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目に見える世界は、世界のほんの一部である

毎日悪夢を見ていた時期がある

 2007~2012年頃まで、私は眠る度に、毎回、悪夢を見ていました。

 夢日記をつけようと試みたこともありますが、あまりに回数が多いのと、内容が暗いのと、心身の疲労で、途中で断念しました。

 特に、2007年以後、突発性過眠症の症状が出始めたので、眠ることが恐ろしいとさえ、感じていました。

 当時は、日中起きている時は、体力の低下と、睡眠時間の多さで疲れやすさをよく感じました。

 これに加えて、夢の中でも、誰かに追いかけまわされたり、殺されたりという経験をするので、心身共に疲弊していました。

 最近は、毎日悪夢を見るとか、眠る度に悪夢を見ることはなくなりました。

悪夢を見ることの意味

 それでも、毎日悪夢を見ていた日々は、一体何だったのだろうかという疑問は、心の片隅に常にありました。

数日前、ウィリアム・レーネンのこんな言葉を見ました。

 このレーネンの言葉は、あの過酷な日々に光を照らすものだと感じました。

 傍目には、眠ってばかりに見えるので、怠けていると見られてきましたし、今もそうです。

 悪夢を毎日見る辛さを訴えても、理解は得られませんでした。

 これは、同じ苦しみを持っている人には、伝わりました。

見えるのはほんのわずか

 睡眠系の疾患をお持ちの方、あるいは外見上は病気に見えない病をお持ちの方はご経験がおありでしょうが、病の症状に加えて、周囲の無理解の方が、日々を生きる力を削ぐと思われます。

 しかし、病で眠らざるを得ないとはいえ、そのことと、その人が怠けているかどうかは別のことです。

 本当に怠けているのでしょうか。

 その見方はすべての可能性を考慮したものでしょうか。

 とても、そうは思えません。

五感で捉えられるのは、とても狭い領域

 多くの人の見方は、この3次元の世界に狭められています。

 3次元の世界で、成功とか失敗で、自他をジャッジしがちです。

 しかも、3次元の世界の、さらに狭い可視光の範囲のことしか、人間の五感は捉えられません。

 「人は、目で観察できるものが「空間」に存在するすべてだと思っているが、実は、見えているのは存在するもののごく一部、つまり「可視光」の周波数帯だけなのだ。主流派の科学者によると、電磁スペクトルが対応するのは、宇宙に存在するエネルギーや「物質」の約0.005パーセントにすぎない。そのうちの可視光となると(中略)その幅はさらに狭くなる。」
(デーヴィッド・アイク『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない 上』ヒカルランド、2014、p,46-47)

 しかし、可視光線を超えた範囲にも世界はあるし、そこに存在する生命体もいます。

 そうであれば、3次元あるいは可視光の世界で、大したことをしていないからといって、その人が本当に大したことをしていないとは言い切れないわけです。

 そうではありませんか?

人間は多次元的・多層的存在

 肉体的には眠っていても、その人は、異なる時空・次元で、多大な働きをしているかもしれない。

 眠る度に悪夢を見ることで、その人は、集合意識にバランスをもたらしているのかもしれない。

 マッカーサーJrさんの言葉を紹介します。

「この世の物事は、全て繋がっています。
偶然に見えることも、別の階層では意味があるなんてことはザラなのです。よって、あなたの人生が世界の物事に全く関係ないと考えるのは自由ですが、実際は、あなたという存在は世界が「どちら側」に傾くのかに大きく関わっているということを覚えておいてください。」

 少し前の記事で、高次元存在ハトホルは、地球人を、エネルギーの重なり合いとして見ているというのを紹介しました。

 人の体は多層的・多次元的というのをご存知の方がおられるかもしれません。

 肉体、エーテル体、アストラル体、コーザル体などなどによって、私達の体はできています。

 五感で捉えられるのは、肉体だけです。
 
 肉体が休んでいる時、他の体は、どこか他の場所で、すごい働きをしているのかもしれない。

可能性を感じる見方

 悪夢を見ることで、集合意識にバランスをもたらしていることは、自覚できません。

 でも、それが本当であれば、この体験に意味を見出すことができます。

 肉体は眠り、周囲に「怠けている」ように見えようとも、違う体、違う次元では、とてつもない働きをしているのならば、肉体次元の状態に意味を見出し、辛い日々を耐える力を見出せるかもしれない。

 真偽はわかりません。

 でも、ここに、可能性を感じないでしょうか。

判断の前に、何であるかを理解するのが先

 怠けている「ように見える」ということと、「怠ける」ことは違います。

 実際、睡眠疾患の場合、本人の意志ではどうにもならないことがしばしば、あります。

 そこに、「怠けよう」という意志はありません。

 もし相手を助けたいと思うのであれば、相手の状況、思うようにならない病、それをどう捉えているか、苦しみを理解するのが先だと思います。

 何であるかがわかってないのに、ジャッジするのは、順序が逆です。

 というより、そのジャッジは、機械的な反応に過ぎず、判断とさえ、言えない。

意味を見出せれば、辛くても前に進める

 辛い経験、苦しい経験、容易に人に言えないことにも、意味を見出すことができれば、たとえ周囲が無理解であっても、前に進んでいける。

 一人一人は非常にユニークです。

 言葉で表現するのがむずかしいぐらいにユニークです。

 そうであれば、あなたのユニークな経験、自分では疎ましいと思っていることも、もしかしたら、誰かを助けることにつながっているのかもしれない。

 私は、可能性を感じられる見方を採用したいと思います。

夢見は眠りの世界で活動する

 CLAMPに『X』という作品があります。

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 そこに、夢見という働きを担う人が二人出てきます。

 片方は、ずっと病院で寝たきりの男性です(上の画像の、白い服装の人)。

 しかし、夢見によって、主人公その他のキャラクターに示唆や情報を与えます。

 そこまで含めれば、その人は、誰かの役に立っていると言える。

 あなたがそうでないと、一体、誰に断言できるでしょうか。

 これは、私の推測ですが、日中、抗いがたい眠気を感じ、眠ってしまう人は、どこか違う世界、違う次元で、何らかの働きをしているか、魂が学びをしているのかもしれません。

 それがハードなので、その疲労が、肉体レベルまで及んでしまう。

 そういうことなのかもしれないと考えています。
 

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