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狂気の深淵を見た––『博士と狂人』(ネタバレあり)

記念すべき(?)映画レビュー投稿第1弾。
劇場で観たのはもう2年ほど前なのですが,ここ3年間ほどで鑑賞したなかでいちばん興味深かった映画のレビューを最初にもってきました。

『博士と狂人』

どうやらもとは小説になっていたもので,和訳もでているらしい。時間があれば読みたいのだが。電子書籍だとすごく安い。

 OEDと呼ばれることの多いオックスフォード英語辞典の編纂に関わったある言語学研究者とある市民ボランティアを描いた,実話を基にしたストーリー。なんと100年以上前の辞書の編纂において,市民のボランティアに頼みながら言語使用の実例を集めていくという果てしのない作業を行おうとしていたということにまず驚き。一見難しそうな,理屈ばかりで退屈しそうな内容であるが,冒頭にあえて過激で疾走感のあるシーンを使っているのが工夫としてあるのだろう。あれのおかげで観ている側は一気に映画の中に引き込まれる。
 辞典編纂プロジェクトの発起人でありかつ責任者であった言語学者マレー(メル・ギブソン)が主人公の一人。そしてもう一人の主人公となるのが,殺人を犯しつつ精神病を抱えたため精神病院に隔離されているマイナー(ショーン・ペン)。この博士という一定の社会的地位を得たマレーと,精神病患者という「狂人」であるマイナーとの対比がまず起こっている。
 しかしこの学者というのがワケありで,マレーは家庭の経済的事情で大学教育は受けていない。それでも独学で多くの言語を修得していて,オックスフォード大のお偉い方々の面前でその言語能力を披露したことで学位なしに一大プロジェクトの責任者となる。研究者たちによる嫉妬や名門大学としての矜持といったものがここで見えるのがすでにおもしろい。一方マイナーは,生まれ育ちが由緒ある家ということが伺え,元はアメリカ軍の軍医として働いていたエリートである。
 これがわかれば,タイトルの「博士と狂人」において「博士」とは言語学者マレー,「狂人」は精神疾患者マイナー,だとして単純に収まるものではないということがわかる。たしかにマレーは博士なのであるが,「一般庶民生まれの学位なしエセ博士」であり,マイナーはたしかに精神疾患をもっているのであるが「エリート出身でありつついまや犯罪者かつ精神疾患者に成り下がった狂人」という多義性を孕んだものなのだ。さらに考え方を変えれば,「博士」とは元軍医であるマイナー,「狂人」とは並大抵の学者では敵わない狂ったほどの熱量を言語に向けたマレーとして受け止めることもできる。
 市民にもボランティアの協力を求めながら進んでいく編纂作業は,なんと一文字目のA,approveの時点ですでに八方塞がり状態。しかも次にはこれまた意味が捉えにくいartが待っているという。ここで苦難している編纂部署の様子がとてもリアルに描かれている。きっと当時の技術ではそれが精一杯なのだろうな,ということがひしひしと伝わってくる。それぞれの時代において英語がどのように使われてきたのか,どのような文献・文学に使われてきたのか,どのように意味が変遷してきたのか,について詳細に記載していく。このいちいち元情報に当たっていく作業風景は研究者の端くれとして思うところがありすぎる。
 先行かない現状に風穴を空けるきっかけとなったのが,元エリートであるマイナーの協力であった。17世紀,18世紀という英語使用についての文献が見つけられなかった部分を,マイナーが文学作品から埋めてくれる。なぜ言語学者でさえもわからなかった部分をマイナーがフォローできたのか,という疑問は生じる。しかしそれは彼の由緒ある出自からくる教養と,精神障害による人並み外れた集中力からくるものがあったのではないかということで個人的には脳内で納得できた。トントン拍子で編纂作業が進んでいくにつれて描かれる研究者たちの幸福感にはほっこり。さらに,作業の中に垣間見える言語オタクめいた会話には思わずニヤリ。
 演技について目を引いたのは,未亡人となったメレット夫人(ナタリー・ドーマー)。夫を失ったことによってなのか,殺人をした者に対するとき以外にもその目はとても鋭く,内に何かを秘めているような雰囲気を醸し出している。悲しみも窺えるが,一方で美しさも感じられる。少し気になったのは,彼女の身につけている服装について。夫がいなくなって一家は食べる物にも困っていたはずなのに,犯人と面会するときにはとても綺麗な服を着てメイクもしっかりしている。たとえ貧困の状態にあっても外出用の一張羅は残しておくというのが大英帝国流のレディのあり方なのだろうか。
 ショーン・ペンが演じた,マイナーが精神病に苦しむシーンも良かったと思う。一部ではやりすぎなのではないかという声もあるが,彼が体験したトラウマと彼の真面目な性格を鑑みれば,あれほどの状態になってもおかしくないのではというふうに感じた。
 後半にいくにつれて増えていった人間の嫉妬,憎悪,愛,絆といったものについて,詰め込みすぎという感は否めない。しかし人間というものはそもそもいろいろな感情を抱えている生き物なので,ただ編纂作業を進めるだけでなくそこにはそのような心情もきちんとあったということを示すのには十分であったと思う。英語に限らずことばというものについて,また人類の遺してきたものの受け継ぎということについて考える時間をくれる作品であった。近年稀に見る(?),観た後に辞典を開きたくなる映画。

後日

 劇中の言語オタク同士の会話の中で,違いに単語を数個言い合った後に笑い合うシーンがありそれにほっこりしたというのは先に書いた通りだが,実はその意味がまったくもってわからない。なんとその意味を知りたいがために,劇場で鑑賞したすぐ後にDVDを購入してしまった。

 日本での公開当時にはまだ吹き替え版も字幕版も発売されていなかったので,原語版にて。4回ほど見返したが,やはりまったくもってそのシーンの意味はわからなかった。

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