知的障害のある子どもたちに、性の多様性の授業をしてきました。

今日は、障害のある子どもたち(主に知的障害)の、高校後の学びの場で、性の多様性の授業をしてきました。
障害のある子どもたちの進路については、私も、全然知らなかったのですが、障害のある子は、何かを習得することに相対的に時間がかかることが多いのにも関わらず、一般的には、現在、支援学校高等部卒業後には、一般就労か作業所に行くことが多いです。
事業内容としては、自立訓練事業の生活訓練としての枠組みを利用して行われていて、常勤のスタッフさんと、ボランティアさんによって、授業がなされています。性教育は、「こころとからだの学習」という枠で、2週間に1回行われていて、その中で、LGBTを含む多様な性については、なかなか教えるのが難しいから、ということでお声がけいただいたようでした。
自閉傾向がある子、知的に遅れがある子、じっくり考えて言葉が遅い子、初見の私は、ライブ感があって、とても神経を使いました。でも、考えてみたら、普段のコミュニケーションにおける前提そのものが、インクルーシブではないのかも知れない、と反省。今回は、知的障害・精神障害(発達障害を含む)のある子どもたちへということもあり、かなりゆっくりとした口調で、平易な言葉を意識して話しましたが、普段の私の会話や講演のスタイルは、誰もが参加できるものではなかったな、ととても反省していました。それでも、終わってから、スタッフの方とお話していると「やはり、私達だと、もうお母さんみたいな感じの立場だから、たまに外部からくると授業がパシっとするよね」とのことでした。ずっといるからわかる生徒個人の特性と、初見だから、という緊張感、どちらにもメリットがあるのですね。

前半戦は、一緒に行っている元小学校の先生の授業。いろんな性の動物クイズにとても熱心に取り組んでいました。ウミガメの仲間が、生まれる前の温度でオスかメスか決まるんだよ、と言ったときに、「ウミガメは爬虫類やんな」と生徒の一人がコメント。その先生は、「あれ、両生類じゃなかったっけ?」と言ったのですが、「いや、ウミガメは◯◯だから(すっかり忘れてしまいました)、爬虫類だよ」と再度応答。そのときは、誰もすぐに答えが出なかったのですが、あとで調べてみたら、生徒の方が正しかったですね。とても生物に詳しくて、こちらが勉強になりました。
僕は、休憩を挟んで後半に。まず、「王さまと王さま」という絵本を読み、「どう思う?」と感想を聞きます。「悪いところはないと思う」という子。いろんな意見が出ます。「子どもは生まれへんよね」という意見に「どうしたらいいと思う?」と投げかけます。答えは返ってこなかったけれど、「例えば、レズビアン同士だったら、誰かに協力してもらって産むってのはできるよね。あとは、親がいない子を王さま二人で育てるのはどう?」と言ってみました。
そのあと、「僕は男だと思う?それとも女だと思う?」というクイズをしました。「身長が高いから男だと思う」と言ってくれた子がいたのですが、「じゃぁ、164cm以上の人、手をあげてー!あ、スタッフさんにも結構いますねー。みんな男だと思う?わからないけど、でも違いそうだよねー?」という話など、とても盛り上がりました。
「自分が、身長が高いから、男だ!と思うのはいいんだよ。でも、その基準を相手に当てはめちゃダメなんだよね。お前は身長が高いから男のハズだって決めつけられたら、ちょっと嫌な気分にならない?私が決める性別の基準と、目の前にいるあなたの基準は違うかもしれないよね」ということを伝えました。
そのあと、いろんな性別の話をして、同性を好きになる人や、うまれたときにお医者さんに決められた性別とは違う性別で生きたい人もいるよ、ということ、男にも女にも見られなくない人や、誰も好きにならない人や、たくさん好きになる人がいるよ、という話へ。その後、LGBTの国内外の有名人を紹介してみました。
私のライフヒストリーを話しました。同性を好きになること。誰も教えてくれなかったことをゆっくりと話しました。
いよいよ最後にいろいろな”好き”について。僕は今日、同性を好きになる人としてきたけど、他にも、いろんな好きがあるんだよ、スニーカーが好きな知り合い、全身タイツが好きな人、ロボットが好きな人、ふんどしが好きな人、いろんな友だちが僕にもいてどれも素晴らしいんだよ、と言いました。白雪姫を出して、王子様は、もしかしたら、死んでいる人にキスしたい人なのかもしれないよね?でも、お姫様は、キスしていいって言ったっけ?と問いかけました。「言ってない」「そんなに深い関係じゃない」「まだ出会ってなかったんちゃう?」との声。
「一見、変だな、とか思われるようなものであっても、どんな”好き”もおーけーなんだよ。ただ、大事なのは、自分の”好き”なものを叶えるために、他人を傷つけないこと」
性的嗜好と性加害の話を平易な文で説明するのに、”いろいろな好き”という言葉が適切であったかわかりません。それでも、いたずらにジャーゴンを増やすよりは、今、彼らの中にある言葉を紡ぐ方がよい、と私は判断して、こんな話し方をしていました。

そうして、いよいよまとめへ。
まとめで伝えたのは以下の4点。

【まとめ】
☑ 幸せの形はいろいろ…同性を好きになるのもステキ!友だちと生きていくのもステキ!
☑ 学ぶことは、友だちを傷つける可能性を減らすこと。人の性別、好きになる性別を決めつけないこと!
☑ 先生や親、法律がおかしいときもある。
☑ 自分を大切に、自分の“好き”を大切に。LGBTだけでなくあなたも多様な性のひとり

まとめを話しているときに、いつもは生産性のことに触れる(今回は削除)のですが、ドイツへ旅行したときにみた強制収容所(同性愛者も障害者も殺害された)の光景や、杉田水脈の生産性発言、私は授業をしている中で、いろんなものが頭によぎりました。
それでも、ここには、沢山の生徒がいて、それを支える沢山のスタッフがいて、その背後には、彼らを支える親や大切な人々がいて、笑顔に満ちている。心身ともに疲れ気味の私の方こそ、救われた気がしました。
障害のある子らにも、性の楽しみや、性の喜びや、性の被害者や加害者にならない教育を。

知的障害のある子に何を教えるか、どう教えるか、はとてもむずかしい問題だと思います。私の実践は、しかも、”正しい”知識を教えるのではなく、「何が”正しい”とされるのか、”正しさ”はどこで作られるのか、考える・疑う」ことを第一とする実践なため、ただ、わかりやすければいい、というものでもないと個人的には思っています。
今回は、平易な言葉への置き換え、抽象論を排除し具体例に変換を行い、たまたま、その教育の場での性教育そのものの積み上げがあったから、うまくいったのだと思うのですが、難しい言葉を使わなくても、ここまでできるんだ、いうそういう自信につながったのは事実です。
言葉を交わすこと、理解を確認すること、疑問を一緒に考えること、質問されたら、そのまま、「みんなどう思う?」と問いかけてみること、知りたいと思う気持ちを大切にすること。とても、楽しく、頭の使う、勉強になった出前授業でした。
私達の生が祝福される場が、不穏な未来の中にも、維持され、増え続けるよう、改めて頑張りたいな、と思いました。

にじいろらいと、という小さなグループを作り、小学校や中学校といった教育機関でLGBTを含むすべての人へ向けた性の多様性の講演をしています。公教育への予算の少なさから、外部講師への講師謝礼も非常に低いものとなっています。持続可能な活動のために、ご支援いただけると幸いです。