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死ねって言われた気がした

今日、余り心身の調子は良くなかったのだけど、薬が限界を迎えていたのでなんとか頑張って内科に行った。
私の仕事は月水休みで水曜は内科が休診日だから、今日行けなかったら薬が切れてしまうので、本当になんとか起き出して必死に辿り着いた。
ちなみに私は、主にメンタルの調子が悪ければ悪いほど、歩く速度が落ちていく。今日とか、殆ど歩くというか兎に角一歩前に進む、をひたすら繰り返した。タクシー乗る距離じゃないし、本当に必死。辿り着いただけで疲れ果て、更に頭痛も悪化してきていたのだけど、薬を貰うまでは帰れないので混雑した待合室でじっとスマホでしょーもないラノベを読んでいた。
待合室の混雑と、待っているご高齢の方々と医療事務の方々の間遠なやり取りでゴリゴリ削られながらも、何とか診察室に呼ばれた。
前回の採血の結果を伺って、いつも通りの診察の合間に今の調子とかをお話しして、処方箋をいつも通り出すか出さないかってところにきて、昨今胃の調子が悪かったこともあったのか、ロキソニンの量を減らすと宣言された。
多分私はもの凄いショックを受けた顔をしたんだと思う。先生はちゃんと私の目を見て、「やめろってことじゃなくてね、このままこの錠数出し続けてそれを毎月ずっと全部飲みきっちゃってたら、躰を壊すことになるから、身を守る為に減らしていこうってことなんだ」って仰った。でも、その言葉は私には「死ね」って聞こえた。
頭が痛くない日なんか一日もないのに。ゾーミッグって片頭痛の方の頭痛薬は副作用も重いし、なんなら複合型の別の頭痛が出ていた場合逆に頭痛を悪化させることもある。だから、とりあえず頭が痛かったらまず普通の鎮痛剤、この場合ロキソニンを飲む、が私の日常だ。
それを減らせ、というのは、頭が痛い日が減ってくれない以上、痛い日でも薬は飲むなってことになる。これ以上私のQOLを下げろっていうのか。ただでさえ最低限を這いずっているのに。
「胃にも良くないからね」って仰ったけど、胃の具合が良くない=食べられるものが極端に糖質に偏る事になる。次回の採血は恐らく酷い結果になるだろう。「困ったね」って先生は仰る。でも、痛みが来たら痙攣止めを飲んで食べるものを調節してやり過ごすしかない。潰瘍とかそういう内部的な問題ではないので、抜本的解決方法がないのだ。
頭痛と胃痛、この二つの激痛とつねに、どうにかこうにか付き合いながら必死に毎日生きてるのに、生きるために、どうにか人として起きて動く為に必要な薬を減らせと。
勿論お医者様として患者のことを考えたら言わなきゃいけないこともあろう。ごもっともだ。それは理解する。ただ、自分自身の躰の不調に絶望して毎日死にたいとしか思っていない私に、それはやっぱり必要以上に致命的な言葉だった。

病院は、大通り沿いにある。帰り道、本当によたよたしか歩けなくて、タクシー乗るしかないかと、道端に蹲りながら車道を見た。
大通りだから、みんな結構なスピードで車は走っている。瞬間的に、「ここに飛び込めばいいじゃないか」と思った。
ただ、電車にせよなんにせよ、他人様に迷惑かける死に方するのは絶対駄目だよな、と日頃から思っているので、たとえ自殺であっても対人で事故った車は運転手さんの方が悪いことになっちゃう。私のせいで誰かを交通刑務所に送るのは嫌だ、と思って何とか思いとどまった。
車道を見ると危険だから、タクシーも止められず、結局普通に歩いたら10分もかからない道を40分かけて帰った。

死ねないのであれば、機械の躰が欲しい。
最早、真空(猫)が死んだ後生きていられる自信が無い。
歌ですら、今の私のことを救ってはくれなくて、あぁ毎年誕生日が近づくとどうしてこんなに苦しくなるのだろうって思った。
明日私は49歳を迎える。高校から大学にかけては、55歳で死ぬって何となく思ってたけど、今はそれすらも遠く感じる。

具合悪いからこんな鬱思考なので、良くなれば、少しは持ち直すと思うけれど、咲セリさんの著書のタイトル通り、「死にたいままで生きています」はあまり変わらないと思う。

そしてね。こんなにしんどくて今マジで泣きたいんだけど、泣くと片頭痛が発症するので滅茶苦茶我慢してるんだ。今日の頭痛は片頭痛じゃないから、ここで片頭痛引き起こして片頭痛用の頭痛薬飲んだら、先にある頭痛が悪化しちゃう。これだけでも充分死にたい。

うっかりこんな鬱エントリーを読んでしまった方、ごめんなさい。

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