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ノーウェイホームとエンドゲームが似ている3つの理由

タイトルの2作の内容について言及していますので、閲覧にはご注意ください。

▼オープニング:NWHとEGは似ている?

海外に遅れること3週間のギャップを経て公開されたSpider-Man: No Way Homeは日本の観客にも大変高い評価を受けており、中には「Avengers: Endgameに並ぶ大傑作だ」という声もしばしば見かけます。これは非常に的を射た感想だと私は思います。なぜなら確かに2作はよく似ているからです。

この2作に共通する特徴を端的に表すと、

制作のエネルギーを感情に訴える部分に全集中してファンの心をガッツリ掴むことに成功しており、一方で純粋に映画として見ればキャストが豪華なことを除けば驚くほど平凡である

ということです。

順番に説明していきます。

▼共通点1:どちらも大いなる責任を果たした!

スパイダーマンが大いなる力には大いなる責任が伴うと謳っているように、MCUには巨大で強靭な力が宿っています。それは世界中の莫大な数のファンが寄せる大いなる期待です。エンドゲームとノーウェイホームはこれらに十分に応える責任がありました。

これについて2作品が取ったアプローチは同じであり単純明快でした。

ファンが観たかったものを見せるのです。

MCU23作品の集大成であるエンドゲームは、全てのキャラクターの揺れ動く感情に最大限に寄り添ったストーリーで展開し、最後はフェーズ1〜3のハートであった2人の主人公の最大の命題の結論、すなわち、常に自分本位だったトニー・スタークの自己犠牲(スナップ)と、常に他人本位だったスティーブ・ロジャースの自身の幸福の実現(ペギー)で幕を閉じました。どちらも魅力的でありながら不器用な主人公に対して、観客がこうなってくれたら良いのにとずっと思い続けてきた悲願の成就でした。

この2人には劇中で特に時間が割かれていました。基本的にテンポよくどんどん先に進む映画の中で、キャップが格闘するシーンや、スティーブがペギーを見つめるシーンや、トニーが父親と話すシーンなどは、特にゆっくり丁寧に描かれていました。またトニーの最期と葬式のシーンの長さも同じくです。

でもそれが必要でした。
だってファンはそれを観たいのですから。

一方でノーウェイホームは、2003年のサムライミ版からアメスパ版を経て最新のMCU版まで連なる20年間・3世代に渡る物語の大団円でした。スタジオの方針変換や権利問題によって度々打ち切りになってきたシリーズにもう一度スポットライトを当てて、偉大なるレジェンドであるトビーを召喚し、傷心のまま中断されていたアンドリューを呼び戻し、その2人が若さゆえに間違いを繰り返すトムの師となり、一致団結して、悪を滅ぼすのではなく、愛を持って浄化させる物語になっていました。特にアンドリューに関してはグウェンを助けられなかった過去に苦しむ魂の救済が用意され、また観客としても一度は諦めたアミジング版の続きを見られるという救済が用意されていました。

さらにノーウェイホームでは、3人の天才科学者であるピーターが協力して治療薬を開発してしまう場面や、俺がピーターだと言い合う場面や、それぞれの生活や恋の悩みを話し合う場面や、果てはスパイダーウェブは生身かシューターかについて議論する場面など、まるで映画ファンが学校やカフェや居酒屋でするような会話がそのままオールスターで実現しているというプレゼントがありました。

でもそれが必要でした。
だってファンはそれを観たいのですから。(本日2回目)

2作に顕著なこれらの特徴は、いずれもそれまで支えてきてくれたファンに対して、クリエイター側が感謝の想いを伝えるために用意したものです。どんなファンでも一度は妄想した文字通り「夢の共演」を実現させて、それぞれにゆかりの深いエピソードが示されました。思い入れのあるファンであるほど、これらのシーンは胸に響き、心が愛に溢れ、温かい気持ちになったことでしょう。

長い歴史と多数のファンを抱える巨大フランチャイズをリードする節目の作品として、このようにファンから寄せられる期待に応えることは、果たすべき大いなる責任であり、まさに2作はそれを果たしたと言えます。

▼共通点2:どちらも脚本はベタ(≒王道)である!

細かなものをあげればキリがないですが、2作には数多くのサプライズが用意されていました。エンドゲームなら5年ジャンプとかタイムスリップ、ノーウェイホームならスパイディ大集合とかメイおばさん。

サプライズがあったから皆さんショックを受けて「奇抜なもの」を見せられたように感じられる人が多いかもしれませんが、エンドゲームとノーウェイホームはそれらのサプライズ要素さえ除けば、映画の中盤に差し掛かる頃には、この後にどういう展開になるかは読めてしまうような、ありきたりで普通で平凡な物語です。というかこれらは「サプライズ」というのは名前だけで、ただ内容をひた隠しにして未見の方々の好奇心を煽っていただけとも言えます。(ちゃんと面白かったので文句を言われる筋合いは無いですが、タイトルやサムネで視聴数を稼ぐYouTube動画とやってることは本質的には変わりません)

同じサプライズでもインフィニティウォーやファーフロムホームは異質です。そこには生命の半分が消えてしまい「サノスの正義」が勝利してしまった絶望的な結末や、現代の便利な生活を支えるハイテク技術が脅威となる危険を見せつけるドローンによるメディア操作といった、いわゆる「既存の価値観や正義をぶっ壊しかねない大きな揺さぶり」がありました。(更にこれらをディズニー社が作っているという現実が輪をかけて興味深くさせています)

ただし、これは裏を返せば、エンドゲームとノーウェイホームは、老若男女世界中の人々が大好きで安心できる普遍的で王道な物語であるということです。そもそもシリーズの最終回であり完結編でもあるのだから、ここでしっかり着地させなくてどうするんだよ、という正論すぎる事情もあります。

ただ、MCUだけに止まらず多くの映画を観ていて「映画的な技法」が身についている人達や、常に新しい問題提起を掲げる物語から受ける刺激を好むような人達から見れば、エンドゲームとノーウェイホームは少しベタすぎて、「刺激に欠ける」とか「期待していたほどではない」という感想に繋がる要素ではありました。

▼共通点3:細かい部分は実はテキトーである!

これは私が比較的映画を冷静に観るタイプの人だから故かもしれませんが、エンドゲームとノーウェイホームは細かな設定が結構グダグダでガバガバな所も似ていると感じました。笑。

エンドゲームでは肝心のタイムスリップの理論や技術が超適当で、理論についてはハルクとアントマンのギャグで誤魔化して強引に突っ走り、技術については動力源も操作方法も全く説明せずに当たり前のように済ませていました。誰かあの理論と技術をきちんと科学的に説明できる人はいますか?

終いにはソウルストーンを筆頭にインフィニティストーンを全て正しい位置に返すなんてキャップは具体的にどうやってやるつもりなんだよ、というかハルクが2012年のNYでストレンジの師匠さんに「後で石を返しにきます」と言ってる時点で燃料(ピム・パーティクル)は使い切っていたので実はそもそも返却用のタイムトラベルは不可能だったはずで、あんたコレって借りパク(ほぼ詐欺)じゃねーか、といったクエスチョンが怒涛の連続発生して私は映画館での初見時は全然集中できませんでした。笑。

その上で、ああ、これはMCUアベンジャーズ・サーガの最後を飾るフェスティバルだから、そういうところには目を瞑ってトニーとスティーブの想いを見届けようぜ、っていう話なんやな。よしよし。見過ごしたるわ。という感じでした。

これと似たようなことがノーウェイホームでも起きました。

気になった点は大きく3つありまして、1つ目はトムホの行動が説明不足すぎる点です。あんな形で説明もしないで箱を奪われたら私もストレンジ先生みたいに怒りますよ。ただ先生は先生でミラー次元を作り出して、一歩間違えば殺してしまうような強烈な攻撃を仕掛けていて、君たち少しは話し合えよ、と呆れてしまいました。

2つ目は別ユニバースから連れてこられた人達の時間軸がバラバラな点です。連れてこられた人達のタイミングはそれぞれ本作にとって一番都合の良いタイミングになっていて、それはご都合主義やぞ、と脳内でツッコミを入れてしまいました。あとMCUで無事に治療された彼らは元の場所に戻されたら、それぞれスパイディと戦闘再開するんでしょうか?笑。戦わなかったらそれぞれのユニバースで歴史の分岐が起こってグチャグチャになりそうですが、大丈夫なのでしょうか?笑。(私はワンダビジョンとかロキを未視聴なのでそこらへんに鍵があるのかしら?)

3つ目はスパイディ集結のジョーク会話が多すぎる点です。ファンが聞きたい夢の会話をおそらく上映時間がゆるす限り詰め込んでくれた感じなのでしょうが、若干詰め込み過ぎというか、それ物語をストップさせてまでする話かねぇーと感じる瞬間は何度かありました。物語に影響しない会話が多すぎるというか。ファンサービスが過ぎると言うか。たとえばスパイダーウェブを生身かシューターかでアレコレ議論するのは楽しい(まるで映画ファンがカフェや居酒屋で談義してるみたい)けど、映画として見ると、そこで物語が完全に立ち止まっちゃってるんですよね。今からヴィランがやって来るのを待っている緊張感やテンポ感が失われています。

その上で、ああ、これはソニー版・アメスパ版・MCU版のスパイディが集結するフェスティバルだから、そういうところには目を瞑ってトビーとアンドリューとトムの想いを見届けようぜ、っていう話なんやな。よしよし。見過ごしたるわ。という感じでした。(本日2回目)

▼クロージング:だがそれが良い!

私が共通点2,3として挙げた弱点とも取れる内容は大きな問題ではありません。なぜならノーウェイホームとエンドゲームで重要なのはそこではないからです。

この2作はそれぞれ巨大フランチャイズのクライマックスでありフィナーレなので、ファンの夢と期待に応えることが何にも差し置いて最重要だからです。つまり共通点1に全集中して最大の火力を出す必要がありました。

むしろクリエイターに与えられた時間と資本を、つまり映画の尺とか脚本の推敲とかVFXの使い所とか豪華俳優陣への出演ギャラとか、そういう全ての持てるもの(頭脳と時間とお金)を、ファンの夢と期待に応えるという目標に絶対的なプライオリティーを置いて注ぎ込んだという攻めの姿勢を、私は非常にリスペクトします。これは偉大な仕事です。(たとえ、それがほんの少し私が嗜好する路線とは違ったとしてもね)

了。

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