかと頭を抱えている。

そもそもそんなに壮大なテーマ設定するなよって思った方。

卒論で似たようなことやらかすやつが毎年一人はいるんですよ。

いや、先生に止められるだろって思ったりするんですけど、何故かいる。

「止まるんじゃねぇぞ」って学生でもいるんですかね?

さて、今回は「歴史」と「文学」に境目はあるのか、といった話をします。

例えば、日本の初めての正式な歴史書はなんだろうか?

『日本書紀』である。ところが、『日本書紀』の伊邪那岐・伊奘冉だとか天照大神の話だとか、所謂「神話」を本当の歴史であると捉える人が現代にいるかといわれたら、ほぼいないだろう。これを正式な「史実」として捉えるには無理がある。

いや、そのレベルの話をされても、と思われるかも知れないので、『日本書紀』から百年余り後のものを挙げる。

在原行平という人物がいた。在原業平の兄であるが、『古今和歌集』に次のような記述がある。

田むらの御時に、事にあたりてつのくにのすまといふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける

簡単に内容を記すと、文徳天皇の御世に何かしらの事情があって須磨に蟄居した、といった記述である。

じゃあ、「須磨に行ったんだな」となるのだけれども、実はそう簡単でもない。実は須磨に行ったという記述は『古今和歌集』が初出である。

すなわち、歌の詞書がある意味で「歴史的事実」として捉えられていたし、それを元に『源氏物語』の須磨巻が記された、といった次第である。

更に時代が下る。『平家物語』の人物たちに至っては、もはや何が史実で何が創作なのか判別がつかない。「史実」かどうかではなくて、むしろある種の「説話化された歴史上の人物」が形作られている、といった様である。

こうしてみると、「歴史」と「文学」、換言するならば「史実」と「叙述」というものは案外垣根が曖昧である。これは何も歴史に限った話ではない。

阿部和重の小説で「ABC戦争」というものがある。なんのことはない、電車内のヤンキーの喧嘩の話なのだが、その喧嘩のきっかけとなったものを遡った時にそこにあった「事実(上で述べたところの史実)」は有耶無耶になってしまう。

それはそうである。起こったその時に記録がなされていないし、記録がなされたとしてもその記録(=世界からの差異化)が行われた時は既に起こった当の事実は変化しているかなくなっている。

となった時に、残された痕跡を元に辿るしかないのだが、その「痕跡」が人の記憶であった場合、しばしば痕跡自体も変質したりする。確かにそこにあるのは「その時の事態」でしかない。となった時に、どんなに丁寧に痕跡を追ったところで、それは「事実の総体」ではなくて恐らく「事実を元にした叙述」であろう。

となった時、「歴史」はしばしば「文学」的になるし、文学作品が「歴史」として読まれることもあるのかなぁ、と思う次第である。

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