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高次元存在に、地球人類はどう見える?

トム・ケニオンと高次元存在ハトホル

 トム・ケニオンという、アメリカ人のチャネラー、サウンドヒーラーをしている男性がいます。

 日本語で、4冊(内一冊は共著)の本が翻訳されています。

 その一つに、『新・ハトホルの書』というのがあります。

 この本は、「集合意識ハトホル」と称する、すでにアセンション(次元上昇)を経た文明の存在たちからのメッセージを編纂したものです。

 この本の日本語訳は、三つのバージョンがあります。
 
 2003年に刊行された『ハトホルの書』(旧版)

 2011年に刊行された『ハトホルの書 瞑想CD付き改訂版』

 今回ご紹介する『新・ハトホルの書』は、旧藩を大幅に剪定・改良し、豊富な新情報を加えた増補改訂版であり、初版から通算11刷目にあたる本です。

 さらに、巻末には、原著に未収載のハトホルからのメッセージ二つが付録としてくっついています。

 もし、これから、実際に本をお手に取られるならば、『新・ハトホルの書』(2013年刊行)をオススメします。

ハトホルとは何か?

 ハトホルは、次元を超えたエネルギー的存在です。

 また、彼らは、古代エジプトで豊穣の神として祀られていたハトホル女神をとおして務めにあたっていたことがありますが、神ではありません。

 彼らは、自分達が経験してきた意識進化の大きな局面を、地球人類が迎えていることについて、兄弟姉妹として、有用な情報を提供するというスタンスで、語ります。

 著者のケニオンも述べるように、受け手や読み手の自由意志に干渉するような強制や命令を、ハトホルは一切しません。

 「ハトホルたちと知り合ってから、もうかれこれ二十年以上になりますが、現実の本質についてであれ、人間の意識に潜在する可能性についてであれ、かれらは一度たりとも自分たちの見解を高圧的に押し付けてきたことはありません。

 また、私にああしろこうしろと命令したこともありません。かれらには、もともとそうした性質がないのです。実際の話、もしあなたがハトホルと名乗る存在と遭遇し、その存在があなたに何をすべきか指図してくるようなら、それはハトホルではありません。」(p,37)

架空の箱あるいは保留

 この本の最初に、著者トム・ケニオンのこんな注意があります。

 彼は、この本の情報を読むときには、いつも傍らに架空の箱を置くようにと、勧めています。

 「そして腑に落ちないことや、あなたの現実観をおびやかすようなことがあったら、その箱にぽんと入れておくようにしてほしいのです。わたしが言ったことであれ、他のだれかが言ったことであれ、あなた自身の人生経験、あなたの道理、そして何よりあなた個人の価値観といったフィルターにかけてみることなく、けっしてそれを鵜呑みにしたり、真に受けたりしないでください。」(p,5)

 「現実観」は、「常識」「固定観念」「信念」と言い換えてもいいかもしれません。

 また、「架空の箱」は、一種の保留とも呼べます。

 真偽をすぐに判断できなければ、判断を保留し、事柄を理解することに注力する。

 そして、少しずつ、自分の視野を広げ、現実観を組み替えつつ、理解を深めていく。

 架空の箱を用意する理由を、ケニオンはこう述べます。

 「ものごとを充分咀嚼せずに飲み下し、未消化のままでいると、知的あるいは霊的な消化不良とでもいうべき状態になりかねません。こうしたタイプの消化不良には制酸剤も効きません。」(p,5)

 続けて、こうした事柄に取り組む際の、論理や理性の重要性と必要性も指摘します。

 「霊的体験の領域に入っていくときには、自分の論理や理性は手放し、信じることに徹底的かつ全面的に身をゆだねるべきで、論理的思考の介入をゆるしてはいけないと言う人もいます。しかし、私はこの手の考え方は危険だと思っています。霊的な啓発の途上で道を誤りたくなければ、得られるだけの才覚や知性をことごとく動員する必要があります。」(p,5)

 これは、とてもバランスの取れた態度だと思われます。

 何でもかんでも信じ込むのではなく、あるいは疑い抜くのでもなく、一つ一つの情報を自分の人生経験や理性に照らして、吟味する。

 これが、一見、ゆっくりとではあるものの、自分に多大なショックを与えず、物事の理解を広げていく、望ましいあり方だと思われます。

ハトホルは地球人類をどう見ているか?

 さて、前置きが長くなりましたが、ハトホルの、我々を見る見方が興味深いので、ご紹介しようと思い、この記事を書きました。

 彼らは、人間をどう見ているか。

 我々の多くは、自分を含めた人間を、3次元の現実、つまり身体的感覚によって見たり触れたりできる物質界に固定して、捉えています。

 しかし、ハトホルは、我々を、エネルギーの状態から見ています

 彼らによれば、我々の「姿は幾重にもかさなりあったエネルギー場として認識」(p,45)できると言います。

 そうしたエネルギー場のうち、我々にとって、「一番はっきりしているのが肉体と呼ばれるもので、それは肉体の空間をうずめる無数の細胞のなかにひろがる種々の化学的、生化学的、あるいは電気的プロセスをも含んでいます。しかし、わたしたちがあなたがたの肉体を見るときには、ほとんど空間という観点で見ています。」(同頁)

「その肉体はまるで星ぼしから成る銀河のようです。各原子は、中心太陽のような核と、その周囲をまわる惑星のような電子をもち、太陽系にそっくりです。(中略)太陽系では太陽の周囲を諸惑星がまわり、原子においては中心核の周りを電子がまわっているのです。あなたがたの太陽系のほとんどが空間で占められているのと同様に、あなた自身もまたそうなのです。」(p,45-46)

 肉体の中には、膨大な量の空間が存在しているのだから、肉体が「中身の詰まった固体である」のは幻想だと、彼らは指摘します。

 ハトホルは、人の肉体を見る際、固体としてではなく、空間として知覚している。

 そして、彼らは、我々を、文字通り、「人の姿をした星ぼしの銀河として」見ているのです(p,46)。

 突拍子もない見方に思われた方もおられるかもしれません。 

 しかし、私はこれを、初めて知った時、車田正美の名作『聖闘士星矢』を思い出しました。

聖闘士星矢の人間観

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 聖闘士たち、そして敵たちも含めて、キャラクターは全員、小宇宙(コスモ)と呼ばれる、自分の肉体に宿るエネルギーを爆発させて、戦います。

 漫画やアニメで、主人公たちの人体に、銀河の星雲が渦巻いている絵をご覧になったのを、覚えておられる方がいるかもしれません。

 それは、ハトホルたちの、地球人類の見方と共振するように思えます。

 超常戦士ケルマデックさんは、ヒットする漫画やアニメ・映画作品は、「真実」を内包していると指摘しておられますし、マッカーサーJrさんも、しばしばそう言われます。

 『聖闘士星矢』が、何かしらの「真実」を内包しているとすれば、それはいかなる「真実」なのでしょうか。

 人間はちっぽけな存在ではなく、宇宙のビッグバンに匹敵する存在ということなのかもしれません。

自分を銀河だと思ってみる

 横になっている時に、自分を、「星ぼしの銀河」と思ってみてください。どんな感じがするでしょうか。

 3次元の肉体として自分を捉えるのも、あるいは、「星ぼしの銀河」として捉えるのも、いずれも一つの見方に過ぎません。

 どちらが正しいとか、間違っているというのもありません。

 しかし、異なる見方を知ることで、前の見方を相対化できます。

 自分の捉え方一つとっても、この世には、たくさんの見方がある。

 もしかすると、あなたは、親や周りが言うような存在ではないかもしれません。

 あなたが見ている他人は、目に見える姿とは違って、銀河星雲なのかもしれません。

 そうすると、違う世界の片鱗が見えてくるのではないでしょうか。

 そこに未知の響きや匂いを感じられたら、幸いです。


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