マガジンのカバー画像

2017年、じゃぶとんの書いた22の文章

22
書いた順に並べました
運営しているクリエイター

記事一覧

つれづれなるままに

つれづれなるままに、ひぐらし、すずりにむかいて。
とは言ったものだけれど、今の時代すずりではなくてキーボードである。と言いつつ、フリック入力である。

タブレットを新しくしたので、てきとうにnoteをインストールしてみた。ポチポチと文章を書くのも面白いかもしれない。

徹底的に、意味のないものを書く。

どうしても文章を書くとマジメになってしまうから、つれづれなるままに、ひぐらし硯に向かって、狂お

もっとみる

基本的に、あなたのままでいい。

清少納言の枕草子は、今でいうブログだという話は、割と印象に残っている。

桃尻語訳のやつもあったね。ぜんぶは読んでいないけれど。面白そうなところを、つまみ読みすればよいんじゃないか。という気もする。

でも、実は全編を通して読むと、重大な矛盾が明らかになり、その矛盾を解き明かすと、驚天動地の真相が暴露される……

みたいな仕掛けがあったりするのかな。

もっとみる

つれづれなるままに Part2

一般化のワナに気をつけよう、という言葉がある。ぼくの好きな或る先生の言葉だ。

たとえば、悲しいことが起こったとする。
すると、言いたくなる、

「世界は悲しいものである!」

たとえば、或るひとりの学生がいいことをしたとする。

「○○学校の生徒はすばらしい!」

もっとみる

「ねえ、うちになにのアイスがある?」

休日のスーパーマーケット。
男の子がおかあさんに言っている、

「アイス買ってー」

「アイスね、まだ家になかったっけ」

「え、うちになにのアイスがある?」

「なかったっけ……」

「うちになにのアイスがある?!」

「三角のやつもう食べたっけ」

「ねえ、うちになにのアイスがある?!?!」

いいぞ、いい感じだ。

《うちになにのアイスがある??》

シンプルな問いかけだ、しかし「なにの」と

もっとみる

「浴衣着たかったよねー! 死ぬー」

 七夕が近づいてきて、なにかの祭りに行ったんだろう、そして浴衣でない服を着て行ったんだろう、そして浴衣を着て行きたかったのだろう。

浴衣着たかったよねー死ぬー、と言って盛り上がっている女性たち。

もっとみる

梅雨(つゆ、あるいは、ばいう)から始めて

梅雨の始まりを、入梅というそうだ。
にゅうばい、である。

ウィキペディアに書いてあった。

梅雨の終わりは、出梅。
しゅつばい、かな。

梅雨の語源としては、

梅が熟す時期だから。

という説とか、

黴(かび)生えるから黴雨。から変化した。

という説とか、があるらしい。

つゆ、は、まあ露なのかな。
梅関係ないね。

☆ ☆ ☆

雨がふると、外に出たくなくなる。
もっと小さい子どもだった

もっとみる

生まれたときに楽しかったこと

やりたいことがたくさんある。

時間がずっとあるならば、ぜんぶやりたい。ありとあらゆる役割を、やってみたい。

役者になっても演じるということからは逃れられない。その人自身として生き続けることはできない。その人自身として生きるということを、何千通りと、繰り返してみたいのだ。

しかし、そんなことはできない。
なんという単純な事実だろうか。
われわれはもうすでにひとつずつの人生を生きる。永劫回帰とは

もっとみる

つれづれなるままに Part3

どうしていつも食べ物の話を書いてしまうのか。

それには理由があります。

或るミュージシァンが、五感で感じられるような音楽をつくりたい、と言っていたことに、触発されているからです。たぶん。

ぼくは、いろいろなことの、理由を聞くのが好きです。なぜ? というふうにして、理由が気になるのです。

なぜかというと(!)、ぼくはそういう体質だからです。体質の話も、いま、ぼくはしたくなってくるのですが、

もっとみる

無理してバランスを取る必要もない(かもしれない)

いろんなことをする必要があるとき、それらの間でバランスを取ることが必要である、そんな気持ちになるときがある。

こちらはこの程度にしておいて、あちらの分の何かしらを残しておこう、というように。たとえば時間。客観的な時間に縛られて生きている人たちは、時計によってそれを測り、配分する。

複数のことをするために、それぞれに時間の長さを割り当てるのだ。そうやって細分化することで、人生は細切れの材料を組み

もっとみる

雨のちヒレカツ

通り雨がざあざあと降り、ぼくはきちんと傘を差した。いつ頃作られたのかも知らない、折りたたみ傘だ。

今般よくあるような、開くときに、しぜんと骨が開いていくような傘。あの蛇腹のようになっている骨が、しぜんと開いていくしくみを持った、そんな折りたたみ傘。

ではない。そういう傘ではないのだ。じぶんの手で、二つ折りになっている骨たちを、開かなければならない。

こんな傘である。折りたたみ傘ではあるが、折

もっとみる

せみとかえる

セミとカエルの鳴き声は、すこし似ている気がする。にんげんにとって(すくなくともぼくにとって)、ときどき、とても必死に鳴いているように聞こえる。

ひっきりなしに、ミンミンと、あるいはぐわっぐわっと、鳴いている。彼らは、疲れないのだろうか。もしかしたら、楽しいのかもしれない。みずからの体内からの力を、うんと発散して、すっきりするような、没頭しているような、そんな快感のごときものを、感じているのかもし

もっとみる

つれづれなるままに Part4

きょうもきょうとて、つれづれなるままに。

きょうも、せみが鳴いていましたね。

ここのところよくわからない文章を多く書いてしまった気がして、きょうは、もう少しわかりやすい文章にしたいな、と思っています。

でも、書いたそばから、こういう文章は好きじゃないなと感じてしまいます。そういうのいらないから早く内容を始めろよ、と思ってしまいます。みなさんは、そう思いませんか?

たとえば、編集部からこれこ

もっとみる

堅苦しいノートと鉛筆

たとえば、利他的な行動と利己的な行動とは、一致したほうが、いちばんいいと思う。

全員がじぶんが快適で、その行動ゆえに他の人がみんなうれしかったら、なんといいことだろうか。そういう時間が現出したら、それが至福でなくてなんだろうか。ぼくは、この状況をつくることは、そんなに難しいことだとは思っていない。しかし、そんなに難しくないことでさえ、実際に起こることと、意図的に起こすこととは、別のことなのだ。た

もっとみる

きょうも夜です

きょうも夜です。

きょうも夜です。ゆっくりと過ごす夜です。

きょうも夜です。あしたという言葉には、朝という意味が昔あった。きょう(けふ)には、どういう意味があったのか? ぼくはよく知りません。

きょうも夜です。夜は涼しい。涼しい夜は好きです。夏の昼は、とても暑い。冷房のよく効いた部屋は、肌寒い。ちょうどよい服装が、むずかしいときがある。

きょうも夜です。夜になると、暗くなります。街灯がつ

もっとみる