見出し画像

「外交官の沈黙」と「外交的沈黙」

 サキというイギリスの作家は短編小説を得意としており、今でも新潮文庫で『サキ短編集』(中村能三訳)で読むことができるのだが、その中の「七つのクリーム壺(The Seven Cream Jugs)」(サキの死後1919年に上梓された『The Toys of Peace, and Other Papers』に収録)の「オチ」がイマイチよく分からなかったのでここで検証してみたいと思う。

 短編なのであらすじを書く必要があるのかという問題はともかく、一応記していくのならば、従男爵の後を継いだ25歳の青年であるウイルフリッド・ビジョンコートは「かっぱらいのウイルフリッド」と呼ばれている病的な盗癖を患っているのだが、彼が親戚のピーター・ビジョンコート家に立ち寄るから一晩泊めてくれるようにという電報を夫妻に送る。
 当日、夕食後、応接間に飾られている贈り物をウイルフリッドに見せた後に、部屋に並べていた贈り物が一つ無くなっていることに気づいた夫妻は、ウイルフリッドが入浴中に彼の旅行カバンを調べてみると案の定銀のクリーム壺が入っており、こっそりと彼のカバンから取り出すのである。
 ところが翌日クリーム壺が誰かに奪われたとウイルフリッドが夫妻に言い、話をよく聞くと彼は「かっぱらいのウイルフリッド」ではなく、外交官のウイルフリッドで、クリーム壺は夫妻に対するお土産として持ってきていたのである。
 追い詰められたピーター夫人はピーター本人が席を外している間に、彼もまた窃盗癖の持ち主だと嘘の告白することでウイルフリッドに納得してもらうのである。

 問題なのはこの後に付け加わっている後日談のパラグラフなのであるが、とりあえず引用してみる。

 外交的沈黙は、必ずしも家庭問題にまで守られるものではない。春の間滞在していたコンスエロ・ヴァン・ブリヨン夫人が、浴室に行くとき、それとわかる宝石箱を二つ、いつも手から離さず持って歩き、廊下で人に会ったりすると、マニキュアと美容マッサージの道具だと弁解する理由が、ピーター・ビジョンコートには、どうにものみこめなかった。(p.210)

「Diplomatic reticence does not necessarily extend to family affairs. Peter Pigeoncote was never able to understand why Mrs. Consuelo van Bullyon, who stayed with them in the spring, always carried two very obvious jewel- cases with her to the bath-room, explaining them to any one she chanced to meet in the corridor as her manicure and face-massage set.」

 拙訳を試みてみる。

 外交官の沈黙は必ずしも家事にまで影響を及ぼさない。春に滞在していたコンスエロ・ヴァン・ブリヨン夫人が浴室に行く時に一見して分かる二つの宝石箱をいつも持ち歩いて、廊下で偶然出会う誰に対してもそれらが彼女のマニキュアとフェイスマッサージのセットだと説明している理由がピーター・ビジョンコートには決して理解できなかった。

 最初の「外交官の沈黙」とは言うまでもなく外交官であるウイルフリッド・ビジョンコートがピーター夫人から聞いた夫の「盗癖」のことであろうが、何故コンスエロ・ヴァン・ブリヨン夫人が自分の所持品を説明しているのか勘案してみるならば、ブリヨン夫人がピーター・ビジョンコート宅で窃盗があったことを知っているからに他ならないものの、それがピーターの仕業であることまでは知らないことになる。つまり冒頭の「外交的沈黙は、必ずしも家庭問題にまで守られるものではない。(Diplomatic reticence does not necessarily extend to family affairs. )」という文章の「family」とは「家庭」というよりも「家族」の中に準男爵(baronetcy)のウイルフリッド・ビジョンコートの後を継いだ「ひったくりのウイルフリッド(Wilfrid the Snatcher)」の存在を知っているからであろう。
 しかしそうなるとピーター・ビジョンコートが理解できないということは自身の家族のことなのだからあり得ない以上、ここは傍から見れば明らかに宝石箱なのだが、コンスエロ・ヴァン・ブリヨン夫人はこれは化粧道具の類のものだから盗まないでと強弁しているか、あるいは逆に宝石箱を見せびらかしたい「ブリヨン家」の話になるのだが、そうなると「外交的沈黙は、必ずしも家庭問題にまで守られるものではない。」という文章が活きていないように感じるのである。

 それではどのように解釈すればいいのか改めて考えてみるならば、「後日談」はクリーム壺を巡る話とは関係ないと見るべきなのである。コンスエロ・ヴァン・ブリヨン夫人とは名前から推測するならばドイツ人であろうから、「Diplomatic reticence」とは「外交官の沈黙」ではなく既訳の、国による「外交的沈黙」と捉えて、外交的沈黙は必ずしも「家庭の事情」まで届かない、つまり国は黙っていても国民のブリヨン夫人のお喋りは止めようがないという意味になると思うのである。

 ここのパラグラフに関して英文の記事も含めて何の指摘もされていないから、そんなこと最初から分かっているよ、と言う読者がほとんどであろう。「Diplomatic」という一単語を読み間違えただけで泥沼にはまってしまったのである。