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深セン、クリーンな街は、何を「片付けて」いるのだろう?

2018年3月18日
ちゃんと今日のことを書いておこうと思う。
今日は、唯一、1日フリーの日だった。香港に行く学生、マカオに行く学生に大体は別れているようだった。僕は、遠出はしなかった。
マカオは、お金がなくカジノや、異性愛男性向けの風俗店などにとりわけ興味のない僕にとっては、エッグタルトと町並み以外には特に今の所興味がない場所であるし、香港は帰国前に嫌でも二日間滞在しなければならない。(もちろんとても楽しみだけれども)
かといって、広州や、違うところに行きたいかというと、まぁ、そうでもないかと思って、部屋でハルビンビールなんかを朝から飲んでいた。
そのあと、昨日の夜会話をしていたイケメンから声がかかり、お昼ご飯を一緒に食べることにした。烏魯木斉出身だという彼は、背が高く、ガッチリというよりむっちりというような体系だった。彼は僕に何が食べたいか聞いてくれて、僕らは、海上世界という場所にタクシーで向かった。20年前までは何もなかったという場所(その言葉を深セン滞在中に50回ぐらいは聞いた)には、高級なバーやレストラン、高層マンションが品よく並んでいた。彼は、ここは、深センの中でも、特にお金持ちが住むエリアの一つだと言った。僕らは、四川料理を食べた。彼は英語も日本語もできなくて、僕らは中国語で会話をした。とてもこまめに調べてくれる人で、僕が彼の発言でよくわからないことがあって、「それはどういう意味?」と聞くと、めんどくさがることなく、全て、携帯で調べて見せてくれた。
僕らはたくさんの会話を共にした。烏魯木斉での生活や、烏魯木斉にいる少数民族の話しや、彼自身が別の少数民族であることなどを話した。中国でゲイであることの困難や、家族からかけられるプレッシャーなども話した。中国語は、半分ぐらいしか理解できていないはずなのに、僕には痛いほどその「痛み」がわかった。
よく、講演にいったときの質問で、「ゲイでよかったことはありますか?」と聞かれることがある。
僕は、そのときに、「海外にいったときに、ゲイであるというだけで、すぐに仲良くなれる人がいること」、と答えている。もちろんすべてのゲイがすべての海外のゲイを歓迎してくれるわけではない。顔が良いとか、体が良いとか、まぁ、もちろん、そういうのによっても左右されるだろう。それでも、ゲイであるというだけで私達は確実に距離が縮まる。たとえ、タイプではなかったとしても異国で居合わせた海外の同志に僕らはこころを許してしまう。僕らは国境をたやすく超える。どんなに政治や、国同士の仲が悪くとも、僕らは共にアウトサイダーなのだ。異性愛の人々が国民国家を拠り所にしてしまいがちで、ついつい他の国の人々を、『人』とはみなさず搾取してしまいがちな構造の中で、私たちができることは、たぶん、国家の枠を超えて、私達がつながることなのだと思う。排除される者同士が、つながること。排除される者同士が別の地場を作ること。その一つ一つの実践が、私達を互いに互いが人間であると認識しつづけさせてくれる。その一つ一つが私達に尊厳を与えてくれると僕は信じている。

深センはとても困難な状態にある。スマートシティ、IT化の中で、すべての情報が携帯に一元化されている。どこで何を買ったか、どういうルートでどう移動したか、どういう人とつながりがあるかを、全て国は把握することができるのである。
そして、皆、それは、方便(便利)であると思っているし、実際とても便利だし、それによって、一部の『よくわからない』あるいは『気持ち悪い』マイノリティの人々が迫害されたとしても、秩序のためには仕方がないとおもっているフシがある。いくら人権意識が高い個人がいたとしても、大きな流れには抗えない、それが中国なのだ。多くの人々が、携帯での決済を行い、企業がプロモーションや還元を行う中で、私達にできることは少ない。よくよく考えると現金で支払いをしている深センの人を、実は私は、まだ、この一週間で一人も、只の一人も見ていないのである。
この1週間、私は、とても多くの場所を訪れている。そこで、改革開放は素晴らしい、深センのGDPは云々、ITによって…といったきらびやかな説明を耳にタコができるほど聞いた。そのたびに、でも、僕の身体は、ざらざらと、あるいはいがいがするような気がした。
私は、深セン滞在3日目に唯一残っていたゲイ男性向けの発展場に訪れていた。そこは警察により閉鎖され、場所を移転した後も、再度すぐに閉鎖されてしまっていた。卓球台があって、カラオケもある、深センの肉体労働者階級や、やや年配のゲイが集まるサウナだった。街がきらびやかになるのと反対に、私達の居場所は潰されている。深セン、クリーンな街は、何を「片付けて」いるのだろう?深センの善良な市民は誰一人として気に留めているようにはみえない。ゲイ男性は、結婚し、顔を隠し、ゲイアプリを使う。従来あった発展場を中心としたコミュニティは損なわれていて、アプリでのセックスを中心とした断片的なつながりへと変容していく。私達はより見えないところへと押しやられている。もう、一緒に平井堅の「瞳をとじて」を歌うことも、徳永英明のレイニーブルーのカバー曲(张学友: 蓝雨)を歌うこともない。タオルを巻き、上裸で卓球に興じている深センのおじさんのプレイを眺めることもない。
深センにおける、同志(ゲイ)に関する組織を私はみつけることができていない。上海や別の大きな都市にあったもの(もちろん、それさえも国の規模からすれば十分ではないのだけれども)が、ここには、ないのである。いつの間にか、ここは、とてもクリーンな街になっていて、だから、僕は、とても息苦しいのだ。

にじいろらいと、という小さなグループを作り、小学校や中学校といった教育機関でLGBTを含むすべての人へ向けた性の多様性の講演をしています。公教育への予算の少なさから、外部講師への講師謝礼も非常に低いものとなっています。持続可能な活動のために、ご支援いただけると幸いです。