クロニカvol.1 施設と建築、デジファブの木目の違和感

施設か、建築か
これは、建築家の坂本一成さんが、2012年頃にとある卒業設計展の講評会で言っていた言葉だが、当時の私はうまくその言葉の違いを理解できないでいた。

その後、三浦展さんの『愛される街』と『人間の居る場所』を読んだ。

その中で、実母が介護福祉施設に入ることになったエピソードがあり、「施設」とは法律に人の行動を当てはめること。確かに行きたくない場所は、〇〇施設と呼ばれる場所が多いと書かれていた。

そのとき、坂本一成さんが言っていた「施設と建築」の違いが少しだけわかった気がした。

デジファブと切り抜かれた木目
デジタルファブリケーションで木材を切り出し、様々な形が作られている。
同じ木材なのに、大工がつくる伝統建築に対するデジファブで切り出される作品への違和感が拭えずにいた。
その違和感は、恐らく前述の施設か、建築かになぞられて考えられる。
デジファブによって切り出される木材は木目の使い方が意思がない。
つまり、機械の都合(仕様)で効率的に切り出すために、形が割り当てられただけなのである。
MDF材のように繊維質で木目の方向性がないものに対しては違和感がないが、コンクリートのような無方向の仕上がりになる。
一方、間伐材などの木目のある部材では、切り出された木の節や繊維の方向が突拍子もない場所にあったりする。
つまり、作り出された形態とそぐわないことからくる違和感なのかもしれない。


公共施設と公共建築
この違いを知らないでいた。恐らく、前述のような施設に対する建築なのだろうと思う。

道路空間の活用が推進されていく今後の未来について

道路は公共施設の一種である。
とすると、法律に基づいて人が利用することを制限する。
利活用を考える上では、道路も施設から建築になっていく必要がある。恐らくこの動きは公園や河川も同様である。

見えないルールはあるが、行為を制限するのではなく、解放する手段になってほしい。
過剰な安全性の追求と効率さの追求で壊してきた文化遺産は多い。

技術的な基準に基づいて計算された数十メートルの堤防は、安全性は向上したが、街並みや風景は様変わりした。
行政が、見過ごせば安全対策の未対応となるし、対応すれば景観破壊の問題になる二面性がある。
管理者として行政は、行為を制限して安全性を担保するだけでなく、非常時の安全性を担保しながら、日常的な豊かさを実現する手立てが必要になる。

ここから昔、大学時代に学んだアーキテクチャの思想(ローレンス・レッシグ氏)などを思い出しながらもう一度考えてみたい。

意味のなさとプラットフォーマー
最近、SNSで流行している若者の動向が、テレビで取り上げられていた。
ハッシュタグをつけて情報発信したり、友達となんとなく良い動画を投稿する。
解説者として出ていたSNSでの流行をつくるのが上手な方のコメントで印象的だったのは、"彼らの行動に意味はない"という見解だ。

意味はないが、ルールが必要になるとき
彼らの行動には、意味がないが一定程度のルールや評価軸が存在することもまた興味深い。
例えば、検索で見つけてもらえるようにハッシュタグをつけて配信するが、投稿する際のハッシュタグは多くても10個程度まで。それ以上はナンセンスだという。
また、ハッシュタグの選び方も時代性のあるものを使うこと。限られた10個程度のハッシュタグの中に、どんな言葉を選んだのかで、その人のセンスが問われる。


意味のない行動の面白さ
対照的に、「意味ある・何かのために必要な行動」はどこか威圧的で、差別化することで際立つものが多い。
あるルールや目標に向かって行動することが、施設なのかもしれない。これを「施設的行動」と読んでみる。
意味のない行動に対しては、選択肢を恣意的に絞るのではなく、利用方法をユーザーに委ねるプラットフォーマーの方が相性が良いのだろうと思う。
作法や規範が許される(むしろある方が良い)空間としては、寺社仏閣の作法や社会人のマナー(座席配置等)などがイメージできる。
これらはある種、施設的な空間だが、意味があった方がいい、意味があることが望まれる空間と呼べるのかもしれない。

意味ある行動の面白さ
意味ある行動を○○するほどに状態が良くなるために行う行動と定義してみる。少なからずそこには、主体性や当事者意識が必要になる。
例えば、資格試験に合格するために勉強する。美化を保つために掃除する。

行政計画はまちづくりのプラットフォーマーになり得るか。
都市計画やまちづくりを行う上では、上位計画にあたる総合計画や都市マスタープランに沿った事業が行われており、緩やかな規範(コード)を示すプラットフォーマーともいえる。

行政計画は、策定前に一般に対して意見を求めるパブリックコメントが行われる。パブリックコメントは通常、策定された計画のPDFデータ等が公開される。これは広く一般に見られるようにしているようで、ただでさえ忙しい現代人が仕事の合間や休日にわざわざPDFを開いて逐一チェックするだろうか。むしろ、ユーザーにあわせたストレスが少ない閲覧方法に変更したほうが、より住民のための計画が作られるのではないだろうか。

意味ある行為、行為から生まれる意味
行為から生まれる意味について、看護や教育分野には、「リフレクション」という振り返りから次の看護方法を検討するという考え方があるように、実践して振り返る事で、次にどうすべきか見えてくる事も多い。

誰にもわからない意味を予め計画することは可能か。

物事の成り立ちの背景にある歴史的変遷や、背景、意味を深掘りすることで、表面的に見えていた印象が変わることがある。
それは、一種の「哲学」とも呼べるかも知れない。

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