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日中茶龍が「日中ビジネス×社会人交流」をおこなう理由【JACCCO提携団体インタビュー】

日中のビジネスを軸に、講演会や立食パーティーなど通じて、社会人に交流の場を提供する「日中茶龍 ちゃろん」。JACCCOとも提携する同団体を主宰する本郷貴之さんに、立ち上げまでのストーリーや、社会人向けの交流をおこなう理由などについて語っていただきました。(※記事の最後には日中茶龍主催のイベントのお知らせがあります!)

ある朝、目が覚めると、上海語がペラペラに?!

 私は日本人の父と、中国人の母との間に生まれた日中ハーフです。ハーフといっても、中学1年生で中国の公立中学校に通い始めるまでは、中国語は全く話せませんでした。中国語が話せないどころか、当時の私は小学校の勉強もろくにしていませんでした。漢字テストでは、全50問中正解できたのはたったの2問だけなんてこともありました。

 家庭の事情で、母は私が小さいころからずっと上海に住んでいました。私は父と2人で埼玉県に暮らしていて、母とは年に何度かだけ会うという状態が小学校5年生まで続いていました。父は私がやりたいようにするのを尊重してくれ、母は近くにいなかったので、両親から「勉強しなさい」と口酸っぱく言われることがほとんどなかったんですね。

 上海での用事がひと段落ついて、生活の拠点を日本に戻した母は、そこで初めて私の〝惨状〟を知ります。「これはまずい」と危機感を抱いた母は、私に勉強しなさいと言うようになりました。そこで私もいやいやながらも、初めて机に向かって真剣に勉強してみました。すると、「分からないことが分かる瞬間って、案外面白い!」と素直に感じたんですね。そこからは、今までの不真面目っぷりが嘘のように、勉強にのめり込んでいきました。

 その頃、漢字の勉強もかねて、よく目を通していたのが日経新聞の社説でした。私が小学6年生だった2007年、日経の社説には中国に関する話題が頻繁に取り上げられていました。2008年には北京オリンピック、2010年には上海万博を控えた時期です。「中国ってこれから発展するんだな。ちょっと行ってみたいかも」という気持ちが芽生えました。

 それを母に告げると、上海の徐家匯じょかわいというエリアに家があることを教えてもらったんです。大型のデパートがあったり、旧フランス租界があったりする賑やかな場所のようで、「そこに住めるなら楽しそうだな」と思って、上海で中学校に通うことに決めました。
 当然、私としては、上海にある日本人学校に通うのだと思っていました。ところが、入学式の日に連れられたのは、現地の中国人が通う公立中学校。「ニーハオ」しか話せない私は、その日から〝サバイバル生活〟を送ることを余儀なくされました。

 ただ、今でもすごく感謝していることがあります。それは、言葉の全くできない外国人の私を、現地の学生たちが温かく迎え入れてくれたことです。特に最初の3か月はジェスチャーでしかコミュニケーションが取れなかったのに、「困っていることがあれば、何でも伝えてくれ」と相手も身振り手振りで示してくれ、面倒を見てくれました。私が今、日中茶龍の活動を通じて、中国の良さを知ってもらいたいと思うのは、このときの原体験があるからです。

 上海生活のなかで、今も鮮明に覚えている〝事件〟が1つあります。徐々に中国語を話せるようになってきた中学3年生の夏休みのときのことです。例年は夏休みの丸2か月間は日本で過ごすのですが、その年だけは何かの事情があって上海に残っていたんです。時間があったので、私は当時上海で放送されていた上海語のテレビ番組を毎日ずっと見ていました。何を言っているのかは分かりませんでしたが、日本語に響きが似ている上海語を聞き流していました。

 そんな日々を過ごしていたある朝、目が覚めると、なんと自分の口から上海語がスラスラと出てくるようになっていたんです。一瞬、自分でも何が起きたのか分かりませんでした。その日の午後に、上海人の家庭教師に上海語で話しかけると、「貴之、いったい急にどうしたんだ?」と驚かれました。その日を境に、母をはじめ上海人の家族や友人とは上海語でコミュニケーションが取れるようになって、嬉しかったですね。

日中茶龍の懇親会

〝学び〟が人間をつくる

 高校生になると、標準語も上海語も使いこなせるようになりましたが、肝心の日本語が下手になってしまった時期がありました。そこで、日本から小説や学術書などを取り寄せて、片っ端から読み進めていきました。そのときに中国の教育に関する学術書と出合い、教育学に興味を持ちました。色々と調べる中で、早稲田大学教育学部に、中国の少数民族の女性教育について研究している小林敦子先生がいると知りました。この人のもとで学びたいと思って早稲田大学に進学し、そのまま修士課程まで進みました。

 私は広義の意味での〝学び〟に強い関心があります。学びは日常生活の至るところに溢れています。そうした学びの積み重ねのなかで、人間形成は行われていきます。私は初対面の人に会うことが全く苦ではなく、むしろ楽しいと感じるタイプなのですが、それも〝知らない人と話すと視野が広がる〟という学びの喜びが根底にあるからなんです。学生時代は誘われた飲み会には必ず参加していましたし、日中茶龍を立ち上げようと思ったのも、自分にはそうした適性があると自覚していたからです。ちなみに、私自身はお酒がほとんど飲めません(笑)。

日中茶龍がこれまで主催したイベントの一部

 日中交流には、大学生になってから本格的に携わりました。先ほども言った、中学生の頃の原体験もあって、もっと多くの日本人に中国の良さを知ってほしいと思ったんです。そこで、早稲田大学にある中国語学習会に所属し、幹事長を務めました。

 私が幹事長になった当初、中国語学習会の参加者は10人程度でした。さまざま分析した結果、日本人の参加者が増えれば、中国人留学生も自然と集まるはずだと思い、Twitterなどを使って広報活動に注力したところ、1年半後には参加者は130人ほどにまで増やすことができました。この頃に、他の日中交流の学生団体ともたくさん知り合えたことは大きな収穫の1つでした。

 その後、私は大学院に進学し、多くの同級生は社会人となりました。しばらくして、学生時代にともに日中交流に励んだ社会人の友人と会ったとき、彼がこんな言葉をもらしたんです。

「学生時代には日中交流に携わっていたけれど、社会人になってそうした機会がすっかり減ってしまった」

 私自身はまだ学生で、日中交流イベントにも顔を出していたので気づきませんでしたが、社会人になればそうした機会は減るのかと率直に思いました。そして、「それならば、社会人が集い合える日中交流の場を提供すれば良いのではないか」と次の瞬間にひらめいたのです。

 そこからさらに考えた結果、特にビジネスの分野に特化した、中国の魅力を紹介する社会人向けのコミュニティを作ろうと思い、日中茶龍を立ち上げました。2021年7月のことです。

 立ち上げ当初は、中国の面白さを伝えるということが活動の主なテーマでした。もちろん、今もそれは大きな軸としては存在しています。その一方で、私自身が会社員となってから、「社外の人や異業種の人との交流を求めている会社員は意外と多いのではないか」という気づきがありました。そこからは、「中国の魅力紹介」と「社外・異業種の人と出会える場」を掛けあわせる今の日中茶龍のイベントの形に落ち着きました。

 50人くらいが集まればいいと思って茶龍を立ち上げましたが、今ではライングループに300人以上参加してくれています。あくまでも体感ですが、そのなかで中国に特に強い関心を持っていないメンバーは3割から4割程度はいるのではないでしょうか。上述の2つの要素がうまく絡み合っていると感じています。

出会いが起こす化学反応を見てみたい

 茶龍のイベントでは、一方的な講演会だけで終わることはせず、その後に立食形式の交流会を行うようにしています。そこで参加者とゲストスピーカーや、参加者同士で会話することで、みんなの視野が広がることを期待しています。

 3月11日(土)には、中国のZ世代の間で熱烈な支持を集めるECプラットフォームを運営する企業の日本支社代表を招いて、講演会と立食形式の交流会を行います。その企業は、中国でかなり早くからECプラットフォーム内の真贋対策に注力していて、「本物を取り扱っている」という安心感が中国のZ世代の消費者に響いているようです。
 
 私としては、日中茶龍を大きくすることよりも、日中茶龍のイベントに参加してくれた人同士で化学反応が起き、社会に対して何かインパクトのあることが起きてほしいと願っています。何より私自身が他の誰よりも新しい出会いに胸を躍らせながら、これからも茶龍の活動を盛り上げていきたいと思っています。

3月11日開催「第1回日中Zサミット」

取材・文 JACCCO youth
写真 本郷貴之、JACCCO youth

日中茶龍HP:http://j2c-chalong.com/
日中茶龍Twitter:https://twitter.com/J2C_ChaLong?s=20

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