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プラムディヤ「人間の大地」は、インドネシアの「竜馬がゆく」だ!

インドネシア文学の最高傑作とされるプラムディヤ・アナンタ・トゥールの「人間の大地(Bumi Manusia)」。2019年に映画化され、Netflixでも見ることができます。原作と映画、一体どんな作品なのでしょうか?

映画ポスター

 私と「人間の大地」の最初の出会いは、大学院でフィリピン文学研究を志していた時。フィリピン史の大家の池端雪浦先生が「これ、読んだ方がいいですよ」と言って貸してくださった。一気に読んで、「(フィリピン文学)負けた」と思った。文学としての完成度と洗練度、ストーリーの面白さ、そして読み終わった時の感動の深さ。当時はフィリピン文学以外にも東南アジア各国の文学、特に植民地を題材にした文学を読みあさっていたのだが、「人間の大地」の面白さは、その中でも群を抜いていた。

 いわゆる植民地文学というと「理不尽で陰鬱で暴力的な描写の作品」というイメージを持たれる方も多いと思う。フィリピンのホセ・リサールによる「ノリ・メ・タンヘレ(われに触れるな)」は素晴らしいのが、まさにそんな作品だ。「人間の大地」は、そうした陰惨さが薄く、小説としてめっぽう面白い。

 混血の美少女、オランダ人の妾(ニャイ)、マドゥラ人の用心棒、怪しげな中国人の「デブ」、主人公の親友である片足のフランス人、娼館の日本人娼婦といった「蘭領東インド」を彩る絢爛豪華な登場人物に、美少女の秘密、ニャイの物語、毒殺事件などが絡まり、息もつかせぬまま物語が展開していく。

 特に、ニャイがこれまでの半生を娘に語って聞かせる第5章は圧巻で、プラムディヤのストーリー・テリングの力のものすごさを存分に感じさせられる。長い長い章なのだが、まったく飽きさせない。

 エンターテインメント性が優れているだけであれば、ただの「面白い小説」なのだが、「人間の大地」は、オランダ(ヨーロッパ)人を頂点として確立された蘭領東インドの階層社会を多彩な登場人物によって描き、植民地支配の理不尽さを深く、鋭く、追及する

 まるで日本の面白い歴史小説を読んでいるようで、例えて言えば、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、または吉川英治の「宮本武蔵」。ミンケという原住民の青年が、歴史の波に翻弄されながら自我を追い求め、同時に民族としての自我を確立していく物語だ。

 押川典明先生による日本語の訳文もまた素晴らしい。原文のインドネシア語を読んでみると、意外にも平易だ。その「味気ない」と言えなくもないインドネシア語が、わかりやすく、かつ、彩り豊かな日本語になっている。文としては、原文より訳文の方が上なのでは、とまで感じさせられる珍しい作品。この素晴らしい日本語の訳文で「人間の大地」を読めるのは幸運なことだ。

映画はどう?

壮大な長編である「人間の大地」。映画化は難しいと考えられてきたが、2019年に映画化されて話題となった。3時間の長編だ。映画を見た3人で、感想を語り合った。

[対談者]
なべさん(な)
 弾丸トラベラーとしてインドネシア全34州を旅した。原作未読。映画は2回見た。
しるさん(し) 大学時代、押川先生に師事。原作は「大学時代にぱら〜っと見ただけ(=未読)」。映画は、原作の舞台であるスラバヤで見た。
 映画は、公開初日にジャカルタで見に行った。映画を見てからも原作を再読し、感動を新たにしている。なべさん、しるさんのわからなかった所も原作から補足解説。

 映画「人間の大地」を語り合う会です。映画の率直な感想をネタバレ全開で行ってみたいと思いますー。

言葉はどう?

 オランダ語、ジャワ語、インドネシア語、Bule(白人)のしゃべるインドネシア語(なまりが強いので、1つにカウント)の4つがあるでしょう。白人で、インドネシア語を絶対にしゃべらないように見える人が、インドネシア語をしゃべったりするし。めちゃくちゃ忙しかった。今まで見た中で一番忙しい映画だった

 オランダ語とジャワ語にはインドネシア語と英語の字幕が付いて、インドネシア語には英語字幕が付く。英語字幕、早くなかった?

 早すぎ! ついて行くのが大変だった。インドネシア語は耳で聞いているんだけど、オランダ語やジャワ語になったらあわてて英語字幕を読んで。字幕を読んだり、映像を見たり、耳で聞いたりで、めちゃくちゃ忙しかった。

 冒頭のオランダ語の洪水で、正直、「あー、ちょっとついて行くの無理かも」って思った。でも、こうやって敢えて複数言語にしたことで、観客の意識を「オランダ植民時代」にガッと持って行くのに成功していると思う。

内容はわかった?


 原作未読で、映画の内容は理解できた?

 1回目に見た時は、アンネリースがなぜオランダへ旅立たないといけないのか、わからなかった。なぜ急に彼女の親権を要求するのか?とか。

 アンネリースは未成年なので、メレマの息子のマウリッツが後見人になった。アンネリースにも財産の一部の相続権があったから、マウリッツは全財産が欲しかったんでしょう。

 途中で家に来たオランダ人が息子のマウリッツ? オランダ人なのに、なんでインドネシア語をしゃべってたの?

 マウリッツは仕事で蘭領東インドに来て、そこでたまたま、失踪していた父親を見つけた。だから、インドネシア語(マレー語)ができたわけです。

感動した?

 感動しようと思って見に行ったんだけど、最後の所(アンネリースの旅立ち)が「??」で「わかんねー」。それで、もう1回見た。2回目の方が、感動した。

 どういう感動?

 植民時代は、こういうことがいっぱい起きていたんだろうなぁ……独立して良かったねー、という感動。

 私も泣いた。最後の「負けました」という所で泣いた。それは、日本人が誰も経験したことのない感情でしょ。プリブミというアイデンティティーをもって戦って、それでもかなわなかった力。結局は負けた、と。

 インドネシアの植民時代の映画って、あまりないじゃない? 「人間の大地」では、オランダ植民時代に人々がどう考えていて、どういう風にアイデンティティーが芽生えていったかが描かれている。主人公のミンケをスカルノにも重ねて見ていました。

インドネシア国歌

 映画の始まる前にインドネシア国歌が流れたね。こんなのは初めてだった。

 周りを見たら誰も立っていなかったから、立たなかった。国歌が流れて起立しなかったのは初めてです。

 スラバヤで見た時は、周りが立ち始めたので、私も立った。

 映画館で国歌、って珍しいから、皆、戸惑っていたのかも。最後が「負けました」という(インドネシア人的には)すっきりしない終わり方だから、その後に「みんなで国歌」が良かったんだろうけど、インドネシア人は大抵、エンドロールが終わる前に帰っちゃうからねぇ。

キャストはどう?

 ミンケ役は、イクバル・ラマダン。良かったよね。

 公開前には「えっ、イクバルがミンケ?」という反応が多かったけど、意外にハマった。

 日本で言うと、ジャニーズの若手がやって、意外に良かった!っていう感じ? 今、コーヒーのCMに出ているね。

 私の一番の不満はアンネリースかな。混血でありながらヨーロッパ人を毛嫌いしていて、プリブミにアイデンティティーを持ちたい、という複雑な内面と壊れやすい繊細さが、演技のせいか、演出のせいか、あまり感じられなかった。

 最後に病気が良くなってから、急にサバサバして切り替えていたでしょう。唐突感があったな。

 あれは小康状態なだけで病気が良くなったわけじゃないんです。あきらめたというか、心が死んだ。

 映画でアンネリースのアイデンティティーは描けていなかったよね。最後に観客の感じた同情は、アンネリースへの同情ではなく、抗えない判決により家族を取られてしまったプリブミ側への同情。

 そうそう。本当はアンネリースがカギなんだけどな。アンネリースとミンケの恋愛も、原作では時間の経過があって、ミンケの逡巡やアンネリースの複雑さがあって、それを超えた二人の恋愛に胸打たれるからこそ、最後に二人が引き裂かれることに滂沱の涙となるわけで。

 映画の場合、3時間と長いわりには、浅い恋愛、今時の恋愛、という感じだったね。

「オッシー」こと押川先生

 しるさんは押川典明先生にインドネシア語を習ったんですよね? うらやましすぎる!

 そう、「オッシー」(笑)。でも、20そこそこの学生に、その偉大さはわかりません!

 映画を見てからインドネシア語の原作を読み始め、押川先生の訳の素晴らしさを再認識した。原文のインドネシア語も意外に読みやすいのだけど、押川先生の訳で読んでほしい。恩師なのだし、是非!

ブル島には何もないってよ

 なべさんは、プラムディヤが流刑されていたブル島には行ったの?

 行ってない。「プラムディヤ関連の物は何も残ってない」と聞いて、やめた。マルクのきれいな海が広がっているだけかなぁと思って。

 プラムディヤの銅像とか何かあれば観光名所になるのに。

 流刑地で書かれたという「人間の大地」、なんで発禁になったのかわからないね。

 そう、共産主義思想は感じないよね。あとがきにも「発禁処分の理由は不明」って書いてあった。

 権力に逆らう、ということかな?

 多分そう。押川先生のあとがきには「植民地国家=蘭領東インドにほとんど単独で拮抗し得ているかに見えるニャイ・オントソロの姿に、権力の基盤を危うくするなにものかを政府当局が感知したとすれば、彼らがこの小説の影響力を危惧するのも故なしとしないのかもしれない」とあります。「人間の大地」は植民地支配という構造に大きな「否」を突き付ける作品だから。


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