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イタリアのマスカレード・カーニヴァル

Italy Venezia,Bagolino

仮面をかぶると人間は性格が変わる。長期の断食、四旬節に入る前のカーニヴァル、牛飲馬食、酒が入り傍若無人、歌い、踊る、ましてやイタリア人の無礼講。日本人には想像を絶するものがある。イタリア北部、運河の町ヴェネチア(Venezia)やアルプス山麓の山合いの村バゴリーノ(Bagolino)では仮面を被り変装してカーニヴァルを楽しむ。

ヴェネチアのカーニヴァルは、歴史も古く、12世紀末、大司教が統治していた近隣のアクイレイアの貴族たちとの戦いでヴェネチア共和国が勝利したことに起源を発する。ヴェネチアの中心地、サン・マルコ大聖堂に面するサン・マルコ広場に住民が集まり、戦いの勝利を祝い踊り狂った。

13世紀末に、カーニヴァルはヴェネチア共和国の祝日に制定され、14世紀頃からクリスマス以降、12月26日から四旬節が始まる灰の水曜日までの6週間をカーニヴァル期間としていた。

時代と共にカーニヴァルの衣装も仮面も変わっていったが、ヴェネチアのカーニヴァルのオリジナルの変装は、バウダと呼ばれる。黒い三角帽に白い仮面を被り、黒いマントを羽織る。何だか不気味な雰囲気が漂う。

仮面と変装は、自己を隠蔽してしまうために様々な犯罪、事件を引き起こした。強盗、恐喝、性犯罪が頻発し、度々罰則が設けられ、変装を禁止した時代もあった。18世紀末にナポレオンがイタリアを侵略し、ヴェネチア共和国が崩壊すると、治安維持、反乱を防ぐためにカーニヴァルの変装、無礼講は禁止され、1979年に再開されるまでヴェネチアのカーニヴァルは長期の休眠をとっていた。

その後、オリジナリティに富んだ仮面、エキセントリックな変装でヴェネチアのカーニヴァルは世界で最も人気のあるカーニヴァルの一つになり、不死鳥のように蘇った。

ヴェネチアから北西へ約100キロメートル、アルプス山麓の谷に細長く続く人口約4000人の山村、バゴリーノでも仮面を被ったカーニヴァルがある。16世紀初頭に起源を遡るカーニヴァルは、陸の孤島ともいえる過疎地ゆえにその伝統的な仮面や変装の独創性も500年以上も変わらずクラッシックでユニークなカーニヴァルだ。

バゴリーノのカーニヴァルは、能面のような「マスカール(Màscär 仮面)」を被り、赤地に色とりどりのリボンと金の鎖や金属のアクセサリーで飾られた帽子が特徴だ。一つの帽子のリボンの長さは3メートルもあるという。

カーニヴァルの参加者は、「バラーリ(Bälärì 踊り手)」と「ソーニャドゥール(Sonädùr 楽隊)」がいて、村の邸宅や広場でヴァイオリン主体の民族的な音楽に合わせて踊る。

谷を降りると、世界的なヴァイオリンの産地クレモナ(Cremona)も近い。ヴァイオリンの音色に合わせた珍しい踊りもうなずける。

バゴリーノの子どもたちは、昔ながらの山村の民族衣装、男の子は踊り手の黒いユニフォームに黒い帽子、肩に赤いショールを、女の子は毛糸で編んだ黒いショールを肩にかけて、頭は民族的な柄のスカーフを被り、踊り手、楽隊になった家族にエールを送る。

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