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基本的に、あなたのままでいい。
清少納言の枕草子は、今でいうブログだという話は、割と印象に残っている。
桃尻語訳のやつもあったね。ぜんぶは読んでいないけれど。面白そうなところを、つまみ読みすればよいんじゃないか。という気もする。
でも、実は全編を通して読むと、重大な矛盾が明らかになり、その矛盾を解き明かすと、驚天動地の真相が暴露される……
みたいな仕掛けがあったりするのかな。
つれづれなるままに Part2
一般化のワナに気をつけよう、という言葉がある。ぼくの好きな或る先生の言葉だ。
たとえば、悲しいことが起こったとする。
すると、言いたくなる、
「世界は悲しいものである!」
たとえば、或るひとりの学生がいいことをしたとする。
「○○学校の生徒はすばらしい!」
「ねえ、うちになにのアイスがある?」
休日のスーパーマーケット。
男の子がおかあさんに言っている、
「アイス買ってー」
「アイスね、まだ家になかったっけ」
「え、うちになにのアイスがある?」
「なかったっけ……」
「うちになにのアイスがある?!」
「三角のやつもう食べたっけ」
「ねえ、うちになにのアイスがある?!?!」
いいぞ、いい感じだ。
《うちになにのアイスがある??》
シンプルな問いかけだ、しかし「なにの」と
「浴衣着たかったよねー! 死ぬー」
七夕が近づいてきて、なにかの祭りに行ったんだろう、そして浴衣でない服を着て行ったんだろう、そして浴衣を着て行きたかったのだろう。
浴衣着たかったよねー死ぬー、と言って盛り上がっている女性たち。
梅雨(つゆ、あるいは、ばいう)から始めて
梅雨の始まりを、入梅というそうだ。
にゅうばい、である。
ウィキペディアに書いてあった。
梅雨の終わりは、出梅。
しゅつばい、かな。
梅雨の語源としては、
梅が熟す時期だから。
という説とか、
黴(かび)生えるから黴雨。から変化した。
という説とか、があるらしい。
つゆ、は、まあ露なのかな。
梅関係ないね。
☆ ☆ ☆
雨がふると、外に出たくなくなる。
もっと小さい子どもだった
生まれたときに楽しかったこと
やりたいことがたくさんある。
時間がずっとあるならば、ぜんぶやりたい。ありとあらゆる役割を、やってみたい。
役者になっても演じるということからは逃れられない。その人自身として生き続けることはできない。その人自身として生きるということを、何千通りと、繰り返してみたいのだ。
しかし、そんなことはできない。
なんという単純な事実だろうか。
われわれはもうすでにひとつずつの人生を生きる。永劫回帰とは
つれづれなるままに Part3
どうしていつも食べ物の話を書いてしまうのか。
それには理由があります。
或るミュージシァンが、五感で感じられるような音楽をつくりたい、と言っていたことに、触発されているからです。たぶん。
ぼくは、いろいろなことの、理由を聞くのが好きです。なぜ? というふうにして、理由が気になるのです。
なぜかというと(!)、ぼくはそういう体質だからです。体質の話も、いま、ぼくはしたくなってくるのですが、
無理してバランスを取る必要もない(かもしれない)
いろんなことをする必要があるとき、それらの間でバランスを取ることが必要である、そんな気持ちになるときがある。
こちらはこの程度にしておいて、あちらの分の何かしらを残しておこう、というように。たとえば時間。客観的な時間に縛られて生きている人たちは、時計によってそれを測り、配分する。
複数のことをするために、それぞれに時間の長さを割り当てるのだ。そうやって細分化することで、人生は細切れの材料を組み
つれづれなるままに Part4
きょうもきょうとて、つれづれなるままに。
きょうも、せみが鳴いていましたね。
ここのところよくわからない文章を多く書いてしまった気がして、きょうは、もう少しわかりやすい文章にしたいな、と思っています。
でも、書いたそばから、こういう文章は好きじゃないなと感じてしまいます。そういうのいらないから早く内容を始めろよ、と思ってしまいます。みなさんは、そう思いませんか?
たとえば、編集部からこれこ
堅苦しいノートと鉛筆
たとえば、利他的な行動と利己的な行動とは、一致したほうが、いちばんいいと思う。
全員がじぶんが快適で、その行動ゆえに他の人がみんなうれしかったら、なんといいことだろうか。そういう時間が現出したら、それが至福でなくてなんだろうか。ぼくは、この状況をつくることは、そんなに難しいことだとは思っていない。しかし、そんなに難しくないことでさえ、実際に起こることと、意図的に起こすこととは、別のことなのだ。た