黒井瓶

小説家志望。第66回群像新人文学賞最終候補。埼玉県本庄市民。

黒井瓶

小説家志望。第66回群像新人文学賞最終候補。埼玉県本庄市民。

マガジン

  • 論争篇

    ……たぶん僕、血の気が多いんだと思います。 尊敬すべき方々との格闘の記録。

  • 構成読み解き

    黒井瓶による構成読み解きの記事。先達による構成読み解きの紹介はこちら https://note.com/fufufufujitani/n/n2b42d868a4a7?magazine_key=m3ffebc5a3b6b

  • くっしゅ くしぇ

    • 41本

    お題をもとになんか書くマガジン 毎月第2、4週目の木曜日と金曜日の境目に更新。 参加者募集中。お気軽にご参加を♪

  • 黒井夢日記

    興味深い夢を見たら、そのたびにここで公開します。

  • 哲学メモ

    肩肘張らず、考えていることをとりとめもなく書くだけのマガジンです。

最近の記事

  • 固定された記事

歴史形而上学断想

はじめにⅠ  本稿は、最近の僕が歴史や政治に対して用いている一種の「哲学」を簡単にまとめたものである。類似の「哲学」を唱えた人物は過去にも数多くいるが、本稿において僕は彼らの名前をなるべく持ち出さないように心がけた。自らの「哲学」のオリジナリティを強調したいからではない。僕は、「先人の権威を盾にして誠実な議論を怠る」という自らの悪癖を矯正したかったのだ。  また、昨年末に書いた「to be or not to be」という記事とは異なり、本稿において僕はなるべく分かりやすい

    • 脱輪さんへの手紙 あるいは開かれた森について

      はじめに 僕の知り合いに脱輪さんという批評家がいます。先日、僕はXにて脱輪さんから次のようなお言葉を頂きました。  この記事は、「言葉を忘れて森へいこう 〜ファブリス・ドゥ・ヴェルツ『依存魔』からゴシックの美学へ〜」(以下「森へ」と略記)という彼の映画批評に対する僕なりの感想です。ただし僕は彼の文章の主題である映画『依存魔』を観たことがありません。それゆえ僕は彼の映画批評ではなく、(彼の表現を用いるならば)彼が「映画批評にかこつけ」て書いたドイツ美術小史に対して、自分の意見

      • 絵画における展望について

         僕はハイキングと絵画鑑賞を趣味としている。また僕は、人文地理学に日頃から強い関心を持っている(決してその道に明るいとは言えないが……)。そして先日、僕はこれらの趣味が共通の欲望によって生じたものであることに気付いた。僕は「展望」を求める強い衝動に突き動かされている。だからこそ僕は、「展望」を与えてくれるものとしてハイキングや絵画や地理学に魅了されたのだ。  日頃、僕たちの視界はさまざまな障害物によって遮られている。そのせいで僕たちは自らの生活世界を一挙に捉えることが出来ずに

        • 僕は彼にあなたを愛していると伝える。僕はあなたに彼を愛していると伝える。

          第1章 僕が僕に彼を愛させている 僕は彼を愛している。そしてこの文章を通じて、僕は彼に「あなたを愛している」と伝えたいと願っている。しかし、それではなぜ今この文章を読んでいるのは彼ではなくあなたなのだろうか。彼に「あなたを愛している」と伝えるためには、僕はまずあなたに「彼を愛している」と伝えなければならないのだ。だからこそ僕は性懲りもなくこのような駄文を書き始めてしまったのである。  僕は彼を愛している。さて、僕が抱いている彼への愛は僕の自由意志に基づくものなのだろうか。この

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        歴史形而上学断想

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        記事

          to be or not to be

          第一節 僕は中学卒業以来、一過性の非打算的な熱情に浮かされてはしばらくして元通りの打算的な生活に舞い戻る、という反復運動を延々と繰り返している。ここで言うところの「非打算的な熱情」はしばしば恋愛や宗教にも向かったが、多くの場合は政治をその対象としていた。僕は幾度もなく左翼や右翼の急進思想に惹かれ、それらに基づいて世界に革命をもたらしたいと願ったのだ。熱情に駆られるたびに僕は非打算的な生活(たとえば革命家としての生活)を続けようと心に誓い、もし未来の自分がそのような生活を続けな

          to be or not to be

          漂流の夢

          (これは今朝僕が見た夢の記録である。今朝の夢は、「俺」を自称する僕以外の人物の一人称によって進行していった。また僕から見たその夢は、カメラワークその他において非常に映画的な性質を持っていた。それゆえ今回の夢日記は小説ではなく脚本の体裁を取る) ○1 洋上 鉛色の曇天と黄色く濁った海、その海の上を「俺」のボートと「教授」のボートが二艘並んで進んでいる。俺は髭を伸ばしている。教授も決して綺麗な姿ではない。二人とも手にオールを握りしめ、懸命にボートを漕いでいる。そのさまを俺の視

          漂流の夢

          音楽的美術と美術的音楽

           古典主義(classicism)、浪漫主義(romanticism)、そして写実主義(realism)。この三つの概念は、美術・音楽・文学などの区分を超えて近代西洋芸術史の広範囲に重大な影響を及ぼした(ただし唯一音楽には写実主義がほぼ見受けられないが)。それゆえこれら三つの術語は非近代非西洋の芸術を批評する際にもしばしば用いられる。しかしここで語彙の定義が問題となる。写実主義はともかく、古典主義はギリシア=ローマの「古典古代」を理想とする美学であり、対する浪漫主義は「ロマン

          音楽的美術と美術的音楽

          村人の夢

          ※今回の夢は著しく寓話性が高いです。よって読者の中には僕の創作を疑う人もいるかもしれません。しかし今までと同様、僕は最低限の体裁を整える程度の脚色しか行なっていません。むしろ僕は自分の無意識の中にこのような寓話性を生む契機があったのか、と驚いてすらいるのです。以上の旨ご理解ください。  僕は夢の中で小説を読んでいた。それと同時に、僕は夢の中の小説の主人公でもあった。よってこの夢には行動し苦悩する僕とそれをより高い視点から批評する僕という二人の僕が登場する。  小説の中で僕は

          村人の夢

          注射の夢

           学校から課題として提示された夏期のレポートを書き上げるために、僕は友人たちとともに図書室へと足を運んだ。図書室は狭いが充実していた。特に東洋文庫と古いSFが多く並んでいる。そのためか、図書室の一隅ではSF好きの先輩二人がSFに求める美意識を巡って論争を繰り広げていた。どうやら一方はハードSFを、もう一方はスペースオペラを好んでいるらしい。僕はSFではなくもっぱら東洋文庫に興味を抱いた。  図書室には冷房がなかった。そのためか僕は唐突に異常な気だるさを覚えた。僕の状態を心配し

          注射の夢

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          空海の十住心論とティモシー・リアリーの神経政治学の比較

          空海の十住心論とティモシー・リアリーの神経政治学の比較

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          多幸の夢

           今朝、僕は夢の中で明らかな麻薬を摂取しました。あくまでも夢の中の話なので法には触れないのですが、それによって僕は今まで感じた中で最大の快楽を享受しました。今も僕は快楽の余韻に浸りながらPCに向かっています。あの快楽はなんだったのか。あれにまた至ることは出来るのか。そのことを知るために僕はこの文章を記録として残します。  僕の夢の中でその麻薬は「多幸ガム」と呼ばれていました。実際それはガムの形をしてキシリトールのようなボトルに収められていました。  効用は……そうですね、「

          多幸の夢

          連峰の夢

           今日、僕は途中に覚醒を挟みながらも連続性のある夢を三つ見続けた。物語そのものには多少の断絶があるのだが、それらの夢には一つ重要な共通点があった。夢の舞台となる「地形」が三者ともに一致していたのだ。  北に岩山が聳えている。僕はその岩山のことを火山だと認識している。南には高地が広がっており、高地にも小さな峰が連なっている。高地の北の縁には学校が建っている。学校と岩山の間の谷には低地が広がっている。  第一の夢においてそれらの地形は並べて赤々と乾燥していた。第二の夢においては低

          連峰の夢

          加速の夢

           今朝も夢を見た。  夢の中で僕は母校を訪れていた。かつて所属していた吹奏楽部に顔を出すと、生徒たちが練習に励んでいた。そこで僕は自らが作曲した楽譜を彼らに手渡して「これを演奏してくれ」と頼んだ。演奏が始まる。スペシャルズやマッドネスのようなスカだ。これを自分が作曲したのか、と僕は得意な気持ちになった。  僕は学校教育のために制作されたアニメを生徒たちとともに観ている。おそらく僕は教師の役を任されているのだろう。台本の文章をつらつらと眺めながら、どこで生徒たちに「この場面で登

          加速の夢

          存在の夢

           こんな夢を見た。  僕はコンクリートの階段を下へ下へとくだっていた。階段は長く急だった。  僕は観衆に告げるように大きな声で語った。 「皆様を責めるまでもありません。かく言う私も、小さい頃は『存在』の声に耳を傾けていたのです」 階段は奥底へと続いていく。奥底には僕の見たくないものがある。僕はそれから目を逸らしている。しかし僕は歩を進めることをやめられない。 「僕はかつて『存在』の声に耳を傾けていました。そして僕は、人間たちが『存在』を抑圧することをなんとかして食い止めようと

          存在の夢

          哲学メモ4 現前の質的な差異

           久々に哲学メモを投稿する。  ニュートン以来の光学は「明るさ」と「眩しさ」を同一のものとして扱っている。しかし「明るさ」と「眩しさ」は異なる。これは、「明るい色」が存在するのに対し「眩しい色」が存在しない、ということからも分かる。さて、「明るさ」と「眩しさ」の差は何か。  私たちはピアノソナタを聴いて「楽しさ」や「悲しさ」を感じる。しかし私たちがピアノソナタによって「数学の解を導き出したときの感覚」に至ることはない。これはなぜか。  世界のありとあらゆる事象は「私たちに現

          哲学メモ4 現前の質的な差異

          邯鄲の夢

           おはようございます、黒井瓶です。  今朝、僕は夢の中である女性と知り合い、親しくなり、すれ違い、和解し、結婚し、子を儲け……そして僕はその女性に先立たれました。  起きてから僕は一切が夢であったことを知りました。僕はいったい何をすればよいのでしょうか。  僕は妻と高校時代に知り合いました。  僕はかつて熊谷高校という男子校に通っていました。(これは現実とも一致しています。)僕は成績も悪く、さらには生まれ持ったそそっかしい性格のために校内で疎外されていました。(若干事実とは

          邯鄲の夢