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透明になりたい

透明になりてえ!!

…と思ってしまったんです。

今日、地面でキューキュー鳴いているイタチの赤ちゃん(多分)を見つけました。指に乗せるとしがみついてきました。この子はお母さんを探している、と直感でわかりました。そしてもう命が長くないことも。

僕はコンクリートの上は危険と思い、かなり離れた茂みにその子を置きました。今思うと、そうしたことで結果的にお母さんと離してしまったのかもしれません。自分の浅はかな行動に苛立ちを感じます。おこがましくも、僕はその子を救うつもりで手の中で包み込みながら歩いたのです。最初は本気で動物病院に連れていこうとしました。道ゆくおばちゃんに「この子なんの動物やと思いますか」と見せて聞きました。呆気に取られるおばちゃんを見て、初めて自分がおかしな行動をとっていることに気がつきました。

スズメが住処にしていた木が切られてしまった時も、その気持ちをnoteに書いたことがあります。

動物は好きだけど、僕はきっと偽善者で、本当の意味で動物のことを考えられていないのではないかという負い目がずっとあります。

例えば、僕はお肉を食べます。たくさん食べます。屠殺などの動画は見ないようにしています。知らないふりをしている方が楽だからです。

でもきっと、僕の体にはお肉が必要です。食べる時に感謝をできるだけ忘れないようにする、という小さな決めごとを作って、それを守ることで僕は自分を許しています。

僕が食べることで奪った命はいったい何個になるのだろうと考えると途方もないので考えたくありません。なのに、目の前の小さな命は救いたいと思ってしまうのは…やはり偽善というほかないと思います。

命ってなんなんだ。あのイタチの子はきっと生きたかった。でも、生きられなかった。コンクリや土の上は寒かったのだろうか、お腹は空いていたのだろうか、さみしくはなかったのだろうか…考えても仕方がないことばかりが頭に巡ります。

◇◇◇

僕はいま、自分の命を濁しているように思います。

生活は落ちるところまで落ちていて、ほぼゴミの中で生きています。コンフォートゾーンから抜けられず、やりたくないことから逃げ続ける日々です。

生きたくても生きられない命の上で生きているにも関わらず。

本当に、命ってなんなんだ…。あのイタチの子のように動物として、ただまっすぐに生きていたい。あんなに一生懸命に生き延びようとしていた命に、僕はなんてことを…。

生物として、健全なクリアさが今は足りていないのだと思います。もっとシンプルに、もっと簡単に。目の前の人を愛して、走って、学んで。

だから僕は透明になりたい。あのイタチの分も生きようと思います。それでこそ、あの命が救われると信じて。

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