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アイスと牛乳は,結局幸せで。

6/13日の延長で書きなぐる日記。

土曜日なのに7時台に一度意識が覚醒してしまう。

この時点で良くない日だという確信がある。雨だ。出窓に打ち付ける雨音と鈍い日の光は朦朧とした寝起きの意識でも判別できるくらいにそれを物語っていた。

自分ではコントロールできない事象が,自分の欲求とは違う方向にばかり転がり続ける。すべてが億劫だ。

この天気とか、ミスしたまま週末仕事が終わってしまったとか,楽しみにしてた映画の放送が手が加わって意に沿わなかったとか,会いたい人に会えないとか,鬱屈としたこの気分に合う曲が見つからないとか,表現したい感情を可視化・言語化できないとか,各種支払いにコンビニに行かなきゃとか,散らかった部屋の片づけとか。

そんな些細な不具合が,白日にさらられることもなく,鈍色の空に包み隠されて雨と一緒に流されていく。本当にすべてどうでもいいような気がしてくる。結局二度寝して昼に起きて,14時ごろパンをほおばって,無理やり音楽を聴いてたら,どうにも疲れて遮断してしまった意識を。

19時過ぎに覚醒したけど何をするでもなく,ただ食事を口に運ぶだけ。

排泄物すら生成してない。

大好きなバンドのライブ配信がたまたまあったから見てたら逆に死にたくなってきた。

去年尊敬する書き手が言ってた

「返信がいつまでも来ないとか,そういう些細な不具合を,死にたいくせに馬鹿面して,チープな衝動に身を任せて溶かしたい。爆音ですべてを溶かしたい」

って言葉。これが紙一重bad入ったのかなと思った。

せめて金くらいは払いに行くかと思って身支度のつもりで湯船につかって風呂入ったらだめっだった。命の洗濯…でも風呂って嫌な事ばかり思い出すよな。そうだったシンジ忘れてたよ。

脱水症状っぽくなって,嘔吐くくらいまで浸かってた。多分風呂は命の洗濯なんだから,さっぱりするまで入ってないといけないってそんな脅迫じみた自分自身の定義に縛られてんだと思う。そんなになるまでしてたら…違うって言ってほしいだけ。

風呂で考えてたこともきっとそう。答えの出ない仮定のハナシ。どうっやって死のうとかそんなこと。同意か否定かはたまた同情か…結局誰かに何か言ってほしいだけ。誰もいないから,もう一人自分を作って言うだけ。だから日記なんか書くきっと。知識量も好奇心も価値観もほぼ同じ。10説明しなくて済む。体力がいらない。タダ否定してやればいい。どこまでも浸れる。クソみたい。

なんて思いながら牛乳1Lパックを一息で飲んだら,なんだ急にそんなごちゃごちゃしたことどうでもよくなって涼風が吹いたみたいだった。

アイスも食べたくなってしまった。イチゴ味のパルム。

なにをどんなに悩んだって病んだって。風呂上がりに牛乳とアイスを食べたときはどうしようもなく幸せで。どうしよもなく今生きてるんだと思わせれてしまった。とにかくあと十数時間は確実に生きてる。

それくらいで,ちょうどいい。

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